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今日の話題

2006年12月31日(日)
国家論不在の脳天気な言説

 新聞に登場するいわゆる識者の言説にあきれ返ることが度々ある。例えば最近では西修という幇間学者の次のような発言(12月23日付東京新聞シリーズ「試される憲法」)。

『平和維持のために、軍事力の保持を憲法に明記するのが世界の現状です。軍事力を民主的にコントロールしつつ、世界の平和維持にいかに貢献していくべきかを真摯に考えるのが、成熱した国家というものです。』

『国民と国家を対立軸にとらえてきた従来の憲法観から脱却し、国家と国民が一緒に国づくりをするという新しい憲法観が求められます。今の憲法には、明白な「押し付け性」が存在するのは事実です。偏狭なナショナリズムに陥ることなく、幅広い視野から、日本国民自身の頭と手で「世界に誇り得る」憲法をつくり上げていくことは当然の 作業だと思います。』

 「世界の平和維持にいかに貢献していくべきかを真摯に考える」とか「幅広い視野から」とか「世界に誇り得る憲法を」とかもっともらしい言説を並べ立てているが、それには空疎な響きしかない。なぜか。科学的な「国家論」が不在だからだ。自説に都合の良い恣意的な「国家観」を前提に議論をしている。いや恣意的な国家観しか持っていないから、このような脳天気な議論になってしまうというべきか。

 いったい「成熟した国家」ってどういう国家だ。「軍事力を保持する国家」のことらしい。それが世界の現状だという。確かにそれが現状だ。大方の国家は軍事力を背景に野合したりいがみ合ったりしている。それは国家が資本主義を基盤にした近代国民国家という枠組みから出られないでいるからだ。そういう意味で世界には未成熟な国家しかない。

 一体、世界の現状に合わせた憲法がどうして「世界に誇り得る」憲法なのだ。それじゃ世界はホコリだらけ息さえできまい。

 現在の日本国憲法は、第一章という瑕疵があるが、基本的には「国家と国民が一緒に国づくりをする」ことを謳っている憲法だ。国家権力がその憲法を遵守していない点に問題がある。つまり、現在のこの国の国家権力は経済的支配層とのみ国づくりを、いや国壊しを行っている点に問題があるのだ。問題は、断じて、憲法にあるのではない。

 もう2年も前に取り上げたものだけど、塩野七生の発言を取り上げた(『選挙について(1)』を思い出した。

『政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることですね。』

 科学的な国家論を持たない識者の典型的な発想の一つで、西と同じ位相の脳天気ぶりだ。

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