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今日の話題

2007年1月6日(火)
どうしようもないドウツブの「(ごう)

 兄が妹を殺害した上に死体を切断したというおぞましいニュースに接して私がまず思ったことは、この兄の心の病の深さ・怖さだった。が、次にすぐ、心を病んでいるといえば誰もが病んでいると言えるのではないか、正常と異常の境界は定められないのではないか、と思った。仏教の言葉でいえば「業」だろうか。あるいは私の常套語で言えば「人間は救いようもないドウツブだ」ということになる。もちろん、私も例外ではない。その心の闇の深さ・怖さを奥底に抱えているのだろう。

 例えば、人は死刑執行の判を押す法務大臣を異常とは言わない。戦争で見も知らずの人間を殺すことを異常とは言わない。では次の例はどうだろうか。

 日本人医師たちが外国で男性「患者」に手術をしようとした。ところが、「患者」はおびえていっかな手術台にあがろうとしない。そこで日本人看護婦が進みでて「患者」にむかって彼の母国語で「麻酔をするから痛くありません。寝なさい」と優しく囁きかけたところ、患者はうなずいて手術台にあおむいた。看護婦は医師をふりかえって〈どうです、うまいものでしょう〉といわんばかりに笑いかけ、ベロリと舌をだしてみせたのだという。

(中略)

 さて、医師らは「患者」に腰椎麻酔などをほどこしてから、虫垂切除、腸管縫合、四肢切断、気管切開などを事前の計画どおり次から次へと行なったという。虫垂炎でも大腸ガンでもない健常な男に、である。生きたままバラバラに切断され、ついに絶命した「患者」は衛生兵らにより運ばれ、他にも「患者」ら多数の屍が埋まっている穴に放りこまれた。1942年、中国山西省の陸軍病院でいつもどおり何気なく実行された生体手術演習のひとこまである。

(中略)

 ところで、前述の生体手術演習には軍医部長の大佐、病院長以下、野戦部隊軍医を中心に約20人が参加したという。解剖室に連行されてきた「患者」は二人で、投降者や敵への内通者とされていた。そのうち八路軍兵士ふうのがっちりとした体躯の男は覚悟をきめたのか、悠然と手術台の上にのったが、農民ふうの男は恐怖のあまり後ずさりしはじめた。看護婦たちが準備する手術刀、鉗子、メス、鉄の冷たい金属音が部屋に響く。軍医部長、病院長らはなごやかになにごとか談笑している。いつもどおり医師がルーティンをこなすときの沈着、平静、恬然とした空気が解剖室を支配していたようだ。

 ややあって農民ふうの男が、後に証言者となる新米軍医のすぐ眼の前までずるずると後じさってくる。おそらくは、歯の根もあわぬほど躰をふるわせながら。新米軍医はそこでなにをしたか。当時その場にいればだれもがやったであろうことをやったのである。逆にいえば、だれもやらないであろうことはやらなかったのだ。つまり、両の手で彼の背を手術台のほうに押しやったのである。看護婦による囁き、甘言、舌ベロリはそれにごく自然につづいた「機転」と「ユーモア」ないし「愛嬌」であったようだ。

 とまれ、医師らは生きたままの中国人を粛々と切り刻み、帝国日本の医学に資することのある種の達成感にひたったようである。

 この生きたままに人間を切り刻んだ人たちは正常なのか異常なのか。
 後日談がある。

 この演習に幾度も参加し戦犯として裁かれ帰国した元軍医が、演習から約半世紀後の1993年に開かれた「戦友会」で、ゆくりなくも舌ベロリの元看護婦に再会する。生体手術演習当時、二十代だったとすれば彼女はすでに齢七十を越えていたはずだ。元軍医が彼女になにを問い、元看護婦がどう答えたのかのディテールはつまびらかでない。元軍医によると、彼女は生体解剖というよくないことがあったくらいは漠然と覚えてはいたが、具体的な光景は(おそらく舌ベロリもふくめて)忘れていたのだという。

(以上引用文は辺見庸『いまここに在ることの恥』より)

 「戦友会」で、たぶん、生体実験をも昔話の一つとして談笑したであろう元軍医や「舌ベロリ」を忘れて余生を送っていられる元看護婦は、はたして正常なのか異常なのか。

 嘔吐感がこみあげるほど胸糞が悪くなる。しかし私(たち)は、これらの医者や看護婦は、はたして、「私」ではないと言い切れるだろうか。
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