2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

2006年12月21日(木)
国会の「欺」事から見えてくる「ブルジョア民主主義」の正体(1)

詩をどうぞ(29):私(たち)は本当の自由を持ったことがあるのか。


 さんたんたる鮟鱇  村野四郎
    へんな運命が私をみつめている ― リルケ

逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くつたりした死
これは いかなるもののなれの果だ

見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
もう 鮟鱇はどこにも無い
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ



 大日本帝国の敗戦により日本人民は初めて掛け値なしの自由を得たかに見えた。しかし自らが闘いとったものではなかった。脆弱な自由だった。それを強靭なものに鍛える間も与えられずに宙吊りにされてしまった。そうそれは1947年1月31日、GHQ(マッカーサー)の「2.1ゼネスト」中止命令の日だった。以来、人民の自由は国会「欺」事堂に吊るされて削られ続けてきた。革新政党は、小さな譲歩やわずかな遅延を「勝利」だと、何度いい紛らわしてきただろうか。明らかに「敗北」の歴史だった。事実をしっかりと見据えることからしか、新たな闘いのスタートはありえない。惨憺たる敗北の歴史を年表でたどってみる。

 国会で何が行われてきたか。年表で概観してみました。『新たなる闘いのスタート』で、私は「戦後の国会史は一貫して強行採決の連続だった。」と書きました。それを実証しておく意味もあります。「強行採決」は強調文字(赤字)にしておきます。また、「日の丸・君が代」関連の事項については、国会外の事件も選びました。長いので「1945年~1975年」・「1976年~1997年」・「1998年~2003年」の3回に分けて掲載します。

 なお年表のソースデータとしてデータベース20世紀・21世紀年表を利用しました。


「1945年~1975年」

1946/06/03
枢密院本会議において憲法改正政府原案の諮詢採決に際し、美濃部達吉顧問官、ただ一人起立せず、反対。

1947/09/03
片山哲首相、マッカーサー連合国最高司令官に警察制度改革計画を提出、同計画及び分権・集権の考え方につき採決を懇請。

1947/09/25
臨時石炭鉱業管理法案(炭鉱国管法案)、衆議院に提出。審議難航し、両院の鉱工業委員会で否決。本会議での採決により成立(12.8)。

1949/01/06
GHQ(連合軍総司令部)、国旗の無制限掲揚を許可。

1949/05/23
会期2日延長、参議院議場混乱し、議長の登壇阻止されるにいたる。松島副議長、職権によって会期延長を採決。

1949/12/03
参議院本会議、「食糧確保臨時措置法の一部を改正する法律案」難行し、農林委員長の中間報告を求める動議について記名採決中、時間切れで国会閉会。

1952/12/17
琉球米民政府、政治集会を除き新年に日本国旗掲揚を許可。

1953/04/29
琉球米民政府、祝祭日に限り学校での日本国旗掲揚を許可。

1956/03/23
衆議院内閣委員会、社会党委員の出席前にわずか4分で討論採決をし、憲法調査会法案を可決(3.29 衆議院通過)。

1956/04/29
益谷秀次衆議院議長、「5.4の本会議で小選挙区法案の採決を行なう」とのあっせん案成功せず。

1958/04/18
自民党の岸信介総裁と社会党の鈴木委員長、会談。解散の日取りや重要法案審議の段取りなどについて話し合う。「25日、社会党の不信任案上程、採決直前の26日解散、5月1日選挙告示、22日選挙実施」をもうしあわす。

1958/04/25
社会党、衆議院本会議において内閣不信任案を提出。反対討論直後、採決に入らず解散。

1960/05/19
衆議院本会議、日米安保条約・新協定・関係法令の一括採決。自民党単独審議、警官隊の国会への導入による強行採決。 1960/05/20
未明(0時5分)衆議院本会議。自民党、日米安保条約を単独強硬採決。社会・民社・共産各党議決の無効を声明。

1960/06/20
参議院において自民党、単独採決により、日米安保関係国内法などを可決。

1961/06/05
米国防総省、沖縄問題に関する共同通信の質問に対し(1)個人の国旗掲揚は自由(2)国防省のビザなしで海外旅行できる(3)中距離弾道弾は1年前決定基地建設指令済みと回答。

1961/06/24
キャラウェイ米琉球高等弁務官、日本・沖縄の祝祭日に公共建物に日本国旗の掲揚を許可。

1963/06/18
自民党、衆議院社会労働委員会で、職業安定法及び緊急失業対策法改正案を強行採決。本会議では社会党が牛歩戦術で対抗。6.23 衆議院通過。7.1 参議院通過。7.3自民・社会両党間に国会正常化の申し合わせ成立。

1964/06/17
自民党、参議院法務委員会で暴力行為処罰法改正案を強行採決

1965/01/08
琉球立法院、米兵の国旗損壊に対する米高等弁務官の人事承認権を廃止。

1965/01/14
ワトソン米高等弁務官、米軍に日の丸尊重の特別布告(占領意識を持つべからず、日本国旗の損傷は同盟国悔辱の罪とする)。

1965/04/15
自民党、衆議院ILO(国際労働機関)特別委員会で、87号条約承認と関係国内4法案の一括採決を強行。野党側は無効を主張。

1965/04/21
衆議院ILO(国際労働機関)特別委員会で強行採決(15日)された87号条約承認等をめぐって紛糾が続いていた問題で、船田中議長斡旋により、自民・社会・民社共同修正案を衆議院本会議で可決。5月17日 参議院本会議でも可決。6月14日 ILO(国際労働機関)に批准書を寄託。

1965/05/13
地主報償法案(農地報償法案)、衆議院内閣委員会で自民党により強行採決。5.14 本会議で可決。

1965/05/14
衆議院内閣委員会で自民党により強行採決(5.13)された地主報償法案(農地報償法案)、本会議で可決。

1965/06/25
立法院、慰霊の日の米兵による日の丸盗難事件で抗議決議(米軍の日本国民に対する正式謝罪、犯人捜査と処罰公表、従来の国旗損壊事件の処理結果公表などを要求)。

1965/11/06
自民党、衆議院日韓特別委員会で日韓条約案件を強行採決。これに対して野党各派は無効を主張。

1965/12/04
自民党、衆議院日韓特別委員会で日韓条約案件を強行採決

1966/08/19
森清総理府総務長官、ワトソン米高等弁務官と日本政府の沖縄援助増額、自治権拡大、沖縄船舶の日本国旗掲揚の検討などを共同声明。ワトソン高等弁務官、裁判移送命令の合法性を主張。

1967/01/25
琉球立法院文教社会委員会で与党民主党、「教公二法」案(1966.5.31 立法院へ送付)を単独採決。警官隊導入で沖縄教職員などの反対派に対処。

1969/04/24
自民党、衆議院運輸委員会で国鉄運賃の値上げ法案を強行採決

1969/07/10
自民党、健康保険特例法修正案を衆議院社会労働委員会で強行採決

1969/07/14
衆議院本会議、健康保険特例法修正案を異例の起立採決で可決。社会党要求の投票採決を退けたため、議場混乱。15日 石井光次郎衆議院議長・小平久雄衆議院副議長、辞任。

1969/07/17
自民党、自衛隊法・防衛庁設置法改正案を参議院内閣委員会で強行採決

1969/07/24
自民党、大学臨時措置法案を衆議院文教委員会で強行採決

1969/08/03
参議院本会議、重宗雄三参議院議長の国会法19条発議により、大学臨時措置法案を審議省略し、抜打ち2分間で採決、成立。

1971/11/17
自民党、衆議院沖縄返還協定特別委員会で沖縄案件を強行採決。野党、採決無効として委員会差戻しを要求、国会空転。

1973/05/25
中村梅吉衆議院議長、国会混乱収拾のいきさつについて「野党から強行採決をするなと言われて、慎重に処理すると言ってごまかしておいた」と問題発言。5.28 辞任表明。

1973/06/22
自民党、国立学校設置法等改正法案と防衛庁設置法・自衛隊法改正法案を強行採決

1974/03/14
田中角栄首相、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化を示唆。

1975/07/04
公職選挙法改正案が参議院本会議で可決成立。選挙資金規制法改正案が可否同決。議長採決で可決成立。

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