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《米国の属国・日本》(16)

日本劣化を推し進めた新自由主義(1):「階級の身分化」


 これまで経済領域と軍事面での対米従属を取り上げてきたが、この2領域も含めて、現在の社会全体を覆っている病巣を見極めておこう。『戦後政治を終わらせる』の第4章は「新自由主義の日本的文脈」と題して、その問題を取り上げている。「右傾化」「ポピュリスム」「反知性主義」などの概念で議論されている現在の日本社会の劣化をもたらした根源は新自由主義であるという。今回からこの第4章を読んでいくことにするが、経済領域での新自由主義については『ミニ経済学史』や《『羽仁五郎の大予言』を読む》の「終末論の時代:独占資本主義の終末」で取り上げているので、それらの記事と重複している事項は省略していく。

 さて、《『羽仁五郎の大予言』を読む》では「チリのクーデタ」も取り上げた。このクーデタについては、チリの社会主義国家化を恐れたアメリカ(ニクソン政権)がCIAを通じて、軍の一部にクーデターを促す工作をしていたことを知っていたが、驚いたことに、白井さんはこのクーデタは「新自由主義の政治的実践の最も顕著な例」だと言っている。新自由主義者たちがこのクーデタにどのように関わっていたのだろうか。ここから読み始めよう。

<シカゴ学派とチリの軍事クーデター>

 新自由主義の席巻を象徴する事例として、その旗振り役だったフリードリヒ・ハイエクが1974年にノーベル経済学賞を受けたことが挙げられます。彼を有名にしたのは『隷従への道』という著書でした。

 この本をハイエクが書いたのは、第二次世界大戦中でした。この中でハイエクは、ナチズムもソ連も、ケインズ主義を取り入れたニューディールのアメリカも、すべて同じようなものだという議論を展開します。要するに、国家・官僚主導型の経済は、すべて人々の自由を阻害するものであり、いわば人々を巨大なシステムに隷従させるものであると論じました。アメリカはナチスドイツに対して、「われわれは自由の騎士だ」と言って戦っているが、両者は同じ穴のムジナであると痛烈な批判を浴びせたわけです。

 ケインズ主義が常識となった戦後しばらくの間、ハイエクの考え方はほとんど相手にされませんでした。ところが70年代以降、彼の業績が脚光を浴びるようになっていきます。

 ハイエクの弟子が、シカゴ大学で教授を務めたミルトン・フリードマンです。この人は、新自由主義経済の権化と言われる人ですが、社会ダーウィニズムのようなことを主張しているかといえば、必ずしもそうとは言い切れません。フリードマンの本を読んでみると、弱者を切り捨ててしまえなどというような極端なことまでは言っていません。

 しかし、フリードマンについては、テキストそのものよりも、彼を取り巻く政治的な実践のほうを重要な問題として取り上げなければなりません。どういうことかというと、フリードマンはシカゴ学派という経済学の流派をつくりましたが、ここが反ケインズ主義の牙城になっていくのです。シカゴ学派はCIAなどとも微妙な関係を持っていましたが、その政治的実践の最も顕著な例が、1973年にチリで起こりました。

 1973年、チリの軍人ピノチェトが軍事クーデターを起こし、アジェンデ政権を打倒しました。アジェンデ政権は民主的な手続きを経て成立した社会主義政権でしたが、アメリカはこれに対して恐怖感を露にします。中南米は自分たちの勢力圏であらねばならないという考えがアメリカには根強くあり、政治的干渉を続けてきましたが、チリで社会主義政権が誕生してしまった。アジェンデ政権が成立してから、アメリカはチリの主要生産物である銅の相場を人工的に暴落させたり、経済制裁的なことをやったりと、さんざん締め上げます。そして総仕上げとして、ピノチェトを使ってクーデターを起こさせた。民衆に支えられていた政権を暴力によって倒したわけですから、当然のごとく民衆の抗議運動が広がりましたが、それは残酷に弾圧されていきました。このクーデターだけでアジェンデ本人を含む何十万人という人が殺されていますが、そのバックにいたのはCIAです。

 こうしてピノチェトが大統領になり、軍事独裁政権が成立しましたが、その時に政権の経済部門の政策アドバイザーを務めたのが、フリードマンとその弟子たちだったのです。さらに言うと、このクーデターを実行する前から、アメリカはチリに対してアカデミックな機関を通じた工作も実行しています。アジェンデの社会主義的な経済運営を批判する勢力をチリの中につくっておきたいと考えたのです。

 そのための方策として、チリ・カトリック大学の学生たちを好条件でシカゴ大学へ留学させて、そこでハイエク、フリードマン流の経済学を叩き込みます。つまり、国家による経済の管理なんてものは、端から完全に間違っているということを延々とチリの学生たちに吹き込んだわけです。政変の後、「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれたその学生たちは母国へ帰って、アジェンデのやり方がいかに間違っていたかということを宣伝し、ピノチェト政権の新自由主義経済政策を立案実行する立場を得ます。以上は、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という有名な本に詳しく記されています。

  著者のナオミ・クラインも著書の『ショック・ドクトリン』も初めて知った。興味を持ったので、日頃利用している図書館の蔵書を調べてみた。
著者は
<1970年カナダ生まれ。ジャーナリスト、作家、活動家。著書に「ブランドなんか、いらない」「貧困と不正を生む資本主義を潰せ」など。>
と紹介されていた。また本は上下2冊あって、その内容紹介は次のようになっている。
(上)
<アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、過激な経済改革を強行してきた。惨事便乗型資本主義=ショック・ドクトリンの全貌を暴く。>
(下)
<大規模な民営化導入に災害や危機を利用するショック・ドクトリン。ソ連崩壊 後のロシア、アパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ、さらには最近のイラク戦争やアジ アの津波災害などを通し、ショック・ドクトリンの全貌を暴く。>
 いずれ読んでみたいと思った。

 白井さんの論説に戻ろう。白井さんは新自由主義の本質を次のように分析している。

 新自由主義が先進国で本格的に展開し始めるのは、1980年代に入ってからだとよく言われます。つまり、イギリスのサッチャー政権およびアメリカのレーガン政権の成立によってスタートしたとされますが、実はそれに先立って新自由主義の実験がチリで行なわれていたというのが大方の定説です。

 そして、このチリの事例がきわめて鮮やかに示しているのは、新自由主義とは、単に民間企業の自由な活動余地を広げることで経済活動を活性化しよう、などといった穏やかな代物ではないということです。すなわちそれは、まさに暴力によって始まったわけです。新自由主義については、大きな政府から小さな政府への転換であって、経済に対する国家の不当な干渉を排除しようとするものだ、といった説明がされることが多い。しかしそれは一面的な見方であるということを、チリの事例が証明しています。

 ここからわかるのは、新自由主義の本質とは、資本にとっての障害を力ずくで破壊し、資本が自由に制約なしに活動できる空間を拓くということです。その「力」というのは何でもいい。チリの例のように軍事的な力でもいいし、天然災害でも戦争でもいい。言ってみれば、それまで営まれていた生活圏、生産、流通、消費のエリアをぶち壊してくれるものだったら何でもいいわけです。

 イラク戦争においても、このロジックは証明されました。アメリカはフセインを倒して新生イラクをつくろうとしましたが、「イラクに民主主義を」のスローガンの背後には、いかなる資本規制も存在しない国をつくるという目論見がありました。アメリカがそれを強制しているということになると体裁が悪いので、イラクの新政府が自発的にそのような法律を制定したという形をつくりましたが、もちろんそれは茶番にすぎません。

 チリの事例に見られるような新自由主義は、80年代になってくると先進国でも本格的に導入されていきます。日本でも80年代に、やはり中曽根康弘政権がレーガンやサッチャーの新自由主義路線に追随したと評されます。しかし、アメリカやイギリスで生じたことに比べると、80年代の日本の新自由主義改革はまだ本格的なものではありませんでした。とはいえ、共通点も見出せます。それは、強力な労働組合の解体でした。強固に組織された労働者は、資本の動きに対する束縛として機能するからです。

 新自由主義の特徴としては、公営事業の民営化、資本移動の自由化、福祉の削減、こういったことが共通点として挙げられます。さらには労働組合を筆頭とする再分配の削減に反対する勢力を潰していく。社会民主主義勢力を長年支えてきたのは労働組合ですから、それは同時に政治における社民主義勢力に対して打撃を与えることにもなるわけです。

 この路線を実行するうえで中曽根首相は大きな仕事をしました。すなわち国鉄解体、分割民営化です。民営化の意図は何であったか。国鉄の累積赤字問題もありましたが、それ以上に国労という国鉄の労働組合を解体するということが非常に重要だった。

 このように、先進国においては、80年代に資本が自由に運動する際に邪魔になるものを次々に取り払っていくための地ならしが行なわれました。

 白井さんはこのような新自由主義の動きが国家社会の根本的な変質をもたらしたと言う。その根本的な変質を「階級の身分化」と呼んで、次のように論じている。

 国家権力に本来求められるものとして、国民の安全があります。例えば、天然災害などが起きた場合、被害にあった人を全力を挙げて救出し、被害を最小化するということが国家に要求されている。ところが、これも新自由主義のレジームにおいては異なった様相を呈してきます。

 このレジームは、災害を資本が自由に動き回る世界をつくるための絶好のチャンスとしてとらえるわけです。実際、アメリカにおけるハリケーン・カトリーナだったり、スマトラの大津波といった事例で、このことはすでに証明されています。こういった話を聞いて、われわれが何を思い浮かべるかといったら、東日本大震災でしょう。大震災、大津波を奇貨として、大資本が自由に動ける空間をつくろうという動きに対して、すでに批判が出てきています。

 このような社会の動きは、「包摂から排除へ」と表現できます。生産力の盲目的な向上が志向され、それについて行けない、行かない人々は、居場所を失う。それは階級社会化、正確には再階級社会化をもたらします。

 なぜ「再」をつけるのかというと、19世紀的な資本主義社会がすでに身分制を解体したうえで成り立った階級社会だったからです。

 先にも見た通り、前近代社会の人々の階層は身分によって分けられていましたが、それがいったん全部フラットになり、人はみな対等な人格を持つということになった。しかし、人がみな本当の意味で平等な状態であるかといったら、そんなことはありません。生産手段を持つ者と持たない者、ブルジョアとプロレタリアという形で分解がなされ、その格差がどんどん広がっていく。それが結局のところ世界戦争を引き起こしていきました。

 戦前の日本が典型例です。なぜ日本は侵略戦争に走らざるを得なくなったのか。日本は世界恐慌の波をもろにかぶり、最下層階級であったところの、貧しい農村の小作人たちが生きていけない状況になった。彼らの怒りを後盾とする形で、血盟団事件や5・15事件、2・26事件も起こったわけです。しかし、結局は国内の社会改革によって問題を収拾することができず、海外侵略に活路を見出すことになりました。

 20世紀のケインズ主義的、あるいはロールズ的な意味でのリベラリズムに基づいた修正資本主義がやったことは、この階級社会の解体です。それは再配分によって貧困を撲滅することを目標としましたが、先進国に限って言えば、かなりの程度の成果を収め、極端な貧困は存在しなくなりました。しかし70年代から修正資本主義は行き詰まり、統治原理の転換が起こってきます。そうなると社会は再び階級社会化していく。現在の格差問題は、このようにして生じました。

 「階級」という概念は近代的なものです。前近代においては、階級ではなく「身分」があった。身分が生まれながらにして決まっているものであるのに対し、階級は可変的で、原則的には階級間移動も可能です。しかし、『21世紀の資本』の著者トマ・ピケテイが問題にしたように、現代は階級が固定的なものになってきており、実質的には身分に近づいてきているのです。

 再階級社会化の結果、国家に何か生じるのでしょうか。まず、国民統合の破綻です。極端な格差が生じ、それが固定化していく状況では、トップの1%と残りの99%の間で意識上の乖離が不可避的に生まれる。国籍こそ一緒であっても、実質的には同胞意識を感じないという状態になります。要するに
「同胞が飢えていようが凍えていようがどうでもいい。そういうやつには努力が足りないんだろう、だから福祉なんか与える必要はない。怠け者に与えるカネは、われわれの税金から出るんだろう。いくら頑張って稼いだって税金で持って行かれるんじゃやる気が出ない」。
 これが、新自由主義化した社会の勝ち組の身も蓋もない理屈です。この理屈に基づいて、レーガンは富裕層への累進課税を大幅に引き下げたわけです。

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