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2007年3月26日(月)
特攻隊員怨念の刀傷

 東京新聞(3月24日朝刊)のコラム「心のファイル」で瀬口晴義記者が『城山三郎さんと「伏龍」』という追悼文を書いている。その中の一節。

 経済小説で有名な城山さんの原点は、敗戦間際、海軍特別幹部練習生に志願した体験だ。戦争があと数カ月長引いていたら、伏龍特攻隊の要員になるはずだった。

 伏龍は、海底に潜む兵士が、竹ざおに装着した爆雷を敵の舟艇に突き上げて自爆する本土決戦用の部隊だ。

 漫画のような発想だが、三浦半島の久里浜や野比などで実際に訓練が実施され、装備が不十分なために殉職した兵隊が相次いだ。戦争指導者の愚劣さが凝縮されたこの特攻を発案したのは、山本五十六元帥の懐刀といわれた黒島亀人少将。予科練生たちの乗る飛行機がなくなり、余剰人員の〝有効活用″という背景があった。

 これが大日本帝国の戦争指導者の本性なのだ。もう狂っていとしか言いようがない。さらに瀬口さんは、城山さんから直接聞いたという次の話を伝えている。

 大分県中津市の料亭に、特攻隊員が出撃前夜の最後の一杯を飲んだ部屋が残っている。そこを訪ねた城山さんは次のように語ったという。

 柱や鴨居(かもい)が刀傷だらけ。明日、出撃するという悲しみとうっぷんを晴らそうと、狂ったように刀を振り回したんでしょうね。『特攻を考え、命じたやつは、修羅だ』という怨念の声が聞こえるような気がしました。

 続けて瀬口さんは言う。

 特攻は多くの場合、志願ではなかった。命じられた側は、絶望をのみ込んで出撃した。城山さんは特攻を命じた側には常に厳しかった。

 「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。それが城山さんの持論だ。

前回紹介した「軍神の母」は、知覧の特攻記念館を訪れて涙を流したというポチ・コイズミを叱咤して書かれた「泣くより怒れ」という小文の中のエピソードだった。その文を佐高さんは

 ただ、私はやはり、特攻記念館を訪れて涙する首相ではなく、怒りを新たにする首相であってほしいと思う。自らが同じ過ちを繰り返さないと誓うためにも、そこは感激して泣く場所ではないのである。

 さて、ポチの跡を継いだ狆ゾウはどうだろうか。(次回で)
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