2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

(今回は関連性があるので2回分を再録します。)

2006年10月28日(土)
教育課程偽装問題

 必修科目未履修の高校が出てくるは出てくるは、ついに全国で399校に拡大、生徒数で言うと7万人以上になると言う。

 新聞では「履修漏れ」という言葉を使っているが、届け出た科目とは違う内容の授業をしたり、虚偽の報告をしたりで、これは「漏れ」たのではなく「偽装」したのです。政治家の「学歴偽装」、マンションの「耐震偽装」、企業の「業績偽装」・「請負偽装」……「隠蔽」も偽装の一種とするなら今日の国家権力は「偽装」で作られた張子のブタみたいなものです。この国は偽装で飾られたまことに「美しい国」であります。



 しかしこの「教育課程偽装問題」の元凶は言うまでもなく「学習指導要領」にある。この問題に関しては、私は偽装側に一部分だけ同情的です。この問題についても私の基本姿勢は「学校のことは学校が決める。これでよいのだ。」ということで、「偽装」という姑息なことをしなくともといようにすべきなのです。各学校が、生徒・保護者・教師の合意の上で独自のカリキュラムを作れる仕組みにすればよい。「学習指導要領」はあくまでも基準でよい。

 「教育課程偽装問題」に対する新聞・識者の議論は、「学習指導要領」を守らなくてはいけないということを大前提としている。学習内容を国家が定めることについての疑念は全くない。特に東京新聞の社説はひどい。

『卒業に不可欠の必修科目は学校教育法に基づく学習指導要領で定められ、法的拘束力がある。教育現場の学校や教師がルールを無視した責任は重い。』だとさ。

 文科省が決めた「必履修科目」を履修しなかったことがそんなに問題かね?これが私の偽らざる感想です。

 特に「世界史」が問題の焦点のようです。これを必履修にした理由は、国際化の時代に世界の国々への理解が必要と考えたからなのでしょう。学習指導要領はその目標を「世界の歴史の大きな枠組みと流れを,我が国の歴史と関連付けながら理解させ,文化の多様性と現代世界の特質を広い視野から考察させることによって,歴史的思考力を培い,国際社会に主体的に生きる日本人としての自覚と資質を養う。」と言っている。まさか「国際社会に主体的に生きる日本人としての自覚と資質」というのは外国を蔑視する排外的なナショナリズムではありますまいね。そういう偏頗なナショナリズムから自由になるための学習であることを期待したいね。

 私は高校でも大学でも世界史を学ばなかったけれども、外国を蔑視する排外的なナショナリズム、イシハラのような醜悪なイデオロギーとは無縁でしたけどね。

 私が偽装側に大部分同情できないのは、その動機に主体性がない上にこころざしがセコイからです。大学受験のために有利になるようにですって。都立のホシの一つ、八王子高校では2000年ころから偽装が行われていたそうです。イシハラが学校間競争をあおり始めた頃からでしょうか。イシハラに忠実に従うためには偽装するほかなかったのですね。ある進学重点校ではある時期、過労・疾病で倒れる教師が続いたということを仄聞しています。

    あと、受験生に得だとか不利だとか、過去の未履修卒業者と比べて損だとか得だとか、低次元の議論が続いています。そんなことどうでもいいでしょう。

 問題の核心は、現在行われている「銀行型教育」への疑念が、特に教育関係者に皆無である点にあります。

 「銀行方教育」とは何か。シリーズ『教育とは何か』の『15. 銀行型教育』から、再録します。

 1 教師が教え、生徒は教えられる。
 2 教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
 3 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
 4 教師が語り、生徒は耳を傾ける---おとなしく。
 5 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
 6 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう。
 7 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。
 8 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。
 9 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を圧迫する立場に立つ。
 10 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体にすぎない。

 ちなみに「銀行型教育」を止揚した教育を「課題提起型教育」呼んでいる。シリーズ『教育とは何か』では「『17. 課題提起型教育』で取り上げている。興味がありましたら参照して下さい。

2006年11月3日(金)
卑怯にして愚劣な沈タロウ

 「教育課程偽装問題」について、沈タロウが偉そうに駄弁を弄している。(東京新聞「知事会見ファイル」)

 『先生が子どもを商品化して、商品を並べている自分の学校の店舗としての名声を稼ぐために、ああいう骨抜きをしたんでしょうね。このごろの教育者の実質的なレベルを示す一つの証左で、先生自身が点取り虫になっちゃった。高校における教育とは何かという本質を外れて、受験という実績で点数を稼ぐことだけに先生が腐心したら本当の教育者とはいえない。そういう教育者を放置したのは文部省の責任じゃないですか。これから七十時間、どんな先生が補習するか知らないが、気の利いた歴史の本を読んだ方がよっぽど早い。ぼくはそういう方法もあると思うが、(補習は)学校という規律、規格の中で職務を果たさせるためにね。これは一学校の問題じゃないね。』

 都立高校の「名声を稼ぐために」進学校に企業もどきの数値目標やら業績評価やらを導入して「受験という実績で点数を稼ぐことだけに先生が腐心」するように追い詰めたのはお前だろう!!「そういう教育者」を作ってしまったお前の責任だ。お前の卑怯さが良く現れているぜ。もっとも、お前の旗振りにいともたやすく踊ってしまっている教師たちも同じ穴の狢だけどね。

 「気の利いた…本を読んだ方がよっぽど」良いのは、文部科学省検定の教科書全てについて言えることなのだ。そういう意味で補習など無用。そのまま卒業して何の不都合がある?もうすでに何十万の未履修卒業者がいるんだぜ。そのせいで、何か困ったことが起こっている?困っているのは「学習指導要領」の権威を無視されている文部科学省とお前のような国家主義者だけだろう。なにしろ「日の丸・君が代強制」を正当化するお前の論拠は「学習指導要領」だけだものな。

 だいたい「高校における教育とは何か」という高尚な理念や哲学などお前には皆無じゃないか。お前の念頭にあるのは教育ではなくて、「学校という規律、規格の中で職務を果たさせる」という教師や生徒に対する管理だけだろう。こういうのを「語るに落ちる」という。バカめ。
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