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384 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(38)
「ヤマト王権」の出自(6) ― 天祖降臨より1792、470年
2005年9月11日(日)


 「イワレヒコ説話」を「後代の近畿天皇家内部の史官の造作」と見なすのが 「定説」だが、前回までに解明されたイワレヒコの出自の描かれ方が その「定説」を否定していると古田さんは言っている。すなわち、『イワレ ヒコは〝九州における天照の本流″ではなく、〝九州では意をうることので きぬ傍流者″として描かれている』という事実を指摘して言う。
 後代の「天皇中心主義」の立場からのイデオロギー的な、過剰読みこみを 排除し、原文通り率直に読む限り、……これを〝後代の近畿天皇家内部の史 官の造作″と見なすことは無理だ。なぜなら、彼等後代(7、8世紀)の史官 にとっての最高理念は「天皇家こそ永遠の中心の主権者」という点にあった。 しかるに、「神代→神武」の間の記述は、これに反し、〝彼等(神武ら)が 傍系の分流者であった″ことを示している。『記・紀』の表記のルールに厳 密に従うかぎり、それは疑いようがない。この事実は、〝『記・紀』の神代 巻は、後代史官の「造作」ではない″という、この命題を決定的に証明して いるのだ。

 イワレヒコの出自が傍流であるということを物語る記述がもう一つある。

(1)故、日子穂穂手見命は、高千穂の宮に伍佰捌拾歳(580歳)坐しき。(神 代記、上巻末)
(2)天祖の降跡(あまく)りましてより以逮(このかた)、今に一百七 十九万二千四百七十余歳。(神武紀冒頭)

 ヒコホホデミの在位が580年、ニニギからイワレヒコまでが1792、470年。 これでは「天照→ニニギ→ヒコホホデミ→ウガヤフキアエズ→イワレヒコ」 の系図をそのまま認めることはできない。この時間の提示を古田さんは「深 くて暗い時間の溝」と呼んでいる。

 この間(天照→ニニギ→ヒコホホデミ)には、〝何代もの時間の列″が、 いわば隠されているのである。
 この点、『日本書紀』(帝王本紀)も同じだ。こちらは(2)のように、 一層空想的な誇大値が書かれている。ここでハッキリしていることは、

(一) 『記・紀』ともに、「天孫降臨―神武」の間には相当の長い年代が 流れている。
(ニ) しかし、その間の詳しい伝承の記録をなぜか避けている。

この二点だ。そしてそのような不分明の霧の流れの中で、「神武はニニギノ命 の子孫だ」と主張しようとしているのである。この「不分明の霧」の存在は、 津田説のような「後代史官造作説」を裏づけるものだろうか。むしろ、逆だ。 なぜなら、もしこれが「後代の造作」だとしたら、こんな、どう見ても不透明 な叙述は不必要である。簡単に避けられることだ。なぜなら、もっと、もっと もらしく「造作」しうるからである。
 逆に、所与の伝承の不完全さ、あるいは切断・削除後の空隙を十二分に埋め 切れぬまま書いたからこそ、〝このような代物″になってしまったのではある まいか。
 要は、二二ギノ命から神武に至る、完全な伝承は提示しえていないことが 第一。にもかかわらず(あるいは、だからこそ)〝われわれはニニギノ命の子 孫だ″と、あえて主張しようとしたことが第二。この二点の一種不器用で強引 な結合から、右のような「不分明の霧」が生まれたのだ。――わたしには、そ う思われるのである。

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