2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(1)

対米従属、その内実の変遷(1)


 悲しいかな、敗戦でアメリカに占領されて以来今日まで、日本はずっとアメリカの属国だった。しかし、対米自立を目指していた時期もあった。時代と共にその内実は変化している。例えば、この4月に出版された白井聡著『戦後政治を終わらせる:永続敗戦の、その先へ』(以下では「戦後政治を終わらせる」と略記する)は、戦後の日本政治の対米従属70年を考察し、さらにその対米従属という「永続敗戦」からの脱却の道筋を描いている。この著書を主要教科書として学習をしていく予定だが、対米従属内実の変化のあらましを語っている記事に出会ったので、予備知識として、まずはそれを読んでおくことにする。

 その記事とは、前々回お世話になったサイト「内田樹の研究室」の記事『『日弁連での講演の「おまけ」部分』である。前々回は、その中から経済政策問題を語っている部分を引用したが、今回はその記事の中の対米従属を語っている部分を使わさせていだだく。

 対米従属のありようもどんどん時代とともに変わっていると思います。1945年から1972年の日中共同声明くらいまでの期間が「対米従属を通じて対米自立を獲得する」という戦後の国家戦略がそれなりの結果を出すことができた時期だと思います。米軍が出て行った後、安全保障についても、外交に関しても、エネルギーについても、一応国家戦略を自己決定できるような国になりたいという思いがあった。でも、72年の日中共同声明が結果的には日本政府が自立的に政策判断した最初で最後の機会になりました。それまでは「対米従属を通じての対米自立」戦略はそれなりに成功してきたわけです。

 1972年の日中共同声明とは、訪中した田中角栄首相と毛沢東主席がまとめた日中国交正常化をめざしたあの声明である。その後1976年、田中首相は贈収賄事件(ロッキード事件)で逮捕収監された。1992年12月に刑事被告人のまま75歳でなくなっている。ロッキード事件は、アメリカの頭ごなしに日中国交を進めた事に対するアメリカのやらせ訴訟だったと言われている。最近、田中角栄が見直されているようだ。

 45年から51年まで6年間にわたる徹底的な対米従属を通じてサンフランシスコ講和条約で形式的には国家主権を回復した。その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争でも、国際世論の非難を浴びながらアメリカの世界戦略をひたすら支持することによって、68年に小笠原、72年に沖縄の施政権が返還された。講和と沖縄返還で、日本人は「対米従属によって国家主権が回復し、国土が戻って来た」という成功体験を記憶したわけです。

 そのときに、田中角栄が出て来た。そして、主権国家としての第一歩を踏みだそうとして日中国交回復という事業に取り組んだ。もう十分に対米従属はした。その果実も手に入れた。そして、ホワイトハウスの許諾を得ないで中国との国交回復交渉を始めた。その前にニクソンの訪中があったわけですから、遠からずアメリカから日本政府に対して「中国と国交を回復するように」という指示が来ることは明らかだった。日中国交回復はアメリカの世界戦略の中の既定方針だったわけですから。そして、田中角栄は日中国交回復に踏み切った。

 これについてアメリカが激怒するというのは外交的には意味がわからないんです。だって、いずれアメリカが指示するはずのことを日本政府が先んじてやっただけなんですから。でも、このとき、キッシンジャー国務長官は激怒して「田中角栄を絶対に許さない」と言った。その後の顛末はご存じの通りです。だから、あのときに日本の政治家たちは思い知ったわけです。たとえアメリカの国益に資することであっても、アメリカの許諾を得ずに実行してはならない、と。

 対米自立を企てた最後の政治家は鳩山由起夫さんです。普天間基地の移転。あのときはすさまじい政官メディアのバッシングを喰らって、鳩山さんは総理大臣の地位を失った。理由は「アメリカを怒らせた」というだけ、それだけです。日本の総理大臣が日米で利害が相反することについて、日本の国益を優先するのは当然のことだと僕は思いますけれど、その当然のことをしたら、日本中が袋叩きにした。

 もうこの時点になると、対米従属だけが自己目的化して、対米自立ということを本気で考えている政治家も官僚も財界人もジャーナリストも政治学者もいなくなった。日本の指導層はアメリカのご意向を「忖度」する能力の高い人たちで占められている。その能力がないとキャリアが開けないんだから仕方がない。それぞれの持つしかるべき「チャンネル」から、アメリカはこういうことを望んでいるらしいということを聞き出してきて、それをしかるべき筋に注進して、それを物質化できる人間の前にしか今の日本では日本ではキャリアパスが開けない。そういうことです。

 ですから、これからあと、アメリカが宗主国としての「後見人」の役を下りた場合に、日本はいったいどうする気なのか。僕には想像がつきません。今の日本には自立的に国防構想や外交構想を立てられる人物がいない。政治家にもいないし、官僚にもいない。どうやってアメリカの意図を忖度するのか、その技術だけを競ってきたわけですから、日本の国益をどうやって最大化するか、そのためにはどういう外交的信頼関係をどこの国と築くべきか、どういうネットワークを構築すべきか、指南力のあるメッセージをどうやって国際社会に向けて発信するか、そういうことを真剣に考えている人間は今の日本の指導層には一人もいない。とりあえず、身体を張ってそういうことを口にして、広く国民に同意を求めるというリスクを冒している人間は一人もいません。

 この人たちのことをだらしがないとか言っても仕方がない。倫理的な批判をしても、彼らの「オレの出世が何より大切なんだ」というリアリズムには対抗できない。日本の国益って何だよ、と。そんなもののことは考えたことがない。アメリカに従属すれば自己利益が増大するということはわかる。だからそうやって生きている。そうやって財を築き、社会的地位を得て、人に羨まれるような生き方ができている、そのどこが悪いとすごまれると、なかなか反論できません。

 でも、本当に新聞の記事には「日本の国益」という言葉がもうほとんど出てこない。一日に一回も出てこない日もある。外交や基地問題や貿易問題とかを論じている記事の中に「国益」という言葉が出てこないんです。国益への配慮抜きで政策の適切性について論じられるって、すごいアクロバットですよね。でも、日本のジャーナリストたちはそういう記事を書く技術だけには長けているんです。国益については考えない、と。国益を声高に主張すると、対米従属の尖兵になっている連中に引きずり下ろされて、袋叩きになるということがわかっている。そういうどんよりした空気が充満しているんですよね。いったいどうなるんでしょう、これから。

  「いたいどうなるんでしょう、これから」に対する答えが『戦後政治を終わらせる』で語られていることを期待して、この著書を選んだ。

 ところで、内田さんは「対米従属内実の変遷」については、大まかに、1945年から51年(サンフランシスコ講和条約)まで6年間を「徹底的な対米従属」の時期、それから1972年(日中共同声明)くらいまでの期間が「対米従属を通じて対米自立」を目指した時期、その後が「対米従属が自己目的化」時期と区分している。これに対して白井さんは
占領期から安保闘争あたりまでを「確立の時代」
そこから冷戦終焉までを「安定の時代」
そしてその後を「自己目的化の時代」
という三つの時代区分を提示している。次回から「戦後政治を終わらせる」の第2章「対米従属の諸相」を読みながら、白井さんが提示した三つの時代の内実をたどっていくことにする。
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