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《米国の属国・日本》(6)

経済領域での対米従属(2):マネー敗戦とは?


 マネー敗戦はレーガノミクス政策をきっかけとして起こった、ということだったが、ではどのような状況がマネー敗戦と呼ばれているのか。この観点からレーガノミクスが引き起こしたことを白井さんの解説を下敷きにしてたどってみることにする。

 レーガンはソ連を「悪の帝国」と罵倒し、ソ連との対立を先鋭化させ軍事拡大を進めていった。その軍拡構想の中に「戦略防衛構想(SDI)」という計画があった。オリバー・ストーンは「人工衛星と地上迎撃システムの連携により、飛んできた敵のミサイルを撃墜するという荒唐無稽な計画」と解説している。この構想は「スターウォーズ計画」と呼ばれて揶揄されていた。しかし、レーガンはこの構想をむきになって進めようとした。

 軍拡には大変な予算が使われていったため、「双子の赤字」は更に拡大していった。白井さんは
「その際に少なからぬ役割を果たしたのが、日本でした。米国債を大量に購入することにより、レーガノミクスをファイナンスしてあげたわけです。」
と指摘している。

 そして更に、国際的な動きが加わる。
1985年9月22日
 ドル高の是正を目的として米、英、西独、仏、日本の5ヶ国の蔵相会議がニューヨークのプラザホテルで開催された。この会議で「為替レート安定化に関する合意」が成立した。プラザ合意と呼ばれている。この合意後、各国は為替市場に協調介入し、ドルはたちまち下落していった。

 レーガンは「軍事的、経済的に強く偉大なアメリカのためには、その通貨も強くなければならない」と、「強いドル」目指していた。しかし、ドル高によって貿易赤字が拡大していった。こうした国際的な動きが日本経済に及ぼした影響を白井さんは次のように解説している。

 アメリカの産業(製造業)を回復させたいなら本来、輸出を増やす必要があり、ドルは安くしなければならない。レーガン大統領は選択を迫られ、結局「強いドル」を放棄したのでした。

 プラザ合意以前から、すでにもう円高圧力は強まっていたのですが、プラザ合意がなされることによって、円高ドル安の流れは加速します。だいたい1ドル約240円だったのが、1987年には120円台にまで下がっていきます。対円でドルの価値はおよそ半減したわけです。

 これによって、アメリカは大きな得をしました。まず、それ以前にアメリカは日本からレーガノミクスヘのファイナンスで大量にお金を借りています。その借金は全部ドル建てです。実は米国債問題のポイントは、日本が買った米国債は全部ドル建てであるということです。例えば1ドル240円のレートで借りたとすると、後に1ドルが160円になれば、借りた側からすれば、何もしなくても借金が3分の1圧縮されたのと同じことになるわけです。実際にそういうことが起きたのです。

 この状況を、経済学者の吉川元忠は「マネー敗戦」と名づけました。例えば、一部なりとも円建てで貸していればまだよかったのですが、日本はそういうことをしなかった。吉川は、1998年に出版された著書『マネー敗戦』で、日本はアメリカの借金棒引き術に引っかかってとんでもない目に遭っているんだということを書いています。その他にも、ケインズ派経済学者の宮崎義一もこれと同じようなことを論じていますが、当時、こうした分析は、経済学業界で決して主流の議論にはならなかったようです。主流派には、経済現象の背後にある政治力学が見えない、あるいは見て見ぬ振りをするのです。

 借金が目減りしたアメリカは、できたお金で軍拡を行ない、米ソの軍拡レースを激化させます。そのとき、すでにソ連は基礎体力が弱っており、結果として、冷戦構造が最終的に崩壊するという大事件が89年から91年にかけて起こっていきます。

 この流れにおいて、日本は一体何をやつたのか。アメリカの膨大な借金をファイナンスしたという意味では、間接的にはソ連の崩壊を導いたことになります。冷戦構造は、日本が敗戦を否認することが可能な、心地よい環境を提供してくれていたものでしたが、ある意味で日本はその環境の破壊に自ら手を貸したとも言えるわけです。

 1991年12月にソ連が崩壊し、冷戦は終結した。その後、日本経済に何が起こったのだろうか。1987年頃にバブルが始まり、1990年頃にバブルが崩壊する。1990年代の日本経済史の年表から経済停滞を示す事項を拾ってみよう(岩田年浩という方の『戦後日本経済年表』を利用しています)。

1990年
 8月30日公定歩合は6.0%にUP(バブル崩壊のシグナル)。

1991年
 金融証券スキャンダルの発覚相次ぐ(イトマン、四大証券、住友、興銀など)。
第二次オイルショック。

1992年
 平成不況始まる。
 公定歩合は3.25%に。
 92年度の倒産は1万4441件。
 平均株価は1万4822円と6年ぶりに最低

1993年
 2月4日 公定歩合は2.5%に。
 6月 金利の自由化が始まる。
 企業のリストラすすむ。

1994年
 平成不況下で輸出に活路(貿易黒字14兆円)。

1996年
 6月 1ドル=90円台に入る。

1997年
 97年度より就職協定廃止。
 4月消費税率3%から5%へ。
 6月改正労働基準法成立(各種の労働保護を撤廃)。
 10月の完全失業率は3.5%と過去最悪に並ぶ。
 11月 北海道拓殖銀行経営破綻、山一証券自主廃業。

1998年
 98年度から2年間、減反目標は96万3000ヘクタールと過去最大に。
 4月 総合経済対策16兆円。
 11月 緊急経済政策24兆円を発表。
 8月 日経平均株価は1994年8月以来で1万3000円を割り込む。
 雇用者所得(ほとんどは賃金)の伸び率が初めてマイナスに。
 2年連続でマイナス成長。

1999年
 企業は雇用・設備・債務の3つの過剰の解消に向かう(リストラ元年)。
 3月決算で大手11行の不良債権は19.9兆円に。
 6月 完全失業率は4.9%に。
 東証一・二部企業の決算は291兆円の減収(3年連続)。しかし8.8兆円の増益。
 後半以降,デフレスパイラル進行。
 11月 経済新生対策18兆円。
 12月ダウは1万1405ドルと最高値を更新。

 このような深刻な経済停滞の原因は何だったのだろうか。平井さんは「経済停滞の犯人捜し」と題して、次のように分析している。

 冷戦構造が終結すると、90年代以降は金融の国際化、金融をめぐる世界的なルールの統一化が一層進んでいきました。なぜ、ルールを統一しなければならないのかと言えば、資本移動の自由化を進め、金融資本主義化を進めるためには、国によってルールが異なるのは不都合であるからです。

 そんな中、日本型産業構造に対する批判が起こります。日本の産業構造は、よく「護送船団方式」などと呼ばれていましたが、端的に言うと、国家による指導の側面が非常に強い資本主義です。通産省(現・経産省)や大蔵省(現・財務省)が各主要業界に対して強い権限を持ち、産業の司令塔として指導をするというところに特徴があります。

 本山美彦(よしひこ)さんの『金融権力 ―グローバル経済とリスク・ビジネス』で詳しく説明されていますが、ここでキーポイントになるのは、金融システムです。国家指導型資本主義においては、国家が必要と考える産業にファイナンスしないといけない。そのときにリスクが高ければ、民間金融機関は応じることができない。かといって国家が丸抱えにするのでは、資本主義社会、自由主義社会とは呼べません。

 そこで中間的な形態として生み出されたのが、政府系の金融機関です。例えば長期信用銀行などの特殊な金融機関が長いスパンで企業活動を支援すれば、短期的な利ざやを求めず、長期的な展望の下に企業の活動を支援できる。これが日本型産業構造の特徴であり、戦後の経済成長を支えたシステムであったわけですが、1990年代あたりから激烈な批判にさらされていくことになります。

 バブル崩壊以降、いよいよ日本経済が停滞するようになって、その犯人捜しが始まります。そのとき最も激しくやり玉にあげられたのが、この構造でした。国家の統制が強すぎるために自由なイニシアチブがない、だからバブル崩壊のダメージから立ち直れないんだろう、という論調がメディアを席巻していきます。ちょうど私が大学生だった90年代後半は、まさにこうした論調の最盛期だった覚えがあります。

 でも、いまから考えると、これらの批判が一体何を批判していたのかよくわかりません。その後「金融ビッグバン」等々によって金融のルールを変えて、護送船団方式を崩さねばならないという流れになります。詳しくは次章で説明しますが、今日の目から見れば、停滞の本当の理由は、非常に長期的な意味での資本主義の行き詰まりという問題ですので、根本的には解決のしようがなかったのではないかと思われます。短期的な理由は、不良債権の処理に手間取ったことが主因であり、90年代末の小泉内閣の時代にやっとそれに気づきます。これを処理しないとどうしようもないということで、実質的に政府が不良債権を保証することになります。

 ですから、長期的に見ると、バブル崩壊の痛手から立ち直るにあたって、護送船団方式や日本型産業構造をことさらに問題視するのは筋違いであったと思われるにもかかわらず、なぜかそこに諸悪の根源があるかのように言われました。いまになってみると、それは何かを行なうための口実にすぎなかったのではないか、と考えられるのです。それが、例えば金融ビッグバンであり、構造改革です。日米の間で年次改革要望書が実質的に始まるのが94年ですから、ちょうど金融ビッグバンの前夜に当たる時期です。

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