2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

2006年11月22日(水)
コイズミ構造破壊の惨い爪あと

 東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」が『世界』12月号の特集「これが『負担増』だ!」を取り上げている。

 難病の娘を持つ堀切和雅が書いている。「医療や福祉の分野の予算はあざといまでの巧妙さで削られ続けている。それは当事者でさえ気付くのが遅れるほどの複雑な操作だ」。

 小泉政権下の国民負担増を年表にした山家悠紀夫は「よくもまあ、これだけのことを」と慨嘆し、多田富雄も「180日でのリハビリ打ち切り」を「保険制度始まって以来の患者切り捨て」と憤り、リハビリ制限を受けて先日他界した鶴見和子の
「老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。生き抜くことが平和につながる」
との言葉を引いている。

 堀切は弱者切り捨ての背後にはリバタリアニズム(極端な私有主義)があると看破しているが、これは「私有制」そのものを疑う社会学者の立岩真也の仕事の上に立つ発言だ。「格差社会は当然」とする風潮の中、このような根本的な問いも、また力を蓄えている。資本が主人公となっている現今の世界を、根源的に構想し直す思想的営為が求められている。

 そうでないと、人間社会はついに金銭欲に屈服することになる。まさに歴史の終わりだ。

 もちろん『資本が主人公となっている現今の世界を、根源的に構想し直す思想的営為』が、かっても今もないわけではない。それは連綿と引き継がれていまなお多くの人が真摯に手がけている。このホームページで私は、そのような営為の数々を追っているつもりだ。

2006年11月23日(木)
コイズミ構造破壊の惨い爪あと(つづき)

 現在の景況について政府は相変わらず虚言を垂れ流している。今朝の東京新聞一面のトップ記事は「景気拡大 戦後最長」である。その景気判断の根拠は2%ほどの実質経済成長率が続いていることだそうだ。

 しかし、景況の判断の最大の要素は個人消費の動向如何にある。政府発表は、東京新聞が『実感なき「いざなぎ」超え』といっているように、庶民感覚とは全く異なる。もちろん庶民感覚の方が事実を確かに掴んでいる。

 11月19日、東京新聞の「時代を読む」というコラムにロナルド・ドーアというイギリスの政治経済学者が『格差社会で変質する日本企業』と題する論考を寄せていた。外からの目の方が「コイズミ構造破壊の惨い爪あと」の実体がよく見えるようだ。ロナルド・ドーアさんは政府発表より庶民感覚の方が正しいことを、数字を挙げて論証している。

 好況がもう57ヵ月も続いて年率2%ぐらいの勢いで経済が成長している事を大喜びする向きもあるのだが、果たして持続的な景気なのか。

 輸出も順調だし、企業の投資も伸びている。しかし総需要の最大要素の個人消費となれば、10月の月例経済報告書が書いたように、「このところ伸びが鈍化している」。

 当たり前である。春闘も形骸化され、物分かりのよすぎる企業内組合が「会社は苦しいから」という経営者の説得に甘んじる世の中になった。企業利益ばかりが、未曾有の水準に達しているのに、給料・ボーナスが抑えられている。法人企業統計がその経過をはっきり物語っている。

 一番大きい非金融企業(資本金基準で大きい)5600企業の従業員は民間企業の全従業員の一割で、一番恵まれた一割だと思っていいだろう。従業員一人当たりの給料・ボーナス・福利厚生費の総額が、2001年からの5年で、5.8%減ったのである。
 他方、役員一人に従業員2.5人といったような零細法人企業の従業員なら(民間法人労働人ロの16%)同じ期間で10%減っている。給料水準が頂点に達した1993年からの縮小は名目21%、実質22%である。

 高利益時代の恩恵を蒙っている人はいないわけではない。従業員の給料が5.8%安くなっているその大企業では、役員報酬が同じ期間に90%上がった。配当が175%上がった。

 すでに裕福な役員たちは、消費しないで、余分のお金を投資信託などに投資したり、配当の相当な額が東京市場の上場企業株の四分の一を持っている外国投資家にもっていかれたり、平均消費水準「上昇の鈍化」に対抗し、国内需要を増やす効果は少ないに決まっている。

 しかし、景気に対する影響よりも重大なのは、所得の分布のばらつきが開くことだろう。結果として国民の生活水準も、教育機会も、文化享受の機会も、市民としての尊厳も、ますます格差がおおきくなりそうだ。

 経済学者が言うだろう。月例経済報告が言うように「雇用情勢の厳しさが残る」と。当分は、低賃金現象は仕方がない、自然な市場現象だ、と。しかし、最近の岩波新書「労働ダンピング」が語るように、派遣労働者もわずかの給料をもらうのにサービス残業を強いられるような社会、疑似請負が横行するような社会になったのには、労働市場における規制緩和の責任もある。最低賃金制はあるのだが、ヨーロッパ諸国で、平均賃金の50%程度なのに、日本では34%だけであって、生活保護の水準より低い。それでも守られていない。

 格差について、「市民としての尊厳の格差」も挙げたが、企業内でも尊厳は重要な点である。QC(品質管理)サークルを覚えているだろうか。現場の平の従業員も、自分たちの毎日の仕事を見つめれば、それをより効率的にするいい知恵が必ず出てくるという信念を前提にしていた。日本的経営の大成功の重要な要素だと、大々的に宣伝されていた。サークルがどれだけ実質的技術改良に貢献したかは疑問だが、とにかく、経営者たちが従業員を「協力者」として認めて、自主的人間としての存在を評価していた事を象徴する制度であった。

 最近はQCサークルの話は聞かない。協力的態度より「成果」を求めるように、人事管理哲学が変わった。日本的企業を優れた日本人の知恵として政治家も財界大物も、褒めたたえた時代の「従業員」・「社員」は、もはやなるべく安く買う「労働力」となりつつある。

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