2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

2006年10月4日(火)
ブッシュのもう一つの犯罪

 昨日からマスゴミはアメリカの中間選挙で民主党が大勝したことでもちきりだ。ブルジョア独裁下の議会制民主主義を虚妄と断じている私には全くの空騒ぎに思える。しかし、私たちは今のところそのまやかしのシステムの中でしか選択の余地がないないのだから、そのかぎりでいまはブッシュが否定されたことを評価するだけである。この結果、何が変わるか変わらないか、じっくり見ておこう。

 今日配信された「きくちゆみの地球平和ニュース」に、わが意を得たりと同意した文章があった。

『私はラムゼー・クラークがいつか「アメリカには共和党も民主党もない、いつの世もただ戦争党があるだけ。そして金を支配する少数がすべてを支配している。本当は民主主義だったことは一度もない」と言っていたことが正鵠だと思います。それでもやっぱり選挙は大事。政府の決定で戦争が始まり、戦場に送られ、手足やいのちまで奪われることもあるから。』

 私はアメリカの中間選挙の空騒ぎよりむしろ、片隅に追いやられていた次のニュースに関心を引かれた。

『ニカラグア 大統領にオルテガ氏 16年ぶりに左翼政権復活』

 オルテガ氏は60歳。サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率いて1984年~1990年まで大統領を努めていた。その後、90年の選挙から3回続けて敗れている。今回は米国が推した2位候補に9ポイントの差をつけて当選。貧困問題を何も解決できなかった歴代保守政権(後ろにアメリカの影をもつ)に国民がノーを突きつけたことになる。

 このニュースで私がまず思ったことは、アメリカが政権転覆を企んで陰に陽に干渉を強めてくるのではないかという懸念だった。

 このこととラムゼー・クラークさんが結びつく。

 ラムゼー・クラークさんはアメリカの元司法長官で国際行動センター(International Action Center)を創設し、国家犯罪を厳しく追及している。 wsfj mailing list で、次のようなメッセージを見つけた。


ラムゼー・クラークからのメッセージ

2004年3月1日

ブッシュ政権はこの3年間、ジャン-ベルトラン・アリスティド大統領をその地位から追い出すことに、腐心してきた。一方的禁輸措置を実施し、西半球で最も貧しい国への人道援助を一切行なってこなかった。アリスティド大統領支援に対しては妨害にこれ努めつつ、反大統領勢力を後押ししてきた。大統領を引き摺り下ろすために、容赦ない宣伝を繰り広げてきた。ハイチの憲法と法律に違反してでも選挙を行なえとの要求に、支持を与えてきた。

ごく最近アメリカは、重火器を持ってハイチに侵入したハイチ軍の元将校や、FRAPH(Front for the Advancement and Progress of Haiti、ハイチの進歩と発展のための戦線)の指導部や犯罪分子を支援して、武力侵略で無理やり政権交代を行なった。戦闘や特殊部隊にたいする防御などの訓練を受けたこともない、武器としてはピストルしか持たない警官たちを殺しながら、この武装集団は、人数は数百人に過ぎなかったが、カパイシアン、ゴナイブ、ヒンチェ、およびレケイを簡単に陥れた。

もし平和の人アリスティド大統領が、ハイチ軍の廃止という賞賛に値することをしなかったとしたら、これほど小規模な武装集団がハイチに侵入するなどということできなかっただろう。残念なことだが、この軍の廃止がハイチを武力侵略に対して無防備にしてしまったのだ。

 国際組織である、CARICOM(CARIBBEAN COMMUNITY、カリコム=カリブ共同体)、OAS(Organization of American States、米州機構)および国連は、民主的に選ばれたハイチ政府を守るために行動すべきだった。コスタリカが軍隊を廃止したあと、ニカラグアのソモザ大統領(この大統領のことを米大統領フランクリン・ルーズベルトは"アワ・ソッブ"[our SOB=我らのろくでなし、訳者註:SOB はson of a bitch ろくでなし、の略語]と呼んでいた)がコスタリカを侵略するぞとおどしたことが2度あったが、1度はOASによって、もう1度はベネズエラによって、結局思いとどまらせることができたのだった。

 アメリカはアリスティド大統領に、ハイチから立ち去り、憲法に由来する大統領の職務を放棄し、民主的手続きを無効にし、ハイチ民衆を見捨てて旧体制のなすがままにまかせることを強いるべく、一貫して行動した。軍隊、民兵組織であるFRAPH、犯罪組織、そして旧式の寡頭政治が、アメリカの支援のもとに、30年にわたってデュバリエのハイチ民衆に対する恐怖政治を支えてきた。1986年にベビ-・ドック(Baby Doc、訳者註:デュバリエの愛称)デュバリエが力ずくでその地位から引きずり下ろされたとき、デュバリエの圧制的暴力装置はもはや民衆の怒りを封じ込めておくことができず、デュバリエはハイチ貧民の汗から搾り取った数百万ドルを身につけてアメリカ空軍機でフランスのリビエラに逃れたのだった。

 アリスティド大統領は、ブッシュ政権からの重圧を受けながらも、民衆を見捨てること、職を辞すること、ハイチの民主主義と立憲政治を覆すことを、拒否し続けてきた。かつて、民主的に選出された初めてのハイチ大統領として第1期の9ヵ月目になる1991年に起きた暴動によって、大統領の地位を再び脅かされていたときにも、アリスティド大統領はアメリカからのあの重圧に何ヵ月もさらされていた。ハイチこそ、奴隷の反乱が起こり、それが成功した、史上最初で最後の国である。この革命は、1791年にトゥサン・ルベルチュールによって開始され、1804年、ジャン-ジャック・ドゥサリーヌらが総勢2万のナポレオン軍団を打ち破 り、ハイチの独立を勝ち取ったのだ。

最初のフランス亡命中の1992年に出版された自叙伝の中でアリスティドは、「ハイチでは、奴隷制に反逆する反抗的民衆の高揚を、我われは見守っている。私は鏡に映る像、あの運動のこだまであるに過ぎず、彼らこそが、主役である。生きることのもろもろの困難の中を通りぬける過程で、私はただ彼らと同じ世界に身を置くように努め、愛と非暴力を示すことに努める、それだけが我われを前進できるようにしてくれるだろうから。」

 アリスティド大統領は、自伝の最終章の中で、"ハイチ民主主義の十戒"を列挙した。それは1991年9月に開かれた国際連合総会の席で大統領が初めて言及したものである。貧民の、貧民に寄り添う、貧民に奉仕する司祭、学賢、一人の人、の政治的信条でもある大統領の十戒は、次の通りである:自由、民主主義、人権への忠誠、食べそして働く権利、ハイチ人の離散の防止、暴力の否定、人間への忠誠、最高の形の富、ハイチ文化への忠誠、誰もが同じテーブルに着くこと、である。

これが、ブッシュ大統領が辞任に追い込んだ人物である。

アメリカが最後の友をも失い、世界を何年にもわたって巻き込むテロの波を創り出す前に、一方的侵略戦争、国際法とアメリカ憲法の違反、そして政権転覆というブッシュ政権の政策にストップをかけるには、アメリカ議会は以下のことを精査しなければならない:

1. アリスティド大統領をハイチから退去させた際のアメリカの役割

2. ハイチに対する今回の侵略における訓練実施、資金供与、武器供与に関してブッシュ政権が与えた援助

3. ハイチの社会秩序を不安定にし、旧軍、FRAPH、寡頭政治を行なう富裕な支配階級を支援するために、ブッシュ政権がとった行動

4. アリスティド大統領のあらゆる公式声明に反する、大統領の突然のハイチ退去と、遠く離れた国への大統領の移送に際して、アメリカが果した役割

5. 旧軍、FRAPH、およびその他の暴力集団に、所持する武器、もともとアメリカが彼らに供与した武器の放棄を、大統領の強制出国の直前まで要求しなかったことについての、ブッシュ政権の釈明

6. 民主的に選挙されたハイチ大統領に憲法に基づく権力を放棄させるために、米政府は持てる圧力のすべてを行使したのは何故か

7. アリスティド大統領はなぜ事実上拉致されたのか、まさに1803年にトゥサン・ルベルチュールが拉致されてフランスで投獄され、1901年にフィリピン-アメリカ戦争を終結させるためにフィリピンのエミリオ・アギナルド大統領がアメリカ兵によって拉致されたように

 アメリカの軍事的および経済的干渉と政体転覆がなくなり、あらゆる人に正義が保証され、ハイチに対する過去の不法行為に対する賠償が支払われるまでは、また、アリスティド大統領が民衆に奉仕するためにハイチに帰還するまでは、西半球は安全な地、あるいは幸せな地、ではありえない。

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