2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(15)

「ポスト安保体制」論


 対米従属から対米自立を目指した政治家と言えば、まずアメリカの頭越しに日中国交正常化を果たした田中角栄が挙げられる。田中はアメリカの逆鱗に触れ「公職追放」に追い込まれた。それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が「対米自立」を掲げて激しいバッシングを受けている。その対米自立の主張は「常時駐留なき安保」論であり、小沢は2009年にそれを打ち出し大きな波紋を起こしている。それ以前に、鳩山も同じような持論を表明していた。この小沢・鳩山の持論について、白井さんは次のように述べている。

 「永続敗戦レジーム」からの脱却を志向するには、日米安保体制の見直しは避けて通れません。……これら(小沢・鳩山の持論)は要するに、ゆくゆくは在日米軍基地をなくしてゆく、という考え方です。

 このような方向性を提起した瞬間に、この国ではほとんどヒステリックな拒絶が自動的に引き起こされます。「ありえない」「バカバカしい」といった反応です。しかし、このような反応が当然のこととなっていること自体が、きわめて異様であることが認識されなければなりません。

 「常時駐留なき安保」論でネット検索すると、ヒステリックな拒絶反論にたくさん出会う。そうした中で、『軍事面での対米従属(5):戦争法(2)』で紹介した高野孟(はじめ)さんの論説『鳩山首相は「常時駐留なき安保」論を解禁せよ!』(2010年5月13日付)に出会った。その論説の最後に「鳩山が旧民主党結成直後の『文芸春秋』96年11月号に書いた「民主党/私の政権構想」と題した論文の該当部分(実に真っ当な「ポスト安保体制」論だ)が全文引用されている。上の白井論説の続きを読む前に鳩山論文を読むことにするが、その前にまずこの論文についての高野さんの解説を読んでおこう。

 これは、同党結成直前まで熱心に続けられた政策議論をよく反映した好論文で、その議論に参加していた私自身の考えや言葉遣いもいくつか採り入れられていて、私にとっても思いで深い文書である。なお、ここで「2010年までに」などと言っているのは、当時の同党の心づもりとしては、結成から数年で政権を取って、21世紀の最初の10年を通じて積み上げていくことを想定しているからで、政権を取るのが2009年まで遅れた今となっては「2020年までに」と読み替えるべきだろう。それにしても、引用部分の前半の米軍基地問題の記述は、過去の鳩山による現在の鳩山への批判とも読めて興味深い。まさに「未来からの発想」を欠落させたまま目先の移転先探しに没入したことがこの事態を生んでいる。平野官房長官など、この論文を読んだこともないに違いない。

 蛇足ながら、よくある安保についての小学生並みの質問に、「米軍が引き上げてしまったら、そのぶん日本の防衛力を増強しなければならなくなるのでは?」というのがある。この中で鳩山が言うように、米軍基地の削減と撤退は日本自衛隊の増強に応じて実現可能になるのでなく、東アジアの地域的安保対話システムの形成進度に応じて実現可能になるのである。そのことを理解する鍵が、抑止力論である。

 もう1つ蛇足。小沢は昨年2月に「在日米軍は第7艦隊だけでいい」と言ったが、これも一種の「常時駐留なき安保」論である。また旧民主党結成後に私が小沢に、この論文末尾の「自衛隊3分割」論を説明した時、彼はすぐに「賛成だ」と言った。そうなら鳩山と小沢はじっくり話し合って、この「常時駐留なき安保」論を民主党の党是としたらどうなのか。

 それでは鳩山論文を読もう。(誤植と思える字句があったので私の判断で修正した)

《沖縄米軍基地問題》

 我々は沖縄の米軍基地問題を含めて外交・安全保障政策についても、未来からの発想を採用すべきだという議論を、夏前から始めていた。その頃自民党サイドでは、来年5月に更改期限を迎える米軍用地の地主が、いわゆる反戦地主を含めて約3000人もいるということを思うと、これは国が直接に土地を強制使用できるようにする特別立法を行う以外に手がないという議論が出ていた。来年に差し迫った問題から入っていくと、そういう貧しい発想しか出てこない。ここで再び国が沖縄で強権を発動すれば、沖縄の人々の本土不信は取り返しのつかないほど深まるに違いない。

 そうではなくて、沖縄県が打ち出している「2015年までに全ての米軍基地の返還を実現する」という基地返還アクション・プログラムと、その跡地利用を中心として沖縄を再び東アジアの交易・交通拠点として蘇らせようという国際都市形成構想とを、十分に実現可能な沖縄の将来像としてイメージするところから考え始める。そうすると、沖縄の米軍基地が返ってくる(ということは、その3分の1しかない日本本土の基地も当然返ってくる)ことを可能にするようなアジアの紛争防止・信頼醸成の多国間安保対話のシステムをどう作り上げていくか、また本質的に冷戦の遺物である日米安保条約を21世紀のより対等で生き生きとした日米関係にふさわしいものにどう発展させていくか、といったことが、外交・安保政策の長期的な中心課題として浮上する。

 そのような方向を設定した上で、現実にまだ朝鮮半島に危機が潜在している今の段階で、日米安保協力の強化という課題にどう対処するかを判断しなければならないし、あるいは又、現行の日米安保の下でも少しでも沖縄をはじめ米軍基地の被害をどう食い止めるかの具体策を打ち出さなければならない。

 こうして、20年後には基地のない沖縄、その前にせめて米軍の常時駐留のない沖縄を実現していきたいとする彼らの夢を、私たち本土の人間もまた共有して、そこから現在の問題への対処を考えていくというように発想すれば、来年の困難な問題にも自ずと解決の道が開けてくるのではないか。

 橋本総理、梶山官房長官もさすがに特別立法で県民を押さえつけることの愚に気づいて、フリーゾーンの設定はじめ沖縄の経済自立への構想を積極的に支援する方向を打ち出し、それが大田昌秀知事の態度軟化を引き出すことに成功した。それは結構なことではあるけれども、自民党や外務省は、しょせんは日米安保は永遠なりとでもいうような守旧的な認識を変えようとせず、その延長線上で基地のあり方を部分的に改善することしか考えつかない。県民に「基地との共存」を強要した上で、金で済むことならいくらでも出しましょうということでは、沖縄の人々の夢は決して現実のものとはならない。

《常時駐留なき安保》

 さてそのような方向に進もうとすれば、当然にも外交・安全保障政策全般についても旧来の延長ではない発想の転換が必要になる。

 日米関係は今後とも日本の外交の基軸であるけれども、そのことは冷戦時代そのままの過剰な対米依存をそのまま続けて行くこととは別問題である。

 まず1つには、我々は、活力にあふれ、ますます緊密に結びつきつつあるアジア・太平洋の全体を、日本が生きていく基本的な生活空間と捉えて、国連、APEC、東アジア、ASEANおよび北東アジアすなわち環日本海という重層的な多国間地域外交をこれまで以上に重視し、その中で日米、日中はじめ2国間関係を発展させ成熟させていく必要がある。そのような観点からすると、ASEAN地域フォーラム(ARF)に積極的に参加するだけでなく、北東アジアでもそれと同様の多国間の信頼醸成と紛争予防、そして非核地帯化のための地域的安保対話システムを作り上げ、並行して北朝鮮やロシア極東部を含む多角的な経済協力を推進していきたい。

 そのような努力を通じて、まずいわゆる「極東有事」が発生しない北東アジア情勢を作り出していく。それが、沖縄はじめ本土も含めた米軍基地を縮小し、なくしていくための環境づくりとなる。私はそのような条件は次第に生まれつつあると考えている。すでに米韓両国からは、朝鮮半島の休戦協定を恒久的な和平協定に置き換えるための南北と米中の4者会談が呼びかけられている。かつての戦争当事者同士によるその会談が成功を収めた後に、さらにそれをロシアと日本を含めた「6者協議」の枠組みへと発展させ、米中露日が見守る中で南北が相互理解と経済交流の促進と将来の統一をめざして対話を継続するよう促すのが現実的である。そしてその6者とは実は、日本海を囲む北東アジアの関係国すべてであり、朝鮮半島の問題だけでなくこの地域の紛争問題や資源の共同管理、多角的な経済交流などを話し合っていく場ともなりうるだろう。

 そういう国際環境を日本が自ら先頭に立って作り出し、成熟させていくことができれば、その進度に応じて、沖縄・本土の米軍基地の整理・縮小・撤去と「常時駐留なき安保」への転換を図ることができる。私は、2010年を目途として、日米安保条約を抜本的に見直して、日米自由貿易協定と日米安保協定とを締結して、日米関係を新しい次元に引き上げつつ、対等なパートナーシップとして進化させていくことを提唱したい。

 それまでの間、現行の日米安保条約はもちろん堅持するが、一部に議論が出ているような「集団的自衛権」のなし崩し的な拡大解釈によって自衛隊を域外での作戦行動に従事させることは、冷戦時代への逆行であり、認めることはできない。仮に上述のような「極東有事」を発生させないような外交努力が実らず、米軍が日本を基地として第三国に対して作戦を行う事態が生じた際には、あくまで現行条約第6条に沿って、まず事前協議の対象とした上で、その基地提供義務とそれに伴う物資役務提供の取り決めに従って協力する。

《自衛隊のあり方》

 こうした方向をとる中で、自衛隊のあり方も大いに見直す必要があろう。私は、2010年の段階では、自衛隊は、海空兵力を中心とした精強な国土防衛隊と、それとは区別して主に陸上兵力によって編成され訓練された国際平和協力部隊、および機動力を持った災害救援部隊とに再編されるべきだろうと考えている。国際平和協力部隊は、日本の国益とは無関係な立場で、国連のPKOや将来創設されるかもしれない東アジアの共同警察軍などの活動に積極的に参加する。

 いずれにしても、外交・安全保障の中心目標は、「紛争解決の手段として武力を用いない」という日本国憲法および国連憲章の精神がますます広く行き渡るような世界をつくりだすために、先頭に立って行動し、そのことによってアジアはじめ世界から信頼される国になることである。国連に関しては、21世紀の地球的な課題に適合できる"第3の国連"を創設する意気込みで、大国エゴがまかりとおっているとの批判がある安保理のあり方を含めて大胆な改革案を提示することが肝要で、日本が現在のままの安保常任理事国に入ることはメリットもないわけではないがデメリットのほうが大きいのではないか。

 続けて、この鳩山論文に対する白井さんの解説を読もう。

 そもそも、ある国家が自らの存続のために、外国の軍隊の駐留を絶対不可欠の条件として前提しているなどというケースが、地球上にどれほとあるでしょうか。外国の軍隊の駐留抜きに存続している国家の方が多いことは、言うまでもありません。戦後日本のように、戦時ないし準戦時にあるわけでもないのに外国の軍隊が大規模かつ恒常的に駐留している状況こそ、例外的で異常なものにほかなりません。

 しかし、このような問題を提起すると、今度は、
「それならお前は重武装せよというのか、それとも完全非武装で行けと言うのか」
という極端な選択が突きつけられるのが、この国の床屋政談的安全保障談義の通則です。

 なぜ、このような問いが発せられるのか、日米安保体制の本質についてのこれまでの検討から明らかだと思います。このような、議論を封殺しようとする物言いをもたらす動機は、「日米安保体制堅持、米軍の駐留継続以外に、我が国が採るべき方針はない」というテーゼを、すべての前提に置き、また結論としたいがためです。こうした物言いをする人間の思考回路において、日米安保体制は「天壌無窮」(=国体)なので、それに異を唱えること、いや別の可能性を考えてみることさえも、犯罪的なのです。

 鳩山氏や小沢氏の構想は、急進的なものでもなければ極端なものでもありませんでした。すなわち、ゆくゆくはアジア全体で戦争の発生を防止する集団的安全保障のメカニズムを構築するべきであるが、現状では朝鮮半島の緊張や台湾海峡の緊張が解消されていないので、即座に米軍のプレゼンスをアジアからなくすというわけにもいかない。ゆえに、過渡的状況において日米安保体制は維持されるけれども、巨大な米軍基地があることを自明の前提とするような異様な状態は速やかに見直されるべきだ、という考え方でした。そして、このような考え方を持っていたからこそ、民主党の政権獲得前後の時期に、この二人は永続敗戦レジームからまさに狙い撃ちにされました。

 こうした構想が提起された当時と今現在での情勢の主な変化を挙げるならば、朝鮮半島での緊張の一層の激化と、南沙諸島問題をはじめとする中国と周辺国との軋轢の発生かあります。ですが、それでもなお、鳩山氏や小沢氏の提示した方向性は、的確であると私は考えます。なぜなら、アジア諸国のあいだでの信頼感の醸成に基づく集団的安全保障体制の確立へと向かうことができないならば、中国脅威論の方向へと突き進まざるをえなくなるからです。それがいかにジレンマに満ちた危険なものであるかは、先に見た通りです。

 したがって、困難であっても、日本は世界最強の軍隊を用心棒として雇った国としてではなく、「瓶の蓋」に抑えられた危険な国としてでもなく、自立した存在としてアジア諸国に対峙する姿を見せることで、アジア地域の将来を共に構築するパートナーであることを周囲から認めてもらわなければなりません。言うまでもなく、「敗戦の否認」を煮詰めたような現在の政権の政治姿勢は、このような方向性に逆行するものです。

 少し長くなるが、もう一つ掲載しておきたい解説がある。かつて「アジア地域の将来を共に構築するパートナーであることを周囲から認めてもらう」好機があったのに、日本はアメリカへの配慮からこの好機を捨ててしまっている。白井さんは「マハティールと廣松渉」と題して次のように解説している。

 本来進むべき道に向かうチャンスはありました。しかし、日本はその機会を自ら潰してきたのです。その結果、今日「永続敗戦レジーム」は、まさに腐臭を放つ存在としてこの国に覆い被さっています。

 1990年代、東南アジア諸国の経済成長が著しくなり、タイガーエコノミーと言われていた時期に、マレーシアのマハティール首相が、ASEAN(東南アジア諸国連合)に日本、中国、韓国を加え、EU(欧州連合)に匹敵するようなひとつの大きな経済圏をアジアにつくっていこうと提言したことがあります。そのとき、どこの国がリーダーシップを取るのか。マハティール氏は日本が取るべきだと言いました。

 これは、日本人から見れば、ありかたい話です。当然、東南アジア諸国に対しては先の戦争についての負い目がありますから、日本をアジアのリーダーとして認めてくれることへ感謝しなければなりませんし、また、日本の戦後憲法以来の平和の誓いについても、いろいろと欺瞞的な部分はありながらも、一応はそれを守ってきたことが評価を受けたということです。日本国民は平和主義を内面化したという評価を、アジアの他の国のりーダーが下してくれたのです。

 そういう意味で、日本にとっては誇らしく思えるような提案だったと思いますが、あろうことか、これを日本は断ります。断った最大の理由は、アメリカヘの配慮です。アメリカのご機嫌を損ねずに、アジア連合のようなものをつくるのは不可能である、だからお受けする訳にはいかないということです。

 ちょうど同じ時期に、廣松渉の「東亜共栄圏」発言が物議を醸しました。廣松渉は、マルクス主義の哲学者として、また左翼思想家として非常に高名な方でしたが、亡くなる直前に朝日新聞にある記事を寄稿します。その中で、廣松は、「日中を軸とした東亜の新体制を! それを前提にした世界の新秩序を!」と述べたのです。「東亜の新体制」という言葉遣いは、あの戦争のときに日本が掲げたスローガンを当然想起させます。みんなびっくり仰天しました。大東亜共栄圏を肯定するのは右翼であると相場が決まっていたからです。

 しかしながら、今日振り返ってみると、大東亜共栄圏を思い起こさせる言葉遣いをしたことの問題はあるにせよ、その主旨は先見の明に満ちたものでした。欧米の力、特にアメリカのプレゼンスを排除し、あるいは完全排除はできなくとも相対化した形で、アジアの中で共同性を構築していかなければ日本に未来はないぞ、ということを廣松は言っていたのです。突飛に見えて、冷戦崩壊後の日本のあり方を見据えた、実は真っ当な呼びかけだったわけです。

 大戦時に日本が掲げたアジアの共栄圏(欧米による支配からのアジア諸民族の解放)という考え方は、その目標と現実があまりにも乖離していたことで、戦後まったく顧みられなくなりましたが、廣松は冷戦構造が崩壊した後にこそ、この考え方が重要であるということを主張したわけです。

 90年代においては、廣松のこの提案がピンと来る人はまだまだ少なかったように思います。ピンと来るようになったのは、ようやく2000年代に入ってからです。そして2010年代になると、それはさらにはっきりとしてきます。鳩山由紀夫氏も民主党の代表となったときに「東アジア共同体」という構想を掲げました。この頃になると、もはや国策の共有を前提とした日米関係はありえなくなってきており、日本は根本的に新たなレジームに移行しなければならないことを認識する人も多くなってきました。

 それにしても、廣松のこの短い文章はいま読むとその含蓄を理解できます。「アメリカが、ドルのタレ流しと裏腹に世界のアブソーバー(需要吸収者)としての役を演じる時代は去りつつある。日本経済は軸足をアジアにかけざるをえない」という件もあります。これは、次章で取り組みますが、リーマン・ショックによって表面化した世界資本主義の構造的矛盾を指摘するものでした。また、ここでいう「アメリカの役」とは、成長するアジア経済の富を金融的手段を通じてアメリカが吸い上げる構造を指すものにほかなりません。この構造を打破することがアジアの解放である、と廣松は喝破していたわけです。

 現実には、世界資本主義の構造的転換とそれへの対応と並行して、日本の対米従属からの脱却の道が閉ざされていきました。こうして、日本がアジアヘの着地に一向に本腰を入れない姿勢を示し続けた結果、経済大国化した中国は、日本への不信感を拭えないまま、地域覇権国の地位の獲得へと進みつつあり、このことが警戒感を喚起して中国脅威論が燃え盛る、という悪循環に2000年代以降のアジアは落ち込んでいます。この状態に何とかして終止符を打たねばなりません。

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