2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

2007年1月9日(火)
「イタリア抵抗運動の遺書」から

 今日の話題も『戦争と平和』のバイパス記事です。

 昨日『戦争と平和(3) 私たちにはどんな抵抗が可能か』で紹介した『イタリア抵抗運動の遺書』を私は全部は読んでいない。私の脆弱な精神にはつらすぎて、途中でやめたと思う。20年ぶりに取り出して調べたら、しおりは54・55ページにあった。約400ページの本だから8分の1ほどしか読んでいない。

 この本に手紙という形で記録された死者たちは200名ほどですが、これはもちろん、レジスタンスでの死者のほんの一部でしかない。またさらにその中からのたった3人だけですが、私が読んだ範囲から、その魂を届けたいと思います。

アルマンド・アンプリーノ(アルマンド)
 二十歳。機械工。1925年5月24四日、コアッツェ村(トリーノ県)に生まれる。独立派師団《セルジョ・デ・ヴィティス》所属《ルッロ・モンガーダ》旅団のパルチザン。44年5月のスーザ谷における武力衝突や、アヴィリアーナ(トリーノ県)一帯における数々の襲撃に加わる。同年十二月、RAU(警察機動隊)のパトロール班によって、トリーノ市ミラーノ城塞で捕えられる。トリーノ市ヌオーヴェ刑務所に連行され、対ゲリラ法廷で裁判。十二月二十二日、CNR銃殺班により、トリーノ市マルティネット陸軍射撃演習場で、カンディド・ドヴィスとともに、処刑された。


1944年12月22日、獄中より

 最愛の両親、親戚の皆様、すべての友人たちへ悪い知らせをお伝えしなければなりません。僕とカンディドは、二人とも、死刑を宣告されました。元気を出してください。僕らは潔白です。パルチザンであるというだけで死刑を宣告されたのです。

 僕はいつもあなた方のそばにいます。

 山岳地帯での、長く厳しい暮らしのあとで、こんなふうに死ななければならないなんて……でも、天国では、兄さんのそばで、お祖母さんといっしょにいられるでしょう。そしてあなた方みなのために祈ります。僕はいつでもおそばにいます、お父さん、あなたのそばに、お母さん、あなたのそばに。

 もうすぐ、聖体を届けてくれる刑務所付きの神父様に立ち合ってもらい、落着いた気特で死にます。あとで神父様のところへ行ってください、埋められた場所を教えてくれるでしょう。

 僕のために祈ってください。もしも悲しませてしまったならば、許してください。
 僕の部屋の、聖母マリーアの絵の裏に、少しばかりお金があります。それで、僕のためにミサをあげてもらってください。僕の持物は、村の貧しい人たちにあげてください。

 〈教区司祭〉と〈神学生〉によろしく、そして僕のために祈ってくれるよう彼らに言ってください。勇気を出して。僕のために心を痛めないでください。天国で、あなた方のために祈ります。最後に、多くのキスとクリスマスの祝福を送ります。僕は天上でクリスマスを過ごすでしょう。
 天国でまた会いましょう。

 あなた方の息子 アルマンドより

 イタリア万歳! アルプス兵万歳!



 「いま在ることの恥」、「人間であるがゆえの恥辱」。辺見庸さんは「恥辱」という感性を失った人間の醜悪さを考えつめています。死刑される人に神の祝福をたれる神父に、私はやり切れぬ「恥辱」を感じる。

 闘ったのは若者だけではなかった。

ジュゼッぺ・アンセルミ(ピッポ)
 六十一歳。仕立屋。1883年2月12日、サンレーモ市(インぺーリア県)に生まれる。公然たる反ファシズム活動家。ファシスト幹部が公式訪問でサンレーモ市へ出向くたびに警察の措置によって検束を受ける。サンレーモCLN創設者の一人で、武器の調達、山中で離散した軍の兵士の補導、サンレーモ一帯の武装隊組織に活躍。サンレーモ周辺方面部隊を指揮、同隊は兵員の七割が戦死。1944年8月末、GNRおよびUPI隊員に捕えられ、度重なる拷問を受ける。同年11月6日、カステルヴェッキオ(インぺーリア市)にて、GNR隊員殺害への報復措置として、アルマンド・デンツァ、ルイージ・ノヴェッラとともに、銃殺された。


 いとしい子供たち、母上、兄弟姉妹へ

 今夜、処刑されることを、告げられた。

 私の一生がまったく誠実だったこと、ひたすら家族に尽した一生だったことは、誰よりもあなた方がよく知っている。

 アルマンドとアーニタ、いつも仲良くして、いつまでも愛しあうように。
 いいかい、私は無実であり、恥知らずな人が企んだ罠の犠牲になったのにすぎない。
 だから、おまえたちは前よりもっと胸を張っていいのだ。

 お母さん、気を落としてはなりません。私に罪はありませんが、お心を痛ませることをお赦しください。

 みなにロづけを。私は勇敢に死ぬことをみなに約束する。

 口づけを、口づけを、口づけを。

 アンセルミ・ジュゼッぺより



 闘ったのは男だけではなかった。

マリーア・ルイーザ・アレッシ(マリアルイーザ)
 三十三歳。女子事務員。1911年5月17日、ファリチエツト村(クーネオ県)に生まれる。43年9月8日以前は、サルッツォ町のイタリア共産党と連携し、地下活動を展開。44年、グァライタ谷方面第184旅団《モルビドゥッチ》のパルチザン伝令員として、数多くの使命を果たす。同年11月8日、クーネオ市の実家で療養中、黒シャツ第五旅団《リドンニチ》隊員に逮捕された。クーネオ司令部で繰り返し尋問を受ける。11月26日、クーネオ駅前広場で、黒シャツ第五旅団《リドンニチ》隊員によって、ビュートロ・フアントーネ、ニットレ・ガレッリ、ロッコ・レピーチュ、アントーニオ・トラモンターノとともに、銃殺された。


1944年11月14日、クーネオ

 もうご存じでしょうが、わたしは黒シャツ隊に拉致されてしまいました。いまはクーネオの学校にいます。元気で落着いています。

 どうぞわたしのために騒ぎたてることだけはしないでください。そしてわたしを獄中におとしいれたあの女たちを、おそばから遠ざけてください。
 そうして下さるだけでわたしは満足です。何よりも、これがわたしの定めだと思って諦めています。皆さんも心配なさらないでください。わたしのほうは大丈夫ですから。

 いつも皆さんのことを思い、おそばにいます。

 心から愛をこめて
      マリーア・ルイーザ



 この文面によると、この女性は密告をされたようだ。私はこの密告者にも限りない「恥辱」を感じる。

 私は自分の脆弱さ・卑怯さも深く恥る。しかしさして自慢にはならないけれど、少なくとも「神父」や「密告者」になるよりは死を選ぼうという覚悟はある。
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