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《沖縄に学ぶ》(62)

未来へ向かって(9):再び沖縄での自己決定権を求める動き


 いま教科書として用いている『沖縄の自己決定権』は2015年6月に出版されている。最終記事は2014年~2015年の「沖縄の自己決定権を求める動き」で締めくくられている。これを読んでシリーズ《沖縄に学ぶ》を終わることにする。

「軍事の要石」から「平和の要石」へ

 参院議員を3期13年務めた稲嶺一郎(1905年9月23日 - 1989年6月19日)さんには次のような経歴がある。
 太平洋戦争前に満州やタイに赴き、戦中戦後はジャカルタに滞在、インドネシア独立運動を支援したためオランダ側に拘束され、1年間投獄された経験を持つ。70年に参院議員に初当選後は、政界屈指の東南アジア人脈の持ち主として活躍、インドネシアの建国式典では国賓待遇で迎えられた。

 稲嶺さんは、沖縄の日本復帰前の69年に、『21世紀の胎動』という著書を出版している。その著書では、歴史・地理的条件などから「アジアの中の沖縄」を再評価し、「南北の文化、経済交流の中枢として活用可能」と提起している。そして、当時すでに世界は経済面で地域統合に向かうと予測、欧州経済圏のように「大陸・東南アジア経済圏」がつくられると予言している。
「次第に地域としての関係を強め、日本をはじめ、アジア各国の連帯による共同防衛、治安、平和の維持となってあらわれる。その場合、アジア連邦形成への動きや成立は現実化しているかもしれない。」
 そして、沖縄は、アジアの国際機関を設置する素地が十分あるとして青写真を描いた。
「人類の発展のために、沖縄を世界の裏街道でなく表街道に位置づけること、『アジアの真珠』として育て磨いて光沢あらしめること、経済的政治的中心として形成すること、これらこそわれわれが意識し、計画し、実施していくべき西暦2000年に至る道程だ。」

 その提言から46年、沖縄を「アジアの要」として発展させる動きが本格化している。翁長雄志知事は「アジア経済戦略構想」の検討チームを設置し、那覇空港を拠点に沖縄県内とアジア各地を結ぶ国際物流貨物事業や情報通信産業の拠点化、国際観光リゾート産業などを有機的に結合させる取り組みに乗り出している。

 一方、2014年4月には、鳩山由起夫元首相が沖縄を「捨て石」や「軍事の要石」でなく「平和の要石」にしたいとの思いから、東アジア共同体研究所「琉球・沖縄センター」を那覇市内に設立、シンポジウムを5回開催するなど活発な活動を展開している。その一環として、沖縄と中国の連携を強める具体構想もある。

 センター長で琉球弧世界遺産学会事務局長の緒方修(おさむ)沖縄大客員教授は、沖縄と中国福州の交流の歴史に着目、「琉球王国及びグスクの世界遺産群」に、福州の琉球館などを拡大登録することを目指す。登録されれば、中国人観光客の大きな誘因になるほか、沖縄と中国の交流が一層進むと確信する。
「交流の跡や現在まで続く交流も文化遺産に登録できる対象として規定されている。世界には国境をまたいで登録されている例がある。」
 近く福建の関係者を訪問し可能性を模索し、沖縄県や日中の行政担当者に働きかけていく考えだ。

中国の視線

 2014年11月5日、熊本市で、冷え込む日中関係の改善を促すため、中国に近い九州・沖縄の新聞記者と東京に支局を持つ中国の新聞社・通信社の記者による交流会が初めて実現した。「誰が勝つの?」、中国の記者たちは沖縄の新聞記者に約2週間後に迫る沖縄県知事選の行方を何度も聞いてきた。

 中国国営の新華社日本総局は知事選取材のため沖縄へ記者を派遣し、結果を速報した。国営の中央テレビも選挙の特集番組を流し、中国メディアは高い関心を示した。投票日2日前に沖縄入りし、知事選を取材した新華社の劉秀玲(りゅうしゅうれい)記者は、中国メディアが県知事選を注目する理由について、「日米関係に影響を与える可能性がある。」と話した。中国は日本との関係づくりの際、日米関係を大きな判断材料にしている。

 新華社の記事には「沖縄人 選挙で米軍基地に『ノー』」という見出しが躍った。書き出しで知事選の意義をこうつづっている。
「背後にある日本の将来の発展を深く考えさせられるもの、すなわち日米の軍事同盟関係を国の基本とし続けるべきか否かについて県民が疑問を投げかけた。」

 記事に
「新知事当選は民意の逆襲」
「『基地は経済発展の阻害要因』はすでに共通認識」
「自己決定権追求の闘い」
という小見出しを付け、沖縄の研究者の解説を引き、こう指摘した。
「知事選は本質的には県民が自己決定権を追求する闘いだった。県民は沖縄の発展の道を選択する権利があるか否か、あるいは東京の決定に従うしかないのか、沖縄の長期にわたる大衆運動には、こうした人権、自治権、自主権への要求に終始貫かれている。」

 一方、中国の研究者は今の沖縄をどうみているか。事情に詳しい複数の研究者によると「沖縄は中国の領土」という認識はほとんどなく、沖縄の自主的な決定権を尊重すべきだという論調が大勢を占めるという。実際、日本による「琉球処分」(琉球併合)直後、中国(清)側は日本側に対し、琉米・琉仏・琉蘭の三修好条約などを根拠に「琉球は独立国」と主張した。

 日中関係や琉球の歴史を専門とする姜弘(きょうこう)・北京師範大副教授は
「戦後沖縄は度々、複雑な国際紛争や大国の戦略に翻弄され、自己決定権の行使は難しかった。しかし今回の知事選を通して、県民の自己決定意識が高まってきた。この選択は尊重されるべきだ。」
と指摘する。そして
「中国は琉球王国時代から沖縄と友好的な貿易の往来、文化交流の歴史的伝統がある。」
として一層の交流を願った。

 対中貿易・経済交流の促進に取り組む日本国際貿易促進協会の職員として、習近平(しゅうきんぺい)現国家主席や温家宝(おんかほう)前首相ら中国の国家指導者との会談で通訳を担当してきた泉川友樹氏(豊見城市- とみぐすくし -出身)は、沖縄が日中関係に果たせる役割は大きいと話す。
「ウチナーンチュは友情の育み方など人間関係で中国人と通じ合えるものがある。地理的、文化的、人間的に近いことをうまく活用し、日中の間を取り持てる。それができたら世界でも素晴らしい例になる。」

 沖縄の目指すべき将来像は、軍事ではなく「対話のホットライン」、それは日中、沖縄、いずれにとっても「いいことだ」。

加速する沖縄の自己決定権を求める動き

 2014年11月29日から約3週間、県立博物館・美術館で「ペリー一行の見た琉球・日本―ウィリアム・ハイネの水彩原画展」が開かれ、1853年から54年の訪琉でペリー随行画家が描いた原画5点が初めて一堂に公開された。初日、多くの小学生らが足を運んだ。原画展の感想を聞いた記者に、那覇市の曙小学校6年の荷川取(にかどり)林香さん(12歳)は目を輝かせてこう答えた。
「ペリーが沖縄に5度も来て、琉球と琉米修好条約を結んだことを初めて知った。沖縄と外国との関係をもっと知りたい。」


 会場の一角に、琉米修好条約の条文が展示されていた。水彩画は原画だが、条約の方は原本ではない。複製だ。条約原本は東京の外務省外交史料館に保管されている。2014年4月、琉球新報は外務省に対し、琉球国が1850年代に米・仏・蘭それぞれと結んだ三条約について文書で次のような質問した。
「条約はなぜ、現在、外務省の管轄下にあるのか?」
「明治政府は1872年の『太政官布告』で三条約を外務省所管とすることや、正本提出を琉球藩に命じたが、その理由や法的根拠は?」
「琉球藩が74年に三条約の正本を外務省に提出したが、その後、条約の効力の有無や内容の順守などはどうなったか?米仏蘭各国への説明、反応は?」
 外務省は一括してこう答えた。
「当時の経緯が必ずしも明らかではないこともあり、お尋ねについて確定的なことを述べることは困難です。」

 米仏蘭三条約は琉球国が当時、国際法の主体だった"証し"だ。複数の国際法学者が三条約を根拠に、明治政府による1879年の琉球併合(「琉球処分」)は「国際法上不正」と指摘している。国際法に違反した国家は、違法行為の停止、真相究明、謝罪、金銭賠償などの義務を負う。国際法の主体(=主権国)として琉球が他国と結んだ条約を日本政府が持っている以上、政府は国際社会の一員として説明責任が問われるはずだ。

 名護市辺野古の新基地建設に県民の反発が高まる中、沖縄の自己決定権を追求する声が高まっている。三条約は「主権回復」主張の論拠となり得る。

 2013年6月12日、那覇市議会で平良識子(たいらさとこ)市議が主張した。
「私たちは歴史上、国際社会において、本来ならばどのような権利を持つ存在なのか、主体なのかを確認する、あるいはその根拠を持つことが非常に重要だ。その象徴的な一つとして琉米条約がある。」
 そして、「本来ならば沖縄が所有すべきだ」と、那覇市に条約返還を国に求めるよう要求した。その後も返還を求める声を上げ続けている。一方、琉球民族独立総合研究学会も2015年2月3日、外務省沖縄事務所に対し、琉米条約の原本を返還するよう要求した。

 日本に併合された後、沖縄戦で多くの犠牲を出した沖縄。米国統治下の27年間、住民は生命や人権、自治の侵害を経験し、日本「復帰」後も、軍事基地の過重負担に苦しめられている。琉球の主権を収奪した琉球併合は、歴史の苦渋の根源ともいえる。これまでの歴史に対する謝罪など、さまざまな形で日米の責任を追及すべしとの声もある。

 沖縄の自己決定権を問う世論の中で、三つの条約が今、息を吹き返しつつある。その様子を、沖縄の未来を担う子どもたちも見詰めている。

 沖縄がまだ米国統治下にあった1962年2月1日、琉球政府立法院。翁長助静(じょせい)議員は壇上で発議者を代表し、沖縄の施政権返還要求に関する決議文を読み上げた。
「国連総会で『あらゆる形の植民地主義を速やかに、かつ無条件に終止させることの必要を厳かに宣言する』旨の(中略)宣言が採択された今日、日本領土内で住民の意思に反して不当な支配がなされていることに対し、国連加盟諸国が注意を喚起することを要望する。」
 決議文は全会一致で可決され、国連加盟104ヵ国に送付された。この「2・1決議」は国際社会に米国の植民地的支配の不当性と沖縄の主権回復を世界に訴えた歴史的決議だった。しかしその後、沖縄から国際社会への働きかけは続かなかった。

 1879年の琉球併合前後にも、琉球の旧士族たちが海外に救国を訴えた局面があった。しかし当初は、日琉関係の伝統的な「隠蔽策」が露呈するのを恐れ、欧米との接触を積極的に活用しなかった。運動は、明治政府と中国(清国)への嘆願が中心で、国際法に基づいて国際社会に訴えるなどの取り組みは弱かった。

 しかし、時代は大きく変わった。世界的に民主化が進み、情報メディアも発達した。知事選、衆院選で示された民意を無視して、名護市辺野古で日本政府が新基地建設を強行していることに、国際社会は厳しい目を向けている。
「沖縄の人々の利益というゴールに向けて、あなたが前に進んでいけることを祈っている。」
 東西冷戦の終結に指導的役割を果たし、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は、新基地建設問題を理解した上で、翁長雄志新知事に文書でエールを送った(2014年11月25日付)。世界的に見ても沖縄の現状は「不条理」だとする海外識者からの指摘も相次いでいる(琉球新報連載「正義への責任―世界から沖縄へ」)。

 知事選翌日のインタビューで、当選した翁長知事は辺野古問題について、「国連への要請も視野に入れる必要がある。」と述べた。基地建設阻止に向けて早期に訪米し、国連機関などを含めて沖縄の民意を訴え、国際世論を喚起していく考えだ。2・1決議から53年余。決議を読み上げた翁長助静氏の子息・雄志氏は父の遺志を引き継ぐ。

 ほかにも、国際世論へ打って出る動きは活発化しつつある。「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」は、国連人権理事会などへの働きかけを強化する方針だ。2015年4月、スイス・ジュネーブの国連機関に担当者を派遣した。「琉球民族独立総合研究学会」も、琉球人への差別問題や自己決定権確立などを国連に直接訴える活動を15年度から始める。

 沖縄の民意が日本政府に無視され続けている中、日本の国民世論の喚起はもとより、国際世論の喚起が事態打開の鍵を握る。沖縄の自己決定権が保障されるよう粘り強く主張し続け、国連などに訴えていくことが課題となっている。

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 最後に一言。
 高江の米軍ヘリパッド建設を強行しているアベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権は、機動隊を使って連日、反対を訴える人たちに対して信じられないような暴力を振るっている。両手で首を絞められる場面もある。22日には、ロープで首を締められ痙攣を起こして救急車で運ばれる人も出ている。宗主国アメリカ様しか念頭になく、沖縄を植民地扱いしているのだ。国際社会に向かってどう言い訳するのだ。恥を知れ!!、と言っても全く通じないだろうね。私が付けている安倍政権の本性を表す渾名はもう一つ長くなってしまった。
「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト恥知らず政権」。
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