2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(18)

日本劣化を推し進めた新自由主義(3):右傾化(2)


 前回の続きです。
 白井さんによる右傾化についての中野教授説の解説。

旧右派から新右派へ

 右傾化についてのもう一つの分析は、中野晃一氏によるものです。中野氏は、中北氏と比べて社会構造的な分析を重視しています。中野氏によれば、1980年代以降、具体的には中曽根政権から、日本の保守政権の支持基盤は旧右派連合から新右派連合へとチェンジしたということになります。

 旧右派連合とは何か。55年体制下において、自民党は長期安定政権を保持し続けたわけですが、その柱は、開発主義と恩顧主義でした。開発主義によって、産業の近代化を進めて、生産力の向上と経済成長を実現させ、国民の生活が近代化していく。同時に、そうした果実に直接ありつけない人々、業種、地方に対しては、恩顧主義の原則に即して、補助金や公共事業を通した果実の分配を図る。つまり、利益誘導政治です。第一章で、55年体制下の自民党は、人々を「包摂」する社会民主主義的な政策をとっていたと指摘しましたが、それは具体的には、この利益誘導政治のことです。

 本来、開発主義が進んでいくと生産力が上がっていきますが、その分、生産性が低い産業部門は淘汰されていきます。例えば、工業が高い生産性を達成する反面、農業の生産性が低いままだとすると(自然条件に左右される第一次産業は、工業に匹敵する生産性の向上を達成することは決してできません)、所得格差が出てくるわけです。これを放置すると農村は荒廃していくままになり、農村での支持基盤を失うことになる。そこで、都市の工業によって稼ぎ出された富を農村に分配する。いわば都市から農村への富の分配です。これは利益誘導を通じた包摂の政治であるとも言える。

 利益誘導政治が国民統合に寄与し、安定した国家運営ができていた時代の自民党の支持基盤を、中野氏は「旧右派連合」と呼んでいるわけです。

原発立地のカラクリ

 しかし、結局、開発主義と恩顧主義による利益誘導政治には、深刻な病巣があった。3・11の福島第一原発事故は、この重い事実を衝撃的な形であらためて突きつけました。

 金をばらまいても、農村すなわち地方は過疎化していきます。そこで、地方への産業誘致の一環として、原発を持ち込んだわけです。それに対して、現地では当然反対する人たちもいました。それをどうやって受け入れてもらえるように地ならしをしていったかといえば、その地域に利害関係者を増やすことで、誰もがしがらみのために反対と言えない状況をつくることを国や電力会社が意図的に行なったわけです。この状況は、利益誘導政治に付き物の腐敗・汚職の構造と深く結びついて、地域や利益団体のボスが「カラスは白い」と言えば誰も「いや黒いです」とは言えないような、つまり空気の圧力によって正論を言えないような封建的社会構造を利用し、かつ温存させていきました。

 多くの人によって指摘されたとおり、原発立地自治体は潤っていたと言われたものの、同時に多額の借金も抱えていました。なぜ、そんな借金まみれになったのか。そこにはカラクリがあります。電源三法によって、原発を受け入れると特別に入るお金がありますが、その使い方に国側があらかじめ規制をかけておくわけです。国から見て最悪のケースは、自治体が交付金で別の産業に投資して成功したとすると、税収は入るし、雇用も増えるので、原発はもう不要となってしまうことです。

 これを避けるために、交付金の使い道を指定するわけです。例えば、体育館やらミュージアムやらの箱物を建てさせる。そんなものを造っても、人口は多くないので、維持費ばかりがかさんでたちまち赤字を垂れ流し始めます。制度の決まりに従って交付金の額が下げられ、気がつくと億単位の赤字が出てくる。あっという間に交付金を使い果たしてしまうばかりか、さらに赤字が累積していくことになる。そうなると、手っ取り早くお金を得る必要が生じ、「もう一基原発プラントを建ててくれ」ということになるわけです。こうして、福島第一原発だけで六基ものプラントが集中するようになったわけです。

 なぜそんなことになるのかといえば、それは以上のカラクリによって、借金漬けになるような仕組みとなっているからです。要するに、絶対に地方を自立させずに、中央に依存させるシステムだということです。そして、こんな構造に異を唱える正論をボス支配の構造によって封殺してきました。

新右派連合の内実

 では、中野氏の言う新右派連合というのは何なのか。その柱は新自由主義と国家主義です。まず、経済成長が止まって配るカネがなくなったので、貧しい人々や地方への再分配はもう行ないません。すなわち、グローバルエリートのグローバルエリートによるグローバルエリートのための政治を推進することで、これまでの包摂路線を放棄するということです。これによって生ずる痛みを観念的に解消するのが国家主義です。「従軍慰安婦問題なんて朝日新聞の捏造だ!」と叫んでみたり、戦後憲法を勇ましい憲法に変えてみたりしたところでお腹の足しにはなりませんが、お金はさほどかからずに、一部の人々を大いに満足させることができるわけです。

 白井さんは「中野氏の分析には強い説得力がある」と評価した上で、「問題は、なぜこんなものに多くの人々が騙され続けているのか」と問いかけて、次のように分析している。

 中野氏の言う新右派連合は、「永続敗戦レジーム」が今日依拠する基盤となっています。このレジームは「あなた方を切り捨てる」とほとんど公然と宣言しているのに、いまだにこれにすがって生きようとする人たちがいる。それは、おそらく長年人を自立させないシステムの中を生きてきたことで、人々が依存心の塊になっているからかもしれません。誰かがなんとかしてくれるんじゃないか、助けてくれるはずだ、というわけです。

 しかし、そんな希望はもはや絶対に成り立ちません。今日、永続敗戦レジームを支えている政治家たちには、できるだけ多くの人たちがどうにかして生きていける国にしなければならないという倫理観は、ありません。2012年の衆議院総選挙のとき、自民党は「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」というポスターを大量に貼り出したうえで、翌年3月にはTPP交渉に嬉々として入っていきました。党内でこれに歯向かう政治家もいない。原理は単純です。要するに、TPPによって生活基盤を破壊される人間が出てきたとしてももう関知しない、自分たちの権力を保てればいい。ただそれだけです。

 第一章で見たように、55年体制下における旧保守は、再分配を重視し、包摂の原理に基づく統治を行ないました。戦後日本版の包摂の政治の負の側面は、長年の保守支配の構造的問題として言われていた、例えば談合であり、汚職であり、そしてそれに関わるところのボス支配です。自民党を中心とする保守支配勢力は、日本社会に根強く残存する封建的なものをフル活用して、長年盤石な基盤を築きました。こういった旧来型の保守支配は、多くの弊害はありながらも、唯一の良心、大原則があった。それは「きちんと包摂をする」ということです。

 どういうことかと言えば、様々な談合や汚職も含む利権のネットワークを張り巡らせておいて、要はその中にちゃんと入っていて、おとなしくして言うことを聞いている人間には悪いようにはしない、ということです。できるだけ多くの人を食わせるようなシステムを、旧保守はつくってきたわけです。

 これが、経済成長が止まったことによって立ちゆかなくなったのです。問題は、そのことを見抜けていない人々が多いことです。いま福島の人たちが、どのように切り捨てられつつあるかを見れば、現在の国家の原理がどういうものであるのか容易に理解できます。子どもの甲状腺がん発生の問題一つとっても、問題に正面から取り組む代わりに、問題の存在を認めず、それを指摘する人をあらゆる手段を使って沈黙させるか無力化させる。こういう権力が「助けてくれるはずだ」などと想像するのは、笑い話でしかありません。

 「グローバルエリートのグローバルエリートによるグローバルエリートのための政治」とは、言い換えれば、1%が牛耳っている政治である。1%にたぶらかされている99%内の人たちが早く目覚めることを願ってやまない。99%が連帯することが閉塞した現状を打破する力となるだろう。
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