2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(11)

軍事面での対米従属(4): 戦争法(1)


<賛否をめぐる対立軸>

 一般には「新安保法」と呼ばれているが、私は「戦争法」と呼ぶことにする。

 言うまでもなく、私は戦争法を全く認めない。しかし、これを支持する人たちの考えも検討した上で判断すべきだろうと思う。白井さんは
「成立してしまった新安保法制によって何か危惧されるのか、為政者の思惑を推測することで具体的に考えてみます」
と問題提起をして、「新安保法制をめぐる対立点」という節を設けている。それを読んでみよう。

 現在の世界情勢において、目に見えて最も不安定な状態にあるのは中東です。シリア難民がヨーロッパヘ大量流入し、様々な悲劇も起きている中で、大国イランとサウジアラビアの対立など、さらに大きな戦争の気配すらも感じられます。そこに、もしアメリカが本格的に軍事介入するという状況になったならば、一体どのような形で日本に手助けをさせたいのか。新安保法制の内容に沿って考えれば、自衛隊による兵站、警護なり後方支援が想定可能です。本来、歴史的経緯に鑑みて、あまりに複雑な中東情勢に日本が主体的に軍事的な関与をしなければいけないような義務はありません。

 義務はないはずですが、それでも、現在の政府に最大限譲歩した見方をするならば、日本が中東問題にコミットすることによってのみ、「世界の警察官」から降りたがっているアメリカからアジアの情勢(中国の軍事的拡大)にコミットし続ける確約を得ることができるのだ、という答えが出てくるでしょう。これが、一番合理的なラインで考えられる新安保法制を正当化する論理です。そして、はっきり言えば、この論理は、対テロ戦争の主要プレーヤーに日本がなるということですから、在外邦人がテロの標的になることや、日本国内で無差別テロが起こることを覚悟せよ、というものです。

 この憲法違反の戦争法が早くも具体的に実施され始めた。最近は新聞を読まない人が多いと聞く。お節介を承知で、新聞記事を転載しておこう。東京新聞(25日付)が次のように報じている。

 政府は24日、昨年9月に成立した安全保障関連法に基づき、他国を武力で守る集団的自衛権行使も含めた全ての新任務に関する訓練を自衛隊に開始させると発表した。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に11月に交代で派遣される陸上自衛隊部隊は25日から訓練を始める。違憲の疑いが指摘されている安保法は成立から1年足らずで自衛隊の新任務の訓練が始まり、運用が目前に迫ることになる。(横山大輔)

 集団的自衛権の行使を想定した訓練は、米国との共同訓練の場を利用することになる。防衛省は10月以降に予定する日米統合演習「キーン・ソード」などでの実施で、米側と調整を進める考えだ。仮想敵国からの米艦に対する攻撃に自衛隊艦隊が反撃するシナリオが想定され、発進準備中の戦闘機への給油など米軍の戦闘支援も訓練メニューとなりそうだ。

 自衛隊員が戦闘に巻き込まれる可能性を高める新任務に関しても、実施に向けて訓練が始まる。25日から派遣準備訓練を始めるのは、南スーダンPKOの要員交代で派遣される陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊(青森市)主体の部隊。

 政府は、新任務としてPKO関係者らが武装集団などに襲われた際に防護に向かう「駆け付け警護」や、宿営地の他国軍との共同防衛を付与することを検討。派遣準備訓練の一環として、抵抗する暴徒らを武器を使って威嚇、制圧する訓練を9月中旬に行う見通しだ。「駆け付け警護」では武器使用の基準を緩和し、任務遂行のための警告射撃などを容認した。

 稲田朋美防衛相は24日の記者会見で、訓練の開始に関し「憲法の許す範囲の中で自衛隊の貢献も期待されており、しっかりと訓練することが重要だ」と意義を強調した。

 安保法は日本が米国の戦争に巻き込まれたり、危険な任務に当たる自衛隊員のリスクを高めたりする懸念が残る。集団的自衛権の行使の容認には違憲性も指摘され、廃止論は根強い。

<駆け付け警護>
 改正PKO協力法に基づき海外に派遣された自衛隊が、離れた場所にいる他国部隊や国連職員らが武装勢力に襲われた際に現場に向かい、武器を使って助ける任務。安保法で新たな自衛隊任務とし、危険性を考慮して武器使用基準を緩和した。宿営地の共同防衛は、他国軍とともに宿営地を守ること。攻撃してくる武装勢力が国や国に準ずる組織の場合、海外での武力行使にあたり、憲法9条に抵触する恐れが出る。

 戦争法が強引に動き始めたが、賛成派と反対派の議論が噛み合わぬまま今日に至っている。その噛み合わぬ議論:を白井さんは、手続き論と本質論の2点から次のように分析している。

 しかし、新安保法制に関する議論は、終始噛み合わないまま進行していきました。議論を整理すると、まず賛成派と反対派がありますが、対立軸の一つ目は手続き論的な観点です。賛成派は、こういった憲法解釈の変更は○だと言い、反対派は手続き論的に×と言いました。日本が集団的自衛権を行使する国になるべきであるという方向性自体は肯定する人でも、憲法を改正しないでやるのはおかしいという見解を述べる向きもありました。

 二つ目の対立軸は、本質論です.賛成派は、いま述べたように、中東への日本の軍事的コミットメントとアメリカのアジアヘの関与継続がバーターであるとの論議を組み立てました。それに対して、反対派は、本質論の次元に踏み込んでいくケースですと、中国包囲網をつくろうという考えそのものが間違っている、あるいは中国脅威論をある程度認めるにせよ、危機がさし迫っているわけでもないのに、対中包囲網にアメリカを参画させるために、中東で血を流さなくてはならない法律をつくるのは訳がわからない、と批判しました。

 このように、対立軸は二つあるので、四つの立場が設定可能です。次の図のようになります。
新安保法制への賛否対立軸

 賛成派は「中国脅威論」を盾に、「中東への日本の軍事的コミットメントの見返りに対中包囲網にアメリカを参画させる」という論理を打ち出している。私は手続き論に於いても本質論に於いても、賛成派の議論に全く同意できない。本質論では「中国脅威論」の検討が必要不可欠になるが、それは次回に取り上げよう。

 では、白井さんはこうした議論についてどう考えているのか。その意見を聞いてみよう。

 この二つの対立軸に関する私の見解を述べます。まず、1内閣の閣議決定によって実質的に憲法を変えてしまうような政治手法が、立憲主義の根幹を脅かすものだという手続き論における反対論に、私は同意します。

 本来であれば、このような立法をするには、改憲が必要でした。そして、改憲するためには国民投票が必要です。国民投票にかければ、改憲したい側としては失敗する可能性もありますが、別に失敗しても、またやればいいのであって、日本にとってそこまで絶対に必要な法律であるのであれば、やがては国民に理解され、改憲にも成功するでしょう。

 なぜ、こういう正攻法をとらなかったのか。そこに、「永続敗戦レジーム」の側の自信のなさが表れています。安全保障に関して、本当に国民に対して真剣にものを言えるか、あるいは聞いてもらえるか、それだけの自信がなかったのだろうと思います。

 戦後の保守は、日本国民の安全保障問題に対する態度には忌避反応がある、という不満をこれまで幾度もこぼしてきました。しかし、これは自業自得と言うべきものです。それは、敗戦処理の問題、つまりは「敗戦の否認」の問題に関わっています。あれほど無責任な戦争をやっておいて、国民に対して何の総括も自主的にはしていない国の指導層に系譜的に連なる支配者が、安全保障について語ったところで、まったくリアリティーが欠けている。語る資格がないので忌避反応が起こるのです。今般のクーデター的な実質的改憲は、このジレンマを解くことを放棄し、無資格性に開き直る方針を鮮明にしたことを意味します。

 対立軸の二つ目は本質論です。すでに述べたように、賛成派は、その根拠を対中問題に見出しています。中国の台頭が著しい今日、アジアの軍事的パワーバランスは動揺しており、米軍のプレゼンスによってのみ日本の平和を保てるのだ、と彼らは言います。この問題には、軽々には答えられません。中国の軍事費が増大しており、南沙諸島問題を中心に隣国との軋轢が生じていることは確かですが、だからと言って、中国が日本を侵略する準備を着々と進めているなどと判断するのは、妄想的です。軍事費の増大も、GDPの増大に比例したものであるという側面もあります。

 この問題への見通しを得るためには、まず現在の日本の情勢下で対中脅威論がどのような機能を果たしているのかを、見る必要があるでしょう。

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