2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(19)

日本劣化を推し進めた新自由主義(4):反知性主義(1)


 右傾化について、中北さんと中野さんの説を学習してきたが、そこから見えてくるのは社会の全般的劣化である。つまり、新自由主義は単に政策や経済の問題ではない。それは社会に一つの文化的様式を持ち込むのであり、その社会に生きる人間の精神構造にも大きな影響を及ぼしている。その結果が、反知性主義の跋扈であり、社会の全般的劣化にほかならない。白井さんは「不良少年たちの逆説的状況」と題して、次のように続けている。

 先ほど、中北氏が指摘した草の根保守の組織化について、ある種の反知性主義の要素があり、かつそれはヤンキー的なメンタリティーと親和性が高いと述べました。実は、ヤンキーというのはなかなか重要な問題なので、これについても見てみましょう。

 ポール・ウィリスというイギリス人の社会学者が書いた『ハマータウンの野郎ども』という古典的名著があります。原題は、ラーニング・トゥ・レイバー(Learning to Labour)で、労働者階級に生まれた子どもたちがどのようにして肉体労働に就くことになるのか、を分析するという内容です。

 日本と同じように、イギリスにも不良少年がいる。不良少年は学校での成績が悪く、同時にいわば学校的なるものへの敵意と嫌悪を露にします。教師には反抗し、優等生をバカにする。彼らは学校での点取り競争から自発的に降りてしまい、学校的なるもの全部に抵抗するわけです。ところが、その抵抗が社会への抵抗になっているのかというと、実はなっていないという逆説をウィリスは指摘しています。まさに、学校の秩序から脱落することによって学歴がつかず、彼らはやはり親と同じような肉体労働者となって、大卒者が誰も引き受けたがらないような労働に従事することとなる。そのようにして、階級が固定化されていくわけです。

 この不良少年たちは、明らかに独自の「カルチャー」を持っています。それは、何が格好良くて、何がダサいものなのかについての独自の基準です。それは、一種のサブカルチャーであり、クラシック音楽とか美術館に展示されるような絵だとか、いわばカルチャーの本道とは全く異なるものです。彼らはロック音楽に熱狂し、あるいはサッカーに夢中になる。それは、イギリスにおけるカルチャーの本道とは異なる独自の価値体系です。

 この本はイギリスの労働者階級を論じたものですが、では、日本のヤンキーはどうか。日本でも、一定の若い人たちがヤンキーと呼ばれていて、彼らもしばしば学校に反抗しドロップアウトしますが、やはり、そこから先に従事する仕事は圧倒的に肉体労働が多い。反抗のあり方などは時代によって移り変わりますが、ヤンキーにもヤンキー独自の美学、すなわち独自のカルチャーがあるわけで、ウィリスの分析したイギリス社会と共通点はありそうです。

 白井さんは反知性主義の核心を「知的なもの、知的ぶったものや人に対する反感」と取らえ、それは「一般に非エリートである庶民は反知性主義的エートスを常に持っている」と言う。その典型例として『男はつらいよ』の寅さんを論じている。私は『男はつらいよ』のファンであり、結構沢山見ている。寅さんのエリートに対する反感には共感している。白井さんはどのように捉えているのか、大変興味深い。

 映画『男はつらいよ』の寅さんは、学歴などない、どちらかというと下層の庶民です。寅さんは、庶民よりも上の知的階層に属するような、大卒の人間などが出てきて議論になると、一種のキメ台詞としてこう言います。「お前、さしずめインテリだな」。

 寅さんの言いたいことは、「お前の言っていることはどうも腑に落ちない、机上の空論なんじゃないのか」ということでしょう。であるとすれば、これは、いわば「古典的な反知性主義」です。これは私が勝手につくった言葉ですが、自分の生活実感から解離したものに対して疑いを持つという精神態度です。

 反知性主義研究の古典である、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』の定義に従えば、反知性主義とは、「知的な生き方およびそれを代表とされる人びとにたいする憤りと疑惑」ということになります。肉体労働に従事している庶民の感性には、インテリの言うことは難しくて理解できないという以前に、そもそも実感を伴わないので、理解するに値しないものとしてしばしば現れます。
「あいつらは働いてるなんて言えるのか。その癖なんだか世の中はこうなってるというような知ったふうな口を利きやがる。旋盤一つ削れないくせに」。
 実際、わけのわからない言葉遣いをすることで、人を煙に巻くことを職業としている「インテリ」はたくさんいるので、これはある意味で、健全な疑いと言えるものです。自分の生活実感からかけ離れたことを権威ある人から言われたとしても簡単には信じない、という精神態度であり、イギリスの不良少年の学校教師に対する反感にも、似た側面があります。

 寅さんのエリートに対する反感は「自分の生活実感から解離したものに対して疑いを持つという精神態度」であり、その限りではしごく健全な精神態度だと言えよう。

 次いで白井さんは、寅さんのような庶民を「庶民1」と呼び、「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」首相が組織化した「草の根保守」を「庶民2」と呼び、その違いを論じている。

 さて、中北説を参考にして考えると、安倍晋三首相は、ヤンキーを含む草の根保守をまとめて、彼らを自らを支えるサポーターに仕立て上げたと言えるのかもしれません。では、はたしてその草の根保守主義は、生活実感に基づいた健全な反知性主義を持っていると言えるのか。ここが、問題です。おそらくは私は違うと思うのです。仮に寅さんのような庶民を「庶民1」と言うならば、安倍氏が現在依拠している庶民は「庶民2」とでも言うべき、内実の異なる存在なのではないか。

 なぜかというと、彼らが唱える「日教組やマスコミを牛耳る左翼が国民を騙し、日本の誇りを傷つけ国益を害している」という物語が生活実感に根ざしているとは、到底思えないからです。この点で、イギリスの不良少年や日本におけるヤンキー、労働者階級の感性とは異なります。すると、安倍氏が組織した草の根保守というのは、実はヤンキー的なエートスとは親和性がないという結論になります。

 現在様々な分析がされていますが、おそらくはヤンキーが急速に右傾化しているということではない。引きこもりの人たちのように、社会から疎外されている人たちが右傾化しているという説もあれば、それよりもむしろ中流階級が右傾化しているという説もあります。私はどちらかというと後者の説に共感していて、社会的地位の高い人までも含めた広範な社会階層に属する人々が、荒唐無稽な右翼イデオロギー(歴史修正主義や陰謀論に象徴される)を信じている、という現実があると見ています。

 古典的ヤンキーが持つ「古典的反知性主義」が生活実感に根ざしたものだとすれば、現在の日本で見られる反知性主義は宙に浮いているがゆえにまともな中身がありません。ですから、現代日本の反知性主義は、エリートに対する庶民の懐疑としての反知性主義とは似て非なるものです。古典的反知性主義の劣化版と言えるかもしれません。それは、「容易には騙されない」態度とは正反対の、国家主義イデオロギーに軽率に感染する態度として現れています。

 では、中野氏が言うところの新右派連合の柱をなす、「庶民2」は、どのようにして生まれてきたのでしょうか。

 「庶民1」の「エリートに対する懐疑」という古典的反知性主義に対して、「庶民2」の反知性主義は「国家主義イデオロギーに軽率に感染」してしまう古典的反知性主義の劣化版だと指摘している。この劣化版反知性主義が「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権の高支持率を支えている愚民たちの正体なのだ。

 「庶民2」が台頭してくる経緯は次回で。
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