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今日の話題

2007年4月19日(木)
政治的リコール権への第一歩

 政治的リコール権については色々な所で触れていますが、その意味のあらましについては次の記事を参照して下さい。
『吉本隆明の「ユートピア論」(4)』
『戦争と平和(2)』

 昨日(4月18日)配信された上田哲さんの「このサイトは革命だ!Vol.162」を紹介します。

(追記 2016年12月29日)
 上田さんは2008年12月17日に亡くなられました。合掌。


 上田さんは13日に強行採決された国民投票法案を「似而非」法案だと厳しく断罪し、はっきりと「九条改正法案」と呼べと、その法案の本質をズバリと喝破しています。

 そして1993年に「真正の」国民投票法案を、上田哲さんと衆議院法制局との共同作業で完成し、国会に提出したそうです。しかし「密室政治の『国対族』が、不当にも法案の受理そのものを拒否させました。」

 私には全くの初耳。不明を恥じています。上田さんの国民投票法案は議会制(ブルジョア)民主主義の欠陥を是正するものであり、真の民主主義に近づくための実現可能な第一歩となると思いました。是非、一人でも多くの人に知ってほしいと思い、長文ですが、以下に上田さんの文章を全文転載します。

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◆ 似て非なるもの ◆
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 似ている様に見せてホンモノでないモノ。似而非と書く。エセと読む。最も不愉快なごまかしの存在だ。

 4月12日、衆院特別委で国民投票法案が強行採決され、13日、衆議院本会議を事もなく通ったいきさつを見てこの言葉が強く脳裏をよぎった。ニセモノめ!と叫んでやりたい。

 自民党と民主党と・・・公明党と・・・後はどうでもよい。国会全体だ。与党案、民主党案とも法案の内容とやり方のすべてのエセについてだ。国の根幹に関わることが、こんなエセで済まされていく。いいか!

 先に言っておくが、日本に国民投票制度を導入すべしと訴え、初の国民投票法案を国会に提出したのは他ならぬ私である。無論、今回の国民投票法案とは全く異質である。

 当時の社会党の違法な妨害で陽の目を見なかったが、あれが通っていればこのようなエセ法案のごまかしは通用しなかったと改めて悔やまれる。

 これについては後述するが、目下、国民投票制度への理解が乏しく、エセ法案への対応について乱れが多い。そこから述べたい。

◇ 怠慢論

 エセなるもの、まず今回の国民投票法案の理由付けについてだ。自民、公明は「憲法に本来定めてある改正手続きが整っていなかったからそれを整えるため」だと言っている。確かに憲法は改正可能なものだから、現憲法に「変えるなら国民投票に掛けて過半数の賛成が必要」と書いてあるのにそれを実施する手続き法がなかったのは長い怠慢だったという言い方は一理あるように聞こえる。

 だが、憲法が変えられるものであることはこの憲法公布以来の国民の深層に存する理解であって、この憲法を早急に変えなければならないという欲求が無かったことがその前にある。

 国民は常時憲法論を戦わせるほど憲法を意識してきたとはいえないが、この半世紀、自民党らが執拗に改憲を唱えてきたのは広く知られていたと言ってよい。自民党がそれを党是としながら国民投票法案の制定に乗り出せなかったのは国民の意思が改憲を求めていないことがあったからだ。国民の「怠慢」ではない。

 それというのも、自民党の改憲論は九条の書き換えに焦点があることは明白であったからだ。これに絞れば国民世論の過半はいまも賛同していないと各世論調査は伝えている。

 だから、自民党は4月15日のNHKの日曜討論でも二階俊博国対委員長が「私達は手続法を作ったからと言って改憲をやると思っているわけではない」とウソを言った。

◇ 九条改正法案

 ウソとはつまり、この国民投票法案は九条改正に絞った手続法案なのであって、私は今後、私の国民投票法案との紛らしさを避けて、このエセ案を九条改正法案と呼ぶ事にする。

 与党が単独採決で九条改正法案を通過させたのは、まさに「戦後レジュームからの脱却」を叫ぶ安倍内閣が、九条改憲のスケジュールを進めるために踏み切った故であって、いまの国会の勢力分布では何でも通ることの一例に過ぎない。

 防衛省への格上げも、教育基本法も、在日米軍再編成推進法もスイスイだ。

 けれども、これをかくも易々と進ませるのは、自・公過半数の故だけではない。じつは民主党も九条改憲に賛成だからだ。強行採決の前夜まで、自・民は妥協の話し合いを続けていた。しかもほぼ合意に近かった。だから、衆議院特別委員会で中山太郎委員長が「強行」する時、委員長席に駆けつけた民主党ら野党議員はマイクを机から払い落とすくらいでさしたる抵抗もせず採決させてしまった。

 これが「強行」だろうか。

◇ 小沢戦略

 別に昔のように躯をぶつけて委員長席を奪い、一晩中占拠して採決を遅らせたことがいいと言うのではない。少数派にとってはそれも虚しい。

 けれども、本当にこの法案が国民のためでなくやり方が理不尽なら、野党はもっと態度で示すことになるのではないか。民主党が反対に回ったのは、ただ一点の違いを理由に小沢・菅が「反対」と決めたからだ。

 もともと、国民投票に掛ける前の国会での改憲案の発議には国会議員の三分の二の賛成が要る。自・公の他に民主党の賛成が必要だ。だから自民は自・公・民の一致した賛成を目標にしていた。それが5月3日の憲法記念日までになどと言い出してきたのは安倍総理が「私の任期中に改憲をめざし参院選の争点にする」と言いだしたからだ。

 与党のシナリオの中には民主党の中に自民案に賛成する造反組もあり得ると言う見方さえあった。小沢は党内をまとめなければならない。安倍程度の小粒と党首討論まで逃げまくり徐々に党内支持も薄らいでいる小沢にしてみれば、ここで自民の国民投票法案に賛成してしまったのでは参院選のハリを失う。造反組も出してはならぬ。

 そこで民主党の独自の修正案を出し、これを与党が丸呑みするならいい、という無理スジの策にでた。つまり丸呑みできない対案を出せというわけだ。滑稽なことに、それまで「改憲論を参院選の争点にしない。もっと身近な格差論で戦う」と言っていた小沢の変身である。一転して改憲が参院選の争点こなった。この人物には政策や主張の整合性などは露ほどもない。党の修正案を出せばこれに賛成することで造反組も自民案に反対することになる。党は一本でいける、と言う計算だ。

 丸呑み案の作成を委された民主党の枝野幸男・憲法調査会長が説明のために開いた党調査会には30人ほどしか出席しなかった。

 特別委員会で強行採決の前夜11日、議員会館の枝野氏の部屋に自民党元理事の船田元氏が訪ね「丸呑み」に近い案で同意した。この線に改憲派の鳩山幹事長は乗り気だったが、小沢・菅両氏がこれを阻んだ。枝野氏は採決の直前、筆頭理事を辞任した。

◇ 反対法案つくりの口実

 このように元々、この法案は九条改憲のための政治論の駆け引きだから、強行して早く成立させるか、理屈を立てて与党案に反対するか、どちらが参院選に有利かという思惑だけだ。

 与党案に反対した民主党はもともと九条改憲に賛成なのだし、最後に残った1点はただの口実にすぎない。もし、真剣に議論するなら例えば最低投票率の問題など、看過できまい。国民投票の投票率が低かったら、有効投票の過半数では例えば40%の投票率では全国民の21%で改憲がなされることになってしまう。こんなことに手をつけず、急に思いつきの一点を持ち出して「さあ、丸呑みするかかどうか」と言う。

 その手法も問題だが、じつはこの一点の中身こそ私はどうしても許せない。

 それは国民投票のテーマを改憲だけでなく、「国政の重要問題に拡大」することなのだ。

 私がエセと怒る理由の最大は、ここにある。民主党は、「国政の重要問題に拡大」を真剣に考えていない。ただ自民党案に反対の修正案つくりに利用しただけだ。この駆け引きが終われば、この主張を続ける意思など全くない。

 政治生命を掛けて国民投票制度の確立に賭けて来た私としてはこのまがい物の政治手法に言いようのない侮辱を感じる。

 小沢よ、恥を知れ。これは最も低次な剽窃ではないか。

 それにしても、かつて社会党で護憲派と自称していて今、民主党内にいる議員諸君、何を考えているのか、さっぱり見えない。

 エセを排し、正論を述べる。

◇ 本邦初の国民投票法案
 じつはこれこそ、1993年6月14日、私が国会に提出した本邦初の「国民投票法案」の骨子であった。

 正式には「国政における重要問題に関する国民投票法案」と言う。

 思いつきや真似ものではない。世界190か国のなかで国民投票制度がないのは日本だけだ。相次ぐ汚職事件、年々高まる政治不信のなかで、ロッキード事件の調査委員長だった私は、政治浄化の道を真剣に模索した。

 間接民主主義の日本の議会に国民投票という直接民主主義の手法を有効に取り入れることだ、そう発想した私は10年掛けて資料の収集、研究に取り組んだ。

 これを衆議院法制局に持ち込んだ。国民投票制度に最も消極的なのは各党の国対族である。各党間の裏取り引きで利権政治をむさぼってきたからである。国対委員長は公職でない。裏のボスなのだ。国対族は「国民投票制度は愚民政治。国会の権威を蔑ろにし独裁者を生む」と言った。この考えを受けて法制局は「日本議会ではこれを認めません。憲法違反です」と言う。

 その法制局を説得し、法制局の手で「法案要綱」が出来たのが1992年12月。1993年2月、堂々たる10章66条の大法案が完成した。折から、リクルートなど相次ぐ汚職事件の中、政治改革の行方が小選挙区制や政党助成金の創設というごまかしの方向へ流れる中、衆議院法制局は「これこそ政治改革」と胸を張った。

 私はそれを印刷製本して衆参、各党の全議員に配った。反響は大きく、越智伊平運輸相は毛筆で賞賛の手紙をくれた。勢い込んで私はそれを党の政審に持ち込み、国会提出を依頼したが、その政審は派閥の固まり。無派閥の私の提案にはけんもほろろ。全く取り合わなかった。

 やむを得ず、私は国会法56条の規定に従い法案提出を図った。国会法56条の規定は次の通り。
「議員が議案を発議するには、衆議院において議員20人以上、参議院においては議員10人以上の賛成を要する。ただし予算を伴う法律案を発議するには、衆議院において議員50人以上、参議院においては議員20人以上の賛成を要する」

 村山富市国対委員長、日野市朗政審会長に通告した。村山国対委員長は賛成署名したのだ。私は毎日各議員の部屋を回り署名を集めた。嶋崎譲副委員長、山口鶴男書記長も署名した。私は衆議院事務局と打ち合わせ会期末の法案締め切り日の6月14日まで走り回った。95名になった。

 中島議案課長は署名簿をみて「初めてです」と驚いた。

 ところが、ここで社会党が妨害に出た。村山国対委員長が「オレの印が無いから受け付けられぬ」と事務局に命じる。前述のように国対委員長は公職でなく、印は私印である。議員立法に国対委員長の印が要るなど、どこの法令にもない。公開質問状に対して緒方事務総長は「手続は充たしている」と認め「しかし慣例で国対委員長の印が要る」と回答した。

 私は、この国会の違法を最高裁まで争った。後の裁判で、そんな慣例もなかった事が明らかとなった。

 緒方氏の次の事務総長谷福丸氏は「あれは国会の間違いだった」と証言してくれた。昨年の「戦後60年軍拡史」の出版記念会にも来てくれてそう言った。

◇ いまあるべき国民投票制度

 さて、私の国民投票法案の中身である。それは何より現憲法と矛盾しない仕組みで構成されている。衆議院法制局に私が求め合意した点を要約すれば次の通りだ。

(1)議会制民主主義を根幹として、国民投票法はそれを主権者の意思で補完する制度とする。
(2)国民投票のテーマの発議は国会におき、投票の結果は直ちに法の改廃に直結するものとしないが、国会はこの民意を最大限に汲み上げるものとする。
(3)以上の立場から現行憲法を改正すること無く、現憲法下での国民投票制度とする。

 第一章 総則(この法律の趣意)にはこう書かれた。
 第一条 国政に関する国民世論の動向を把握し、国会の審議に反映させることが重要であることにかんがみ、国会が自らすすんで国民投票によって国政の重要な諸問題についての国民の意見を聴く方途を講ずるため、国民投票に付する案件の決定、投票の方法、投票の管理その他国民投票の実施に関し必要な事項を定めるものとする。

 この法案には色々な工夫が凝らされている。
 例えば、国民投票は当面、年1回10月第1日曜日に行う。国会はその2週間前までにテーマを決めて発表しなくてはならない。 (第五条 国会は2週間前までに中央選管を通じて国民投票に付する案件を官報で告示しなければならない)

 各党は思惑が違う。各党がどんな利害でどんなテーマを選ぼうとしたか、国民にその過程が分かる。国対でこっそりというわけにいかない。

 例えば、各党の意見がまとまらず今年の国民投票が出来ないことがあるかもしれない。それはどの党の責任か、次の選挙の参考になる。

 この法案には、予算書も事務管理に当たる選挙管理委員会の業務もきちんと書かれている。

 ところが、4月15日のNHKで二階国対委員長が言った。
「国民投票を国政の重要問題にまで拡大したら、国会の主権が侵される。国会の空洞化だ」

 呆れるではないか。昔から国対族が言ってきたことそのままだ。

 間違ってもらっては困る。主権者は国民である。国会はその代理人なのだ。それを間違って、世襲議員ばかりが蔓延って国会の過半数を占めれば、国民をどんなに裏切る政治をしても許されると思い上がっている。とんでもない。

 かりに消費税率の引き上げを国民投票に掛けたとして大反対の結果が出た場合、わが国民投票法案は「投票の結果は直ちに法の改廃に直結するものとしない」となっている。「国会はこの民意を最大限に汲み上げるもの」としている。

 こんなに反対が多くては政権が危ない。税率の引き上げをやめようと考えるのも政権にとって助け船だし、いや、それでも引き上げは将来のため必須のことだと判断すればあえて民意に引き上げを問うのも政治の決断だ。どちらにしても民意を聴かない方がよいなどと言うことはあり得ない。

◇ 世界では日常のこと

 思えば、初の国民投票法案が生まれた時、ヨーロッパでは「欧州連合」に加盟するかどうかで各国が国民投票で燃えていた。スウェーデンとノルウェーでほぼ同じ時期に国民投票を実施した。スウェーデンでは52.4%対46.9%で加盟賛成。ノルウェーでは、ちょうどその逆の数字で否決となった。投票率はスウェーデンは82%、ノルウェーでは88%だ。日本の国会議員選挙では40%台に低迷しているのにだ。

 フランスでもミッテラン大統領がテレビに出ずっぱりで1%を争った。これで各国の議会が空洞化したなんて誰も思いはしない。アメリカでも中間選挙の同じ日に各州毎に州の法律を決める国民投票が行われる。オレゴン州の安楽死法、カリフォルニア州の禁煙禁止法、などユニークな法が決まる。

 スイスは年4回行われる。1989年11月、ベルリンの壁が破れた時、スイスでその2週間後に軍備撤廃を問う国民投票が行われた。たまたま、国民請求の国民投票が重なったのだが、常にこういう機会を持っている国は健全だ。ちなみにこの国民投票は撤廃派が負けたのだ。永世中立国のスイスでもどっとムードに流されることはない。

 オーストリーで、完成してボタンを押すばかりになっていた原発が国民投票で否決された。敗れた首相クライスキーは直ちに原発を廃棄した。それが信頼を集め、異例の長期政権となった例もある。

◇ エセ評論

 ところで、いま出てきたエセなる九条改正法案をめぐって国民投票法案の制定に賛否の戸惑いがある。特にいわゆる護憲派の中の揺れだ。

 朝日新聞がここ数回、色々な人から意見を聞いている。多く混乱している。

 海軍史の研究家・戸高一成氏は「憲法の理念は守るべきだが現状の憲法解釈で自衛隊をコントロールしていけるか。法律と現実の乖離は好ましくない。法律は改正すべきだ」(4月11日)。

 住民投票に詳しい今井一氏は「私は改憲の是非を問う国民投票法を作るべきだと訴えてる。護憲派の中のどんな内容でも反対というのは論外だ。憲法改正の権利行使を自ら侵害している。国民投票法が改憲への一里塚だと主張する護憲派はリスクを回避している」(4月13日)。

 漫画家の間瀬元朗氏は「自衛隊を海外に派遣するたびに悩まなければならない。護憲派も改憲派も悩むことが大切だ」(4月14日)

 イラク戦争に反対してレバノン大使を辞任した天木直人氏は「私は国民投票法を作る事には反対しない。国民が改憲にノーという事実を作ることが合法的な革命だ」(4月14日)

 名古屋大学大学院教授で憲法の浦部法穂氏は「自民党の新憲法案は公共の福祉を『公益及び公の秩序』に置き換えた。これは現憲法の人権保障の理念の180度転換だ」(4月15日)

 率直に言ってなるほどと思えない。
 もともと政治論なのだから法案自身を潰すべきだ。憲法9条は守りたいが、憲法と自衛隊の存在は乖離している。どっちかに整理しては。手続法までは作ってもいいのではないか。その後憲法9条を護る過半数を作るべきだ。ワイマール憲法が崩れた時と似ている‥…と言う。

 朝日はだいたい護憲派から選んでいるようだが、いずれも今進行している政治状況にどう対応すべきか語っていない。護憲派にしてみれば九条改正法案が成立してしまえば何とか改憲阻止の過半数を取ろうとするのは当たり前で、じつはそこからが本当の戦いだと賢しげに言うのは最も現状回避の評論だ。

 企画した朝日はどう思っているか。4月14日の社説で次のように書いた。

 『国民投票法案 廃案にして出直せ』
「国民投票法案が対決路線の中で打ち切られたのは不幸なことだ。一昨年来、自公民3党が改憲の手続である国民投票法の仕組みを審議してきた。法案反対の共産、社民も審議に参加してきた。私たちはこの法案作りは出来るだけ幅広い政党のコンセンサスをつくって進めるべきだと主張してきた。少なくとも野党第一党の賛成を得ることがのぞましかった」

 ではどうする。
「世論を見渡すと憲法についてどうしても改正すべきだと多くの人が考えている論点は今のところ無い。参院は法案を廃案にしたうえで参院選の後の静かな環境の中で与野党の合意を得られるよう仕切り直すべきである」

 どうやら、国民投票法つくりは必要であって、それには自公民3党の合意が望ましかった。返す返すも民主党の脱落は残念だった。ついては参院は法案を廃案にせよと言う。

 朝日が自民党の九条改正法案を単なる手続法案と捉えていたのは意外である。

 その上、参院で廃案にせよ、とはいかにも気楽ではないか。少し過激に言うが、ワイマール憲法体制が崩れたときと似ている‥‥‥と叫ばねばならない気がする。民主主義の青空ともいえるワイマール憲法体制をヒトラーの独裁政治の誕生に手渡したのは民意と言論の鈍感さであった。

自民党を喜ばせるな

 九条改正法案である自民党の国民投票法案を単なる手続法案と捉える立場では、根底の政治論が抜け落ちている。オオカミが戸口まできているのに、挨拶くらいはいいじゃないか、ということになる。改憲論のカオを半分立てないと辻褄が合わなくなる。

 参院で廃案を、には自民党は笑うだろう。

 多数を握れば何でもやってしまう与党に太刀打ち出来ないのは現実だが、九条が大切というなら、その大切さをもっと緻密に説明し、エセに対抗する正論を拡げるべきだ。

 かねて私が社会党の中で主張してきた事を繰り返せば、憲法の真髄である永世中立論を研ぎ澄ませ、護憲、護憲と念仏のように唱えるだけでなく、具体的な政策を提示して世論の理解を得るべきだ。アメリカの核の傘のなかに身を投じるミサイル防衛計画や日本の首都に米世界軍事戦略の司令部を許す在日米軍再編成が九条改憲と一緒にやってくる事などもっと熱心に訴えるべきだ。安保は票にならないなどと言っている政治家は原点に戻るべきだ。それは今からでも遅くはない。永世中立政策の具体論は拙著「戦後六〇年軍拡史」に譲る。現実的に幾らでもある。

 国民投票法案については、やはり、エセでない真性の国民投票法案を提示して九条改正法案である自民党の国民投票法案と対決すべきだ。

 もし真性の国民投票法がすでに成立して、年金でも、医療でも、教育でも、海外派兵でも国民投票に掛ける社会になっていたら、急に投票年齢を18歳にしたり、公務員の活動を云々したりして改憲のためだけに限定する国民投票法が出てきたら、主権行使に馴染んだ国民はその唐突さに違和感を持って忌避するだろう。今からでも遅くない。その話し合いを始めようじゃないか。

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