2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
(2007年1月17日・18日・20日の「今日の話題」は阪神淡路大震災に関連した記事なので、まとめて掲載します。)

今日の話題

2007年1月17日(水)
阪神淡路大震災と自衛隊

 12年前の今日、阪神淡路大震災が起こりました。死者六千人以上の大災害でした。

 あの大災害から学ぶべきことが多々あります。それを省みようと思います。さまざまな人が記録や論評を残していますが、管見によれば、やはり吉本さんの論稿が秀逸です。用いている資料はすべて私(たち)と同じように新聞から得られたものだけですが、そこから多面にわたって多くの重要事を引き出しています。私はそのほとんどに共感します。(以下、引用文は吉本隆明著『超資本主義』からです。)

 私は1983年の雄山大噴火のとき、三宅島に住んでいました。幸いに死者は一名も出しませんでしたが、一つの集落が溶岩に埋まり、新澪池と呼ばれていたきれいな湖が蒸気爆発し、一夜のうちに島中が火山灰によって覆われ、緑の島が真っ黒な島になってしまいました。そのときは島は死んだと思いました。
 その後、私が東京に移住した後ですが、2000年には膨大な火山ガス噴出をともなった致命的な大噴火に襲われたことは、皆さんまだ記憶に新しいと思います。昨年、島民の皆さんがなんとか帰島出来るようになったことを喜びたいと思います。島での生活の再開はひとしお厳しいものと推察しますが、早く平和な生活を取り戻されるよう心より祈りたいと思います。

 さて、私が遭遇した噴火のときは、屋根や庭に積もった大量の火山灰に呆然としました。コイズミがまきちらした嫌いな言葉ですが、我が家の始末は「自己責任」、自分たちでやるほかありません。除去作業は一体何時終わるのか、途方にくれたものでした。(縁戚の方が手伝いに来てくれたときは、それこそ地獄に仏の思いがしたものでした。)

 停電や断水にも参りましたが、一番困ったのは交通手段でした。島では自家用車が使えないと日常生活は不都合だらけになります。我が家のこともさることながら、降り積もった火山灰で道路が全て自動車走行不能になってしまったことが大問題でした。

 その道路の火山灰を撤去してくれたのが自衛隊です。災害救助隊としての自衛隊がその力をまざまざと発揮してくれたのでした。

 阪神淡路大震災を省みるのがテーマでしたが、つい前置きが長くなりました。まず自衛隊の活躍を振り返って、自衛隊の望ましいあり方を考えます。これは防衛庁が省に昇格してしまった現在でも、もちろん、何ら変更の必要はありません。

 自衛隊の性格については、村山内閣は「合憲」の存在だという解釈に立っている。別の言い方をすれは実質上国軍であり、直接、間接の侵略にたいする防衛任務も、海外派遣も、災害救助も国家(政府)の指令さえあれば実質上可能だという立場にしてしまっている。この詐術ともいうべき村山内閣の解釈が許し難いことは再三いってきた。そこで、わたしも自分の個人的解釈をはじめにはっきりしておこうとおもう。

 わたしは自衛隊を非憲(違憲とちがう)存在で、国軍でもなければ直接、間接の侵略(そんなことはおこりえない)にたいする防衛任務をもつ武装力だとおもっていない。強いていえば内外の非常災害(戦争ではない)にたいする救援ボランティアこそが本来の存在根拠(無根拠)に近いとかんがえる。今度の阪神大震災のようなばあい、即時に長官または現地方面の総監の指令で、人命の救助、防火、防災、救援の活動にたずさわることが本来の最重要な任務だとおもっている。

 そしていうまでもなく国連外人部隊として海外に派遣されて地域国家の内戦に干渉し、生命を失ったり失わせたりすることは、悪しきボランティアとして、けっしてやってはならないことだ。

 これだけのことを前提としたうえで、阪神大震災にたいする自衛隊の対応の仕方をみてみる。

(1)
 1月17日、地震発生の直後、午前6時30分、兵庫県伊丹署から伊丹市内の第三師団に電話で「警察官の活動を援けてほしい」という要請があった。その5分後に姫路市内の第三特科連隊に、姫路署からおなじ主旨の要請の電話があった。

(2)
 第三特科連隊は10時14分250人の派遣隊を出発させた。3時間後に神戸市の兵庫署と長田署に到着し、人命救助活動に入った。

(3)
 伊丹市にある第三十六普通科連隊(850人)は、県の正式要請をまたず午前8時ごろまず250人を派遣し、阪急伊丹駅と西宮市で人命救助等の活動をはじめた(自衛隊法では駐屯地近くの災害には県の要請がなくても自主出動できる)。

(4)
 近畿二府四県を受けもつ第三師団は、五つの連隊4,800人で、17日夜までに7割近くの人員が被災地に投入された。

(5)
 第三師団(本部伊丹市)、第十師団(本部名古屋)、第十三師団(本部広島)の指揮権は、中部方面総監部(本部所在伊丹市)にあり、松島悠佐総監は、17日夕方、第十、第十三師団の給水部隊 だけを、総監独自の判断で災害地に出発させた。

(6)
 兵庫県知事からの出動要請が海上自衛隊にあったのは、17日午後7時50分。航空自衛隊には18日午後9時になってから、救援物資の輸送について要請があった。

 およそこんなところが、報道された自衛隊の行動だ。感想を申し述べれば阪神大震災にたいするこの自衛隊の行動は、その迅速さ、有効性からみて、申し分ないものだった。自衛隊の存在の本質をボランティア的なものと想定するかぎり(現在のわたしの願望だが)、完璧に近いものだといっていい。

 ところで阪神大震災の出動について、問題になったのは自衛隊の任務として防衛出動と災害出動の関係ということだった。わたしは自衛隊法を確かめたことはないが、報道によれば自衛隊は、自衛隊法第三条によって、直接、間接の侵略にたいする防衛任務を本来の任務とし、阪神大震災のような災害にたいする出動は第百条によって「雑務」に属するとされている。これはさしあたり二つの観点から批判することができるとおもえる。

 ひとつは村山内閣や村山社会党のように自衛隊の存在を合憲と解釈することで、実質上の国軍として内閣の指示さえあれば、いつでも出動できるから、防衛出動と災害出動とを区別する必要はないということになる。要は政府の「緊急対策本部」の指令だけだということだ。

 もうひとつはわたしの見解では自衛隊はもともと内外の非武装、非戦ボランティアにしか存在の根拠(存在するという事実は認めるとすれば)がないのだから、今度の阪神大震災こそは本来的な任務の場所だと考えることだ。すくなくとも阪神大震災における自衛隊の挙動は、深くこの間題をわたしたちにつきつけたといっていい。

 わたしたちは災害地における自衛隊の優れたボランティア活動があったからといって、自衛隊の国軍化をなし崩しに容認したり、容認する報道機関の風潮を是認したりすべきではない。わたしたちはまたひとつの岐路を、どちらへ向かうかという問いをつきつけられたと解すべきだとおもえる。

 そして絶望的だが村山社会党の自衛隊合憲論と日共の黙認をあくまでも拒否すべきだとかんがえる。これは阪神大震災における自衛隊の優れたボランティア活動を見事だと認めないことを意味していない。すくなくともわたしたちは人命救援に党派を持ち込むスターリン・ソフトや社会ファシズムを拒否する立場からものを言っている。

2007年1月18日(木)
阪神淡路大震災:罹災者からの伝言

 昨日の東京新聞(夕刊)は阪神淡路大震災の死者の慰霊と罹災者の現在を一面トップで取り上げていました。それによると、阪神淡路大震災の死者は6434人とありました。吉本さんの記録は、言うまでもなく、震災直後のものです。

 テレビが伝える死者の名前と年齢をみていると、60歳以上の老齢者が圧倒的におおく、40~50歳の壮年と3歳以下の乳幼児がときどきまじっていた。また新聞によっては(「読売新聞」95・1・22)死者の年齢をとりだしている。それによると、60歳台が約19パーセントでもっともおおく、70歳台約18パーセント、50歳台約14パーセント、80歳台約22パーセントとなって、50歳以上の高齢の死者が64パーセントを占めている。また高齢の女性の死者の割合が男性よりも多いとされている。

 死因は窒息死が大多数だと伝えている。この二つの事実から想像されるのは、家屋が倒れたり住居ビルの一階がつぶれたり、火事になったりして、逃げおくれて下敷になったりした足腰の不自由な老人と乳幼児は、煙や塵埃にまきこまれて窒息するばあいがおおかったことを暗示しているようにみえる。

 わずかな数の被災者の声が新開に報道されているから、それを列挙してみる。

(1)地震がおきた瞬間は何もできない。火を消す、預金通帳をもちだす、非常食を持つ、などの余裕はなかった。
(2)水がないのがいちばんこたえた。
(3)情報不足で、避難場所もわからなかった。
(4)ラジオはもつべきだ。
(5)生き埋めの人がいると告げても警察官に自分たちでやってくれと言われた。
(6)年寄りはベッドから立ち上ることもできなかった。また避難もできなかった。
(7)トイレの洗浄水に困った。
(8)行政は出所の確かな情報をすぐに流してもらいたい。
(9)救援物資は地方自治体が個人の寄贈をとりまとめて送ってもらいたい。
(10)一階が駐車場や店舗で二階から上が住居というマンションは押しつぶされやすい。
(11)建物(ビル)はたやすく倒れないという神話は崩れた。そういう大地震のときは、ガスの元栓をしめろとか貴重品や常備食糧をもって逃げろとかいう流布された常識もまた再検討がいる。
(12)悪質なデマや流言や食糧パニックはなかった。

 天災(地震)は忘れられたころ、やってくるという格言は、ほかの天然の災害や事故にも通用する。ようするに人間の生活感性は平坦な繰り返しのうえに成り立っていて、おおきな変動を忌むようにできているから、天災も人災も思いもかけず不意うちのように感じられるということにちがいない。

 天然の自然は人間の社会にたいしてまったくの偶然のようにしか暴威を及ぼさない。そしてこのばあい「まったくの偶然のように」というのは天然自然のもつ必然力と言いかえてよいものだ。この必然力が人間の身体や、人間のこしらえた文明や社会や政治の制度よりも巨大な瞬発力を発揮するばあい、人間は抗うことができない。そして天然自然の瞬発力が人間として造られたもの、人間が造ったものを超えない保証をとりつけることは、人間にはできない。このばあい天然自然の暴威を制圧したり、分散させて力を弱めたりできるものが人間にあるとすれば叡知よりほかにはない。わたしたちは天災にたいして受け身であることはできないし、そうであることを納得しない。あくまでも天然自然が暴威として人間におとずれたとき、叡知によって抗う道をゆくほかないとおもえる。

 こんどの阪神大震災で約五千に達すると伝えられる死者や行方不明者の数は、95年のはじめにわたしたちに伝えられてきて、おおきな衝撃と悲しみを与えた。これらの人たちはどんな貴重な体験知をえたとしても、それをじかに聴くすべはない。だが被災した人々は死者や行方不明者に劣らない貴重な経験知をえたにちがいない。それは被害の修復といっしょに、その過程でたくさんの叡知となって発揮されるに相違ないと信じたいことだ。


2007年1月20日(土)
阪神淡路大震災:地震予知は可能か。

 吉本さんは罹災者が語る地震の予兆現象を拾いあげている。

(東京大学地震研究所佃為成助教授調査)
(1)地鳴りとともに道路上に稲妻のようなオレンジとブルーの閃光が四秒間ぐらいオーロラのように 光った。
(2)揺れの直後に東から西へ、中心部が赤いオレンジ、周囲が白の光の帯が地上二、三メートルの高さで走った。
(3)地震の約三時間後に旅館の温泉井戸から白濁した湯があふれて、近くの武庫川に流れ出した。温度が四、五度上昇した。
(4)地震前日、冬眠中のヘビがはいだしてきた。
(5)前夜、ふだん見ないコウモリの群れが飛び交った。
 (以上「読売新聞」95・2・8)

(大阪市立大学阪神大震災学術調査団)
(1)地震の五時間前に、月が異常なオレンジ色に輝くのを見た。
(2)地震雲を見て、既に避難していた。
(3)数時間前に背中が痛くなり、激しいどうきがあった。
(4)飼い主に向かって犬がほえ立てた。
 (「産経新聞」95・2・14)

(「産経新聞」への読者の投書)
(1)動物の異常行動を見た 四十九通
(2)天体、気象、地象の異常を体験 四十四通
(3)自分自身や周囲の人が地震を予知した 十三通
(4)一月十七日午前〇時頃自分の家の飼い犬が尾を振るばかりで立ち上がれずに、台所へ這ってきた。
(5)一月十六日午前三時頃、四、五年出たことのないネズミが天井裏で大暴れした。
(6)一月十六日午後六時ごろ、帰宅の途中月の上下に光がでていた。同八時ごろ月から光が下りてきた。
(7)太いミミズがうじゃうじゃ地面にでてきたのを見た。
(8)二、三日前に近所の電線に数百羽のモズの大群がひしめいていた。飼い鳥、犬、ウサギが暴れた。川のカモメが異様にさわいだ。
(9)南紀のアオリイカが明石、須磨で大漁だった。
(10)一月十六日午後四時頃、大阪湾の堤防で北東の空が光っているのを見た。
(11)㈲昨年十月ごろから体に揺れを感じていた。
(12)昨年十二月以後、地震の夢を三回見た。
  (「産経新聞」 95・2・18)

 かくべつ偽の予兆とはおもえないものばかりだが、確定的な断定は、これらの予兆だけからは成り立たない。現在のところあくまでも個々人の予兆体験として役立つだけだと、言うほかないが、いつか共通の所有になるべきだとおもえる。

 科学的な予知技術はどのくらい進んでいるだろうか。阪神淡路大震災のときの報道で吉本さんが注目した記事があった。

 こんどの阪神大震災に関連して、わたしなどが被災地から遠くに離れていて叡知を感じさせるようなニュースがひとつだけあった。この大震災の前兆とみられる電磁波の異常を、科学技術庁の防災科学技術研究所の藤繩幸雄研究官と郵政省通信総合研究所の高橋耕三などの研究グループが捕捉していたというものだ。

 記事(「東京新聞」95・1・21)によるとこの研究グループは、地殻に変動がおこると、ある波長と波形をもった電磁波が放射されることを、地震の予知に使おうとして、関東地方の七カ所に地中アンテナを設けて観測していた。そのうち茨城県鹿島郡波崎町の観測点のデータを分析したところ地震の七時間ほどまえから1ないし9キロヘルツの長波の放射が頻繁になり、十七日の午前二時から三時までの間にピークを示していたことがわかった。

 この現象はこんどの阪神大地震だけではなく、昨年十月の北海道東方沖地震でも五時間まえからあらわれ、今年一月十日の茨城沖地震でも二時間ほどまえからあらわれたことが知られており、観測点を全国的に配置すれば、すくなくとも被害の大きくなる地震の予知に役立つものだと記されている。

 これはなす術なく連日のテレビの被災情況を見ているだけで、被災者と被災地域にこれからやってくるだろう困難を想像するだけしかできないわたしには、とても朗報のようにおもえて、気分がすこしのあいだ軽くなった気がした。

 いうまでもなく地震が数時間まえでも確実に予知できることは、人間の叡知が天然自然を超ええたことの一つだといえる。なぜなら数時間後におこる自然変動が予知できるとすれば、死者や行方不明者の数をかぎりなくゼロに近づけることができるからだ。建造物の倒壊や生活線の分断や損傷は避けられないばあいでも、いちばん重要な人命に関することはできるかぎり避けられることになる。

 ただこの種の天然自然の必然力にたいして自然の一部分であるにちがいない人間に、その必然力を超える方法があるとすれば叡知を行使するよりほかない。この叡知が自然の必然力の暴威を予知し、対策をたて、それを沈静化する次元が成し遂げられたあとには、その暴威による死者や行方不明者と生きのこった被災者との分離がはじまり、そこでは事後の救援の課題だけがのこされる。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/2184-5f53b761
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック