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今日の話題

2007年2月6日(火)
柳沢厚労相の失言「女性は生む機械」について

 柳沢の失言が問題になってからもう十日を過ぎるが、まだ収まりそうもない。私の感想も述べておきたくなった。

 其の失言の報道に接したとき、私の脳裏にまず浮かんだのは「生めよ、増やせと」という戦前の国策スローガン(?)だった。当時女性は兵士という機械を生む機械だった。もちろん男はそのための一部品に過ぎない。それと同じだなと思った。つまり、あれは失言などではなく、本音なのだ。支配者にとって被支配者は何時だって「手段」でしかない。昨日取り上げたビルダーバーグ・クラブの被支配層の人間家畜化計画でも明らかなように、被支配者への蔑視は奴等の習い性だ。

 『人間を手段としてのみならず同時に目的として扱え』というカントの格律の「他者を目的として扱う」とは「他者を自由な主体」と考えよ、ということだ。柳沢の失言が責められるとすれば、そのような倫理観の欠如という点においてだ。しかし、そのような倫理観は、柳沢に限らず、権力の中枢に巣食う守銭奴たちには求めようがないのが現実だろう。連日報道される政治家や官僚や資本家の不祥事のほとんどは不正なあるいは法の網の目をくぐった狡猾な蓄財問題だ。「きっこの日記」によると、柳沢も妻とグルで不当な蓄財に励んでいるそうだ。

 柳沢の失言が、「少子化」を憂慮し、この国の行く末を案じての発言だと好意的に解釈しても、其の矛先の向けどころが全くトンチンカンなのだ。安心してこどもを生めない、生んでもその子供の将来に希望が持てない。日本をそのような国にしてしまったのは独裁をし続けてきた自民党ではないのか。「醜い国」とか「絶望の国」とかふざけたスローガンを掲げて、相変わらず一般民衆を愚弄するようなが政治が進められている。安心して子を生み育てていけるような美しく希望の満ちた国にするための政治に転換することこそ、いまお前らに求められている第一義的な問題だろう。

 2月3日の東京新聞「こちら特報部」がこの問題を取り上げて、田村隆一さんの詩を紹介していた。感想は一言、わが意を得たり!




「恋歌」 田村隆一

男奴隷の歌  恋をしようと思ったって  ひまがない  手紙を書くにも字を知らない  愛をささやく電話もない  それでも赤ん坊が生れるから  不思議な話  男の子は奴隷の奴隷  女の子は奴隷を産む機械  それでも  恋がしてみたい  それでも愛をささやきたい  言葉なんか無用のもの  目と目で  生命が誕生するだけさ 女奴隷の歌  わたしは機械を産めばいい  いつのまにか  お腹が大きくなって  満月の夜に  わたしは機械を産むの  男の子だったら機械の機械  女の子だったら機械を産む小さな機械  仔馬の赤ちゃんだったら  生れたとたんにトコトコ走って行くけれど  人の子って  ほんとに世話がかかる  ヨチヨチ歩きまで三百日  機械になってくれるのが三千日  奴隷になるのに六千日  愛って  ほんとに時間がかかるもの  それでも  お腹だけはアッというまに大きくなるわ コーラス  奴隷には  涙も笑いもいらない  働いて働いて  ただ眠るだけ  鳥や獣や虫がうらやましい  遊んでばかりいて  たっぷり眠り  たっぷり恋をして  そのくせ  機械を産まないんだもの  そのくせ  機械を産まないんだから



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