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2007年3月27日(火)
狆ゾウの欺瞞と浅はかさ

 『週間金曜日』(3月23日号)の「吉田有里の政治時評」で、吉田さんは『朝日新聞』(2月26日)の豊秀一記者の「歴史と向き合う」という記事を紹介して、次のように書いている。

 安倍晋三首相は、著書『美しい国へ』の中で、「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」と問いかけ、それを体現した存在として、「如何にして死を飾らむか」「如何にして最も気高く最も美しく死せむか」と書き残した特攻隊員鷲尾克己少尉の日記を紹介している。

 ところが豊秀一記者が日記を読み進めると、安倍晋三首相が美化した部分を書いた約4ヶ月後に鷲尾少尉は、「気高く死ぬる必要なし」「美しく死ぬる必要なし」と、全く違った言葉を吐露していたのだ。

(中略)

 事実は違っていた。鷲尾少尉は、最後の最後まで命じる国を問い、もがき、苦悩した。そして最後に、明らかに狂った国家が求めてくる非情な命令を受け入れるしかなかったのだ。その姿にこそ、私のような者にも通じる何かを見出すことができる気がした。

 豊記者が明らかにした事実は、他人事のように、国家のための死を「美しいもの」にできる安倍首相の欺瞞と浅はかさを明らかにした。そして、事実を闘わせる政治に身をおく者として、私自身も「事実の前に謙虚にならなくては」と、改めて痛感した次第だ。

 自分の都合のよいところだけを引用する詐術までポチ・コイズミを継承している。まともな感性をもつものなら、たとえ六十数年も前のことであっても、死を強いられた特攻隊員に大いなる苦悩や怨念があっただろうことは容易に想像できる。「美しい」などという陳腐で浅薄な評言で言い済ますことなどは、とてもできない。

 六十数年前ではなく現時点でのことなら、ポチと狆ゾウの想像力はリアルに働くだろうか。イラク侵略の手伝いに駆り出された自衛隊員の死の危険を、ポチと狆ゾウはどのように考えているだろうか。

 特攻隊員に感動して見せるポチと狆ゾウの「欺瞞と浅はかさ」を見事に示している記事があった。東京新聞(3月25日)の「新防人考1」より。

 昨年九月、首相官邸。安倍普三官房長官(52)=当時=のもとへ空自幹部が報告に出向いた。

幹部「多国籍軍には月30件ぐらい航空機への攻撃が報告されています」
安倍「危ないですね」
幹部「だから自衛隊が行っているのです」
安倍「撃たれたら騒がれるでしょうね」
幹部「その時、怖いのは『なぜそんな危険なところに行っているんだ』という声が上がることです」

 政府決定通りの活動を続け、政治家に知らんぷりをされては、屋根に上ってはしごを外されるのに等しい。安倍氏は答えた。

「ああ、それなら大丈夫です。安全でないことは小泉首相(当時)も国会で答弁していますから」

 確かに小泉純一郎氏は国会で「危険だからといって人的貢献をしない、カネだけ出せばいいという状況にはない」と述べている。「危険」は首相のお墨付き、というのだ。

 なんと言う無責任な奴らだろう。自分たちは現実の戦闘から最も遠い安全なところでふんぞり返っていて、死に対する想像力を全く欠いた次元で自衛隊員の死をもてあそんでいる。そしてもし戦死者が出れば、「美しい!」「感動した!」と涙を流すのか。
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