2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
「南シナ海紛争」の検討(2)

 前回、『南シナ海紛争の沿革をさかのぼれば、日本が「新南群島の所属に関する件」を閣議決定した1938年にたどり着く』と書いたが、誰もがこれは日本による中国・東南アジアへの侵略戦争が南シナ海紛争の根底に横たわっていることを示唆していると思ったことだろう。その歴史的経緯を追ってみよう。

上記の閣議決定の文書に今日の南沙諸島の実効支配争奪戦の元とっなている日仏帝国主義による争奪戦が次のように描かれている(以下、『南シナ海』による)。

閣議決定の文書
― いわゆる新南群島は従来「無主の島嶼」として知られ、1917年以降本邦人は巨額の資本を投下し恒久の施設を設けて仏国を含む外国人がこれを顧慮せざる中にありて、日本帝国政府の承認と援助の下にその開発に従事しおりたるところ、1929年経済不況のため施設をそのままとし一時本邦人が群島を引揚げた。これに乗じて仏国政府は1933年突如軍艦を派して占領し、「国際法上無主の土地なり」との議論に基づき7月15日付をもって仏国主権に帰属すべき旨を宣言し、仏領インドシナ政庁の所轄とした。
― 1936年本邦人が再び同群島において開発に従事するや、仏国政府は本件島嶼における仏国主権を主張し、本邦人に対して仏領インドシナ法規を適用すべき旨を主張し、1938年7月以降は仏国商船を派遣し、人員資材を上陸し施設を構築し、もって同島における行政を現実に行わんとするに至った。
―日本帝国政府は従来の権原を明らかにし、仏国政府の高圧策に対抗するために、仏国が領土権を主張する諸島および新南群島が日本帝国の所属たることを確定する必要に迫られた。そこで新南群島諸島は日本帝国の所属たるべきをもって、別紙の新名称の下に台湾総督府の所管とする。

 「別紙の新名称」はまとめると次の表のようになる。
南沙諸島の日本名
 その後、1941年12月8日に日本軍が、真珠湾を攻撃し、コタバル(マレー半島北東部のクランタン州の 州都)上陸を敢行し、翌42年5月にアメリカ軍がフィリピンから撤退すると、南シナ海周囲はほとんどが日本軍の支配下となった。歴史上例のないことであった。「南シナ海は『日本の湖』となり、この状態は1945年1月まで続く。」(ビル・ヘイトン著・安原和見訳『南シナ海―アジアの覇権をめぐる闘争史』)。

 この「日本の湖」は日本の敗戦により、当然ながら日本はその実効支配を放棄させられる。その後、フランス支配から解放されたベトナム、アメリカ支配から解放されたフィリピン、イギリス支配から解放されたマレーシアが南沙諸島の実効支配を競う事になる。そして、各国の実効支配の結果は次のようになっている。

台湾(1946年)
 鄭和群礁の一角をなす南沙最大の太平島は、1946年に国民政府海軍「太平号」が日本軍から接収した。この海軍艦艇名が島の名称となった。国民政府はその後、大陸から台湾に亡命したが、太平島を今日でも実効支配している。台湾の実効支配はこれだけである。

フィリピン(1971年)
 フィリピンの実効支配する島はティツ島=中業島、ウエストヨーク島であるが、ウエストヨーク島は南沙諸島第三の大きさで、飲用可能な井戸がある。これはフィリピンが1971年に占領して以来、実効支配を続け、滑走路を設けている。

ベトナム(1974年)
 ベトナムは1974年に長沙島(狭義のスプラトリー、単数)の実効支配を始めた。これは南沙諸島で第四の島である。ベトナムはこのほか22を実効支配している。

マレーシア(1979年)
 南沙諸島の南端、スワロー礁=弾丸礁は太平島に次ぐ第二の大きさで、マレーシアが1979年に占領し、海軍基地を設けた。マレーシアはこれを中核として、マリベレス礁=南海礁とアルダシェル礁=光星仔礁、都合三つを実効支配している。

中国(1988年、1995年)
 中国の実効支配は、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシアと比べて最も遅かった。中国は武力でもってベトナムから赤瓜礁を獲得したが、その経緯は以下の通りである。
 赤瓜礁=ジョンソン南礁は、ユニオン堆礁=九章群礁の中核である。1988年3月14目、ベトナムが実効支配していた赤瓜礁を中国が攻撃し、占領した。これを赤瓜礁海戦と呼ぶ。中国は当初木造の小屋を建て、その後コンクリートに改築し、「中国赤瓜」と書いた。この海戦で赤瓜礁の周囲に位置する①永暑礁=ファイアリー・クロス礁、②華陽礁=クアテロン礁、③東軍門礁=ヒューズ礁、③南薫礁=ガベン礁、⑤渚碧礁=スビ礁を手に入れた。この戦闘でベトナム水兵70名以上が死亡している。
 しかし、中国が実効支配したのは「島」ではなく、「岩礁のみ」であった。中国が埋め立てによって「島作り」を本格的に始めたのは2014年~2015年のことである。
中国による埋め立て岩礁
 さて、フィリッピンによる提訴に対して下された仲裁裁定について、安倍政権は「中国完敗」を絶賛し、裁定に従うよう北京に強く要求した。そしてそれに続く中国による「岩礁埋め立て=島作り」が、「中国脅威論」を煽る安倍政権にとって恰好の材料と成り、戦争法強行採決のための援軍としても悪用された。

 しかし、仲裁裁定には
『南沙諸島に「島」は存在せず、中国、台湾、フィリピン、ベトナムなどが実効支配する「岩礁」は、200カイリの排他的経済水域(EEZ)を主張できない』とする判断が含まれていた。これに対して、台湾の蔡新政権は、台湾が実効支配する太平島を「岩」と認定されたことに憤り、「裁定拒否」で北京と足並みを揃えた。台湾は
(1)
 台湾を「中国台湾当局」と不当に呼んだ
(2)
 太平島を岩とする法的認定は、台湾の南海諸島及び関連海域における権益を著しく損なう
(3)
 裁定の過程に台湾を呼ばず、意見も聴取しなかった。
 を理由に挙げ、
「裁定にいかなる拘束力もない。政府は南海諸島を引き続き固守し、主権を守りいかなる妥協もしない」
と強い姿勢を示した。そして裁定後、海軍軍艦を太平島に派遣、漁民を上陸させている。

 台湾も日本と同様に、裁定に従うよう北京に要求し、この裁定が中国との対立を強める要素なると考えられていたが、逆に「両岸連携」を示すことになった。

 ところで、この問題は日本にとっても無関係ではなかった。中国が「岩礁埋め立て=島作り」を始めたのにはお手本とも言うべき先例があったのだ。日本所有の沖ノ鳥島である。次回で取り上げよう。
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