2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(13)

軍事面での対米従属(6):戦争法(3)


<対中脅威論のジレンマ>

 「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権は、アメリカと日本は根本的な価値を共有する国なのだから親密な信頼関係を築けるという前提の元で、それの補強のために対中脅威論を掲げてアメリカに擦り寄っている。前回引用した日刊ゲンダイの記事にあるように欧米のまともな知識人は、日本と欧米が価値観を共有共しているという前提そのものを疑問視している。またアメリカは南シナ海では中国を牽制する強硬な行動をとり続けてきているが、私はアメリカが軍事衝突をも辞さない程の対中脅威を持っているとは思えない。しかし、次期大統領にクリントンのような軍産複合体と密接な関係がある者が当選したら、軍事衝突の可能性も出てくると思う。サイト「Peace Philosophy Centre」に『なぜヒラリー・クリントンはドナルド・トランプよりも危険なのか』という記事(ジョン・ピルジャーという方の記事の翻訳文)が掲載されている。その記事の中にクリントンの過去の言動が記録されている。次のようである。
『2008年の大統領選挙戦でヒラリー・クリントンは、イランを核兵器で「完全に抹消する」と脅した。オバマ政権の国務長官として、彼女はホンジュラスの民主政府の転覆に参加した。2011年のリビアの破壊に彼女が関与したときは、楽しそうと言ってもいいほどだった。リビアの指導者カダフィ大佐が公開の場で肛門をナイフで突かれたとき(これはアメリカの計画で可能になった殺人だったが)クリントンは彼の死をさも満足そうに眺めて、こう言った。「我らは来た、見た、彼は死んだ。」』
 何ともおぞましい人物である。
 もう一つ紹介しよう。サイト「マスコミに載らない海外記事」に8月31日に掲載された『アメリカ国民は、彼らを支配している悪を打倒できるだろうか?』という記事(Paul Craig Robertsという方の記事の翻訳文)の一節である。
『ヒラリーは戦争屋で、もし彼女が大統領になれば、彼女の傲慢さと、無能さの組み合わせが、第三次世界大戦をもたらす可能性が高いので、おそらく究極的な最後の大統領だろう。2015年7月3日、ヒラリーはこう宣言した。"もし私が大統領なら、我々はイランを攻撃するということを、イランには知ってもらいたい....我々はイランを完全に消し去ることができる。"狂ったヒラリーは、これだけでなく、ロシア大統領を“新ヒトラー”と呼ばわるに至っている。ロシアも消し去ることができると、彼女が考えていることに疑問の余地はない。』

 白井さんはこうした問題をどう考えているだろうか。

 (日本の擦り寄りに)アメリカが乗ってくれるかどうかということですが、短期的に見た場合、その見込みは薄い。つまり、アメリカが日本と手を組んで、台頭する中国を封じ込めるために、究極的には戦争も辞さないという断固たる姿勢を取るといったことは、まず考えにくい。

 中長期的にはわからないとしか言いようがありません。というのは、90年代から中国が猛烈な経済成長を遂げ、力を蓄えてきた間、アメリカの側にも、中国との付き合い方について、姿勢のブレが生じてきたからです。あるときは「封じ込め論」に振れてみたり、逆に、それは無理だから台頭を容認するべきだという意見が主流になったりする。これは、中国の成長を積極的に受け入れて、むしろそれを成長の糧にしようという方向です。

 将来どうなるかは、アメリカ内部での力関係、権力闘争のゆくえによって方向性が決まってきます。あくまで当面は、日本の外交当局者が唱える対中脅威論に、アメリカが乗ってくる気配はありません。南沙諸島あたりでの最近の米軍の軍事行動も、同盟国を安堵させるためのポーズ以上のものには見えません。

 しかも、日本の側は、アメリカが誘いに乗ってくれさえすれば、われわれは再び「居心地が良くなる」と思っているわけですが、実はそれが一番怖いことにほかなりません。『永続敗戦論』にも書きましたが、仮にアメリカが中国の台頭を許すまじと、力でもって抑えにかかり、米中正面衝突となったらどうなるでしょうか。当然その場合、日本はアメリカの前線基地として機能することになりますから、究極的には、日本人はみな核戦争で死ぬことを覚悟しなければなりません。

 白井さんは続けて、「対中脅威論のジレンマ」と題して、対中脅威論をめぐって日米両国が陥っているジレンマを分析している。

 対中脅威論を煽ることは、日米双方の関係者にとって必然的な選択であると同時に、ジレンマに満ちたものであることも指摘しておかねばなりません。

 どういうことかというと、対中脅威論を煽るのは日本の親米保守派ですが、わけがわからないまま喚いている人たちは別として、大局が見えている人は、これは根拠薄弱であり、むしろこの話にアメリカが乗ってほしいという願望の表れにすぎないと知りつつ、これを流布していると言えます。彼らは、対米従属利権共同体の本丸で飯を食っている人たちであり、この共同体が潰れたらオマンマの食い上げですから、嘘でも何でも続けないわけにはいかないのです。

 他方、親米保守派のカウンター・パートナーであるジャパン・ハンドラーと呼ばれるような、日本に対して影響力を持つアメリカの指導者層は何を考えているのか。この人たちは、対中脅威論が日本で煽られることを容認しています。どうしてかというと、対中脅威論が日本の中で盛り上がらないと、日本が脱米シフトしてしまう可能性があるからです。つまり、アメリカをナンバーワンのパートナーと仰いで無条件的に付き従うという方針にはもはや合理性がありませんから、いつ日本が方針を転換してもおかしくない。現に、東アジア共同体創設を唱えた鳩山政権でその可能性が表面化しました。脱米シフトを避けるためには、ジャパン・ハンドラーたちからすれば、日本の国内で対中脅威論が盛り上がってくれないと困る。

 しかしながら、対中脅威論を煽り過ぎれば、本当に日本と中国の軍事衝突 ―特に尖閣諸島をめぐって― が起こりかねないということになる。もし尖閣諸島で日中軍事衝突が生じた場合、はたして米軍は出てくるか。みな気になるところでしょうが、出てこないでしょう。先にも見たように、条約の条文からして、何か事が生じたときに自動参戦する義務は米軍にはありません。だから、参戦しなくても別に条約違反ではないのです。

 ところが、大半の日本人は、例えば尖閣で一朝事あらば米軍が出てくれるものと思い込んでいる。そのため、米軍が出動しなかったら、一体日米安保とは何のためにあるんだ、と世論は沸騰することになるでしょう。ゆえに、アメリカにとっては、そのような事態は絶対に起きてはならない。つまり、「在日米軍は日本を守るためのものである」という日米安保の建前の虚構性が露呈することを、何としても避けなければならないわけです。

 だから、アメリカとしては、対中脅威論をある程度は煽ってほしくはあるけれども、それがリアルな戦争に結びつくことは阻止しなければならない。その際にアメリカは、最終的な手段として、日本の軍事行動を在日米軍によって抑え込むこともできるわけです。

 日本の親米保守派は、一種の「仕事」として対中脅威論を煽らなければいけないわけですが、しかし、その結果、本当に軍事衝突が起きればいいのかというと、それを最終的に許さないのはほかならぬアメリカ様です。そして、そのことを一番よく知っているのは、アメリカ側と接触する機会が最も多い当の親米保守派のはずです。つまり、親米保守の人たちは、アメリカが絶対許さないと彼ら自身が一番よく知っている戦争の危機を煽るという、ジレンマに満ちた行動をとっていると言えるわけです。

 また、日本が「対中脅威なんて大して差し追っていない」ということになってしまうと、アメリカとしては他にも困ってしまう面がある。それは、武器が売れなくなることです。彼らは、対中脅威論を背景としてF-35戦闘機やオスプレイなどを日本に買わせたい。だからアメリカ側はこの面でも、自身がその発生を阻止しなければならない戦争のための武器を売るというような、これまたジレンマに満ちた状態にあるわけです。

 これまで経済領域・軍事面の二分野に分けて、旧安保→新安保→戦争法制と変遷してきた日米安保体制の本質を学習してきたが、では日米安保体制は結局何を守っているのか。白井さんのまとめの論考を読んでみよう。

 以上のような中国脅威論を重大な構成要素として取り込みつつ、冷戦崩壊から今日に至るまでの日米安保体制は、ひたすらその強化が訴え続けられてきました。深刻に危惧されるのは、これだけ中国脅威論を煽ってしまうと、後はもう退くに退けなくなることです。いま見たように、日米双方ともジレンマを抱えながら、しかし現状を維持するために中国脅威論を利用してきました。

 どれほど中国脅威論が煽られようとも、経済的および人的交流が日中間で深化した現在、対中戦争などありえない、と高をくくって観察している人々もいます。しかし、私はそれは希望的観測であり危険だと考えます。国際間の交流と経済的相互依存が進めば進むほど戦争は不可能になる、という一見説得力のあるイギリスの経済学者ノーマン・エンジェルの理論が、第一次世界大戦の勃発という現実によって手酷く論破された歴史を忘れるべきではありません。

 経済合理性の観点からすれば戦争などできるはずがないときでも戦争は起こりうる。要するに、戦争の発生は、通常の経済合理性とは別のロジックを持っているのです。また、第二次世界大戦において、日本は指導者たちが対米戦などやってはならないとみな腹の底では思っていたにもかかわらず、それをやらざるをえなくなった、という過去もわれわれは持っています。

 以上の考察から、現代における日米安保体制が、駐留米軍が、何を守っているのか、はっきり見えてきたと思います。要するにそれは、「永続敗戦レジーム」を守っているのです。より具体的には、その核心部をなす対米従属利権共同体を守っているのです。無論、この共同体と国民全体の利益は合致しません。ですから、あたかも対米従属体制が国民全体の利害と一致するかのような外観を演出しなければならない。そのために、これほどのジレンマを抱えてまで対中脅威論を盛り上げなければならないのです。

 永続敗戦レジーム中核部から見れば、世界最強軍団を自分たちの用心棒あるいは「番犬」として雇っているということになります。だからこそ彼らは、米軍基地の整理縮小について本質的にやる気がないのです。反対に、用心棒は多ければ多いほど安心だ ―それが彼らの本音であるでしょう。とはいうものの、この「番犬」は、「主人」よりも当然強力なので、吠えかかられれば「主人」の方が手も足も出ないのは、見やすい道理です。ゆえに、どちらが本当の主人なのか、言うまでもありません。

 残念ながら、対米従属利権共同体が繰り広げる「あたかも対米従属体制が国民全体の利害と一致するかのような外観」の演出は功を上げていて、国民の過半以上が真実が見えなくなっている。内政・外交・経済政策全てが「アベコベ軽薄姑息」であり、一般国民にとってこれといった好ましい成果が無いのは、対米従属にどっぷりと浸かっているからである。このような政治状況にもかかわらず、内閣支持率は約50%もある。絶望的な状況である。

 このような政治状況を克服する事は出来るのか。白井さんは次の節で「ポスト安保体制」の方向性を論じている。次回はそれを取り上げよう。
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