2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
領土領海ナショナリズム(4)

前回取り上げた経産省による「日本ホメ」がPDFファイルで公開されている。紹介しておきます。
『世界が驚くニッポン!』


 ちょっと横道へ。

「世界が驚くニッポン」の内実
本道に戻れなかったのであわてて表題をつけました。

 東京新聞の「本音のコラム」(1月28日)で、師岡(もろおか)カリーマさんの「少子化には多様化」と題した記事が、「日本ホメ」の跋扈を憂えてそれへの本質を突いた批判をしている記事だったので記録しておいた。紹介しよう。

 友人が手術のため入院した。夫婦共に留学生として来日した外国人で、今は幼い子が二人いる。夫は日本の一流企業で理系専門職に就くエリートだ。難しい手術ではないが全身麻酔を伴うため、彼は妻にこう言った。
「僕に万一のことかあっても、絶対に帰国しないでくれ。子供は日本で育ってほしい。あらゆる手を尽くして、ここに残ってくれ」
「そんな心細いことを言わないで。私は非常勤だから在留許可は下りないし」。
そう言って妻は泣いたが、彼は念を押した。
「日本で育てると約束してくれ」

 高学歴で三カ国語を話し、行こうと思えば欧米のどこへでも行けるのに子供は日本の価値観で育てたいと、日本を選んでくれた。でもその子供は「外国人」のままだ。もったいないではないか。少子化を嘆くなら、日本に生活基盤がある親のもとに生まれた子は、自動的に国籍を取得できる制度を考える時が来ているのではないだろうか。

 勤勉、清潔、誠意、とことんやるプロ精神。こういった日本的美徳の行く末を危惧する人の不安も分かる。だがこれらの美徳を、環境や教育の賜物ではなく人種的特性と定義すると、逆に過去の侵略行為に鑑み、日本人は凶暴な人種だとへ理屈を言われても反論できなくなってしまう。日本が育てれば日本人。グローバル化の荒波の中、人種的多様性は財産になるはずだ。

 「日本的美徳を…環境や教育の賜物ではなく人種的特性と定義する」ような「日本ホメ」が排外主義と裏表の関係にあることを鋭く突いていると思う。

 続いて、「本音のコラム」からもう一つ。山口二郎さんの「アメリカ的、日本的」という記事(2月5日)。

 トランプ大統領が排外主義、差別主義の政策を次々と打ち出すのを見ると、暗たんたる気分になる。しかし、司法長官代理から一般市民に至るまで、さまざまな人々が大統領の暴挙に対して異を唱えていることに、希望を感じる。

 アメリカという国では、マッカーシズムによる赤狩りや9・11直後の愛国主義の高まりなど、画一主義が猛威を振るうことかあった。そうした時代には、アメリカ的でないものを排斥する声が高まった。

 真にアメリカ的なるものとは、何か。愛国主義に名を借りて自由や多様性を抑圧することではない。最高権力者に対しても、憲法や独立宣言に照らして非があるなら、臆せず批判し、それを行動に表すことこそアメリカ的なのだと市民の動きは教えている。

 翻って日本ではどうだろうか。

 現政権は日本的なるものがことのほか好きなようであり、教育や文化の世界でもこれを称揚しようとしている。権力者の非違を批判すれば、反日というレッテルを張りたがる連中もいる。その種の人々がありがたがる伝統なるものは、たかだか明治維新の後に政府が国民を統合するためにこしらえた「伝統」にすぎない。

 日本的という名のもとに世の中をますます息苦しいものにしようとする動きと戦う時である。

 安倍が得意になって掲げるフレーズ「戦後レジームからの脱却」とか「美しい日本を取り戻す」とかの中身は良識ある人たちにはとうに明らかなことだが、最近の森友学園騒動によって誰にもハッキリ分かってしまった。彼らの恋い焦がれるレジームとは「教育勅語」で洗脳された愚民たちが狂信的に支持するレジームのことなのだ。

 と、ここで本道に戻ろうと思っていたが、山口さんが一週間後(3月12日)の「本音のコラム」で「教育勅語」を取り上げていたことを思い出した。続けよう。

 森友学園問題を契機に、あの幼稚園で教え込んでいた教育勅語の評価が政治問題となった。稲田防衛相が国会質疑で
「日本は道義国家を目すという教育勅語の精神は、今も取り戻すべきだと考えている」
と述べたことにはあきれた。

 友達は信じ合いといった個々の教えだけを取り出して、勅語は現代にも通用すると主張するのは、勅語の評価を根本的に誤っている。教育勅語の本質は、戦前の日本において天皇こそあらゆる道徳の源泉であることを宣明している点にあり、一般国民、あるいは臣民には天皇のために命を投げ出すことが美徳だと押し付けている。

 聖書や論語にも人倫が書いてあるのだから、同様の人倫を謳っている教育勅語も尊いという議論も、見当違いである。キリスト教や儒教を信じるかどうかは個人の自由である。しかし、戦前の日本では勅語を否定する者は非国民として排斥されたのである。

 安倍首相は同盟国を訪問するたび、民主主義、基本的人権などの価値観を共有すると言う。これらの価値観と教育勅語は絶対に相いれない。防衛相が教育勅語を復活させたいというなら、それは安倍首相の価値観に対する挑戦である。深刻な閣内不一致であり、首相は防衛相を罷免すべきである。あの戦争の甚大な犠牲の上に確立したはずの国民主権はいったい何なのだ。

 なんと、山口さんは続けて今日(3月19日)の「本音のコたラム」では政治家官僚の最近の言動や不祥事を題材に彼らの立派な愛国者ぶりを見事に揶揄していた。これも紹介しておきたくなった。

 文科省は学校の道徳で愛国心の教育をするそう。我が国の最高指導者の行状から愛国の作法を導き出せば、こんなことになろうか。


 自分は愛国者であることを目いっぱい大声で叫びましょう。愛国心の証しは日の丸を振りかざし君が代を歌うことです。教育勅語を暗唱できれば愛国心は優等です。


 自分が純粋で過激な愛国者であることを示せば、周りの人間はその愛国心に感動し、あなたの望みを聞いてくれるかもしれません。何しろ国有地をただ同然でもらった愛国者もいるくらい。


 愛国者は機を見るに敏でなければなりません。同じ愛国仲間でも、ヤバそうなやつが愛国をネタに変なことをしていると気づいたら、さっさと裏切り、知らん顔をしましょう。愛国者に節操は不要です。あいつは真の愛国心がわかっていないとうそぶくのも、保身には効果的です。


 愛国者はなにより自分を愛する人です。愛国教育に熱心な文科省の高級官僚も、法を無視して、退職後の天下りを確保するために組織的に動いていたくらいですから。自分の私利私欲を追求するときにも、愛国だと言えばだれも邪魔しません。


 愛国者は強い者の心中を忖度し、気に入られるよう行動します。政治家の無理難題を実現した財務省の官僚こそ、愛国者の鑑です。

 ちょと横道のつもりが、思い掛けず長くなってしまった。次回は本道の戻ります。
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