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《米国の属国・日本》(21)

日本劣化を推し進めた新自由主義(6):日本版軍産複合体


 今日(2016/09/16)の日刊ゲンダイ(DIGITAL版)に高橋乗宣(エコノミスト)という方の『重しとなる景気は停滞 整いつつある「第3次大戦」の条件』という論説が掲載されていた。「ホンの些細なきっかけで、世界中に火の粉が燃え広がりそうな雰囲気である」と懸念し、その理由として、次のような指摘をしている。
「いつの時代も紛争勃発の「重し」となってきたのは、経済の活況」だが、世界的に「景気は停滞したまま」であり、しかも「世界中の指導者が冒険的で不安を感じさせる人物」に取って代わってきている。

 このような論説に対しては「大げさに不安を煽るな」というような批判が予想されるが、私はそのような批判には与しない。今回取り上げようと思っていた「第4章 新自由主義の日本的文脈」の最終節『「希望は戦争」再び』と論旨が同じだと思った。白井さんの論考を読んでみよう。

国家に寄生する資本

 次に、新自由主義の日本的文脈について、より具体的な政治経済の側面を見ていきましょう。

 安倍政権が取っている政策を支持している特定の資本があります。特に安倍政権において目立つ政策は軍事への傾斜ですが、とりわけ経済的な側面から注目すべきは、武器輸出の解禁です。これまでは、1967年に佐藤栄作首相が国会の答弁で表明した、
(1)共産主義国、
(2)国連決議で武器輸出が禁止された国、
(3)紛争当事国とその恐れのある国
への武器の輸出を禁じたいわゆる「武器輸出三原則」によって、日本は武器輸出に対する強い規制をかけてきました。この方針には、軍産複合体が肥大化することや、軍事ケインズ主義経済が発生してしまうことを防ぐ、という意図もあったと考えられます。

 つまり、日本の武器産業は、戦後存続したとはいえ、あくまで控え目な地位しか与えられませんでした。ところが、安倍政権になって、武器産業を基幹産業にしようという主張が堂々と語られるようになりました。国際的な武器見本市に、日本の企業がこぞって出展し始めたことも話題になっています。

 防衛関連企業としては、武器を開発して盛んに輸出したいという潜在的な欲求はあったのでしょうが、それに対しては歯止めがずっとかけられてきた。武器をつくって売って儲けるというのは、戦後の平和主義の国是にはなじまないという縛りが強くあったからです。しかし2015年には、防衛装備庁という新しい官庁も迅速に設立されました。

 このような方針転換に関しては、いかなる国民的議論もありませんでした。内閣の独断でやったわけです。日本の重厚長大型産業が行き詰まる中で、何とかして商機がほしいという圧力がかかったのでしょうし、安倍さんの趣味に合致するところもあったのでしょう。いずれにせよ、特定資本の利害が、政治権力を用いて貫徹される構図が現れています。

 「重厚長大型産業(じゅうこうちょうだいがたさんぎょう)」という用語に初めて出会った。調べました。
「鉄鋼や造船などに代表される基礎的産業。原材料大量消費型,かつ大規模立地型の特性をもつ。」
でした。

 同様のことは原発に関しても言えるでしょう。3・11を経たいま、原発というビジネスにおよそ未来があるとは思えません。こうした状況下で、例えばウェスティングハウスという原子炉メーカーを莫大なカネを出して買収した大企業(=東芝)は、減価償却するにも国内でこれ以上原発をつくれないという状況に直面し、輸出に活路を求めようとしています。だからともかく、輸出をさせてくれとプレッシャーを政府に対してかける。そのためには、国内での原発の再稼働がどうしても必要だということにもなる。結局、その圧力に対して民主党政権はまったく無力であったし、自民党政権は原発を推進した行きがかりがあるので、あたかも原発事故など起こらなかったかのような振る舞いをしているわけです。

 このように、新自由主義の下で、「小さな政府」が実現され、政府が経済を統制する力が弱まるどころか、資本の国家権力への依存が非常に強くなっていく、という現実が目撃されます。こうした現象が生ずる理由は、すべての資本の利潤創出の困難にあります。簡単に言えば、まともにやっていても儲けようがなくなっている、ということです。

 そのため、資本は国家に寄生して、国家の政策を左右しようとする。つまり、資本が国家を引きずり回しているようにも見えますが、それはある意味、資本が非常に脆弱になっているからだとも言えます。ここまで来ると、これを資本主義と呼べるのかという疑問さえ生じるでしょう。いま、まさにそんな状況にあるわけです。

バブル依存の世界経済

 こうした状況の始まりはどこにあるのでしょう。日本にとって決定的な転換は、実は全部1990年前後に起きています。世界的に見れば冷戦構造の崩壊であり、国内経済的に見るとバブル経済の崩壊です。バブル経済の崩壊の本質とは何か。崩壊後に不良債権問題が深刻化したということは表層であって、根本的な問題はいわゆる利潤率の傾向的低下、すなわち利潤が全般的に上がらなくなるということにあります。

 これは水野和夫氏の理論などが参照先として有力ですが、水野氏によると、日本はある意味で世界最先端国であるというのです。なぜなら、世界の先進国のどこよりも早く経済成長ゼロ(利潤が上がらない)という状態に飛び込んだからです。日本経済のバブル崩壊後、世界の資本主義はどうなったかというと、いわばバブルを人工的につくることによって利潤率を無理矢理引き上げるということをやっていった。しかし、それはバブルですから必ずどこかで崩壊する。

 その実例が、ロシアの通貨危機、東南アジア通貨危機、アメリカのITバブルとその崩壊、そしてサブプライム・ローン問題(不動産バブルとその崩壊)です。要するに、世界のどこかでバブルをつくっては壊し、ということを繰り返してきたのです。

 参照先として「水野和夫氏の理論」が紹介されているが、水野さんの著書『資本主義の終焉と歴史の危機』を指している。この本は《『羽仁五郎の大予言』を読む》中の一節『「独占資本主義の終末」補充編』で取り上げている。いま取り上げている問題と関係深いと思われる記事は『「独占資本主義の終末」補充編(11)』です。

 中国のようにまだ実体経済的に成長できる要因を多く持っている国ですら、すでにバブル経済の論理が入ってきており、実体経済レベルでの成長と不動産バブルが渾然一体になったものとして現れています。さらに言えば、中国の実体経済レベルでの成長そのものも、バブルを背景としたアメリカの消費に依存したものでした。アメリカの消費者が借金を重ねてまで過大な消費をし、その借金を中国や日本が米国債の大量購入によってファイナンスしてきた。それが膨大な量に上ったとき、返してもらえるのだろうかという不安が当然発生するわけですが、だからといって債権国が米国債を大量売却すれば、ドルが暴落しアメリカ人の消費量もガタ落ちするので、アメリカヘの輸出も止まり、自爆することになってしまう。ゆえに、さらに貸し続けるしかない、という状況が生まれました。

 この構造は、「グローバル・インバランス」と呼ばれます。アメリカにモノを輸出し、アメリカに貸したお金でそれを買ってもらう。モノもカネも全部アメリカに吸い込まれていくという、ブラックホールのような構造です。その間生産設備を拡張し、供給能力過剰状態となった中国は、国内での不動産バブルの形成を通した内需の拡大を図ってきたわけです。

 サブプライム・ローン問題の表面化によるリーマン・ショック以降、世界的に何が起きているのかと言えば、国債バブルです。国債は何に依拠するのか。それは、国家が徴税をできるということに依拠している。それは要するに現在及び未来の富、すなわち人々の労働による富の算出、これに対して国家が徴税をすることができるであろう、という期待に基づいているわけです。これの限界がどこにあるのか、ギリシャ危機などでその一端が表面化していますが、まだわかっていません。借金が天文学的な数字になってくると、本当にこの借金を回収できるのかという不安がどこかで爆発するはずです。

 このバブルをつくっては壊し、壊してはつくる、というサイクルに一番最初に突入したのが日本だと、水野氏は言います。こうして1990年前後に経済成長が止まったため、開発主義と利益誘導によって社会を統合すればよいというわけにはいかなくなったわけです。

 そうなると、統治原理の根本転換が起こる。みんなを食わせるという包摂の原理が、排除の原理へと転換します。日本では相変わらず保守勢力の支配が綿々と続いていますが、みんなを食わせようという発想はなくなっている。国家は資本の利益を優先し、資本は国家に寄生する。他方、大衆には「底辺への競争」が押しつけられ、貧富の差が広がり、実質的な国民統合は失われます。

 そこで現れてくるのが、諸々の劣化です。この章で取り上げた、右傾化、反知性主義、排外主義などがその典型ですが、それが排除の統治原理と結びつくときに生じる現象が、ファシズムです。排除された対象にどす黒い欲望をぶつける大衆がいて、政治もそれを煽る。これが、ファシズム的な社会のあり方です。それは、無残としか言いようがない代物ですが、いま日本はそのような状態に近づいています。

「成長戦略」としての戦争  さらに、危機は、経済成長ができなくなって世の中がギスギスするようになった、という程度では済まない可能性があります。それは、世界中で大きな戦争の可能性が如実に感じられることです。中東を筆頭に、東ヨーロッパでも東アジアでも、不穏な空気が漂っています。

 私は危機感を煽るためにこうしたことを述べているのではありません。世界資本主義の問題として、もはや「成長戦略」を実現するには、戦争しか選択肢がなくなってきているからです。現に、1929年の大恐慌を最終的に「解決」したのは、第二次世界大戦でした。

 2007年に赤木智弘氏が、『論座』に「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という文章を発表して、物議を醸しました。その内容は、格差社会の底辺部からの悲痛な叫び、「こんな状況が続くなら戦争でも起きた方がマシだ」というものでした。ただし、赤木氏は、この文章の中で、「戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではある」とも書いており、あくまで「希望は戦争」というショッキングな表現を社会を目覚めさせる手段として用いていることを匂わせています。

 これに対して、2016年の今日、「希望は戦争」は、レトリックでなくリアルな話になりました。もちろんそれは、資本にとっての「希望」です。経済成長ゼロの状況を打開するための最高のカンフル剤は、大破壊です。大破壊をやって焼け野原が出現すれば、後は建て直すしかないので、成長が再開できます。

 そして、世界の情勢がこのような方向に着々と向かっているのだとすれば、「バスに乗り遅れるな」とばかりに日本版軍産複合体の形成へと道を拓きつつある安倍政権の政策は、ある意味で理に適っているのです。この方向へと人々を走らせるための前提として、諸々の劣化に基づく社会のファシズム的状況は、大いに役立つこととなるでしょう。

 このような危機的状況を認識している人はどのくらいいるのだろうか。「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権を支持するような「庶民2」が跋扈している世相を知るほどに暗澹たる気持ちに成っていく。

 さて、この閉塞した時代を押し開く方法はあるのだろうか。次回からいよいよ最終章「ポスト55年体制へ」を読むことになる。
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