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《沖縄に学ぶ》(62)

未来へ向かって(9):自己決定権希求の広がり


 私は全く知らなかったが、北海道・高知県でも自己決定権を求める動きがあったという。『沖縄の自己決定権』がそれを取り上げている。

《北海道のケース》

 2014年12月6日、北海道大学で「スコットランド独立運動の教訓とこれからの地域政治のゆくえ」と題するシンポジウムが開かれた。スコットランドの政治学者や北海道新聞の記者らが現地の独立運動を解説した。スコットランドの独立投票では、有権者の年齢を18識から16歳に下げ、投票率は約85%に達したという。また、パネル討議に参加した琉球新報の記者は、知事選で辺野古への基地建設を拒否した背景に県民の自己決定権への希求があると強調した。

 詰めかけた一般市民、学生ら約120人は真剣な表情で登壇者に質問・意見を寄せた。いずれも日本の自治に対する危機感があふれていた。その時に寄せられた質問・意見には例えば次のようなものがあった。

「スコットランドの分権は『下からの改革』だが、なぜ日本ではそれが見られないのか。そのような意識を育てるのは可能か」(22歳・大学院生)。

「日本では若者の政治離れ、政治不信、投票率の低下、議員の腐敗、地方議員の活動の不透明さなど、あらゆる問題を抱えている。その根底には、日本の政治教育の至らなさがあると思う」(21歳・学生)

 次のような沖縄への意見も寄せられた。
「日本の対米従属の害悪がすべて沖縄に押し付けられている現状では、沖縄はスコットランド以上に日本から独立する正当性を持っているのではないか。沖縄の独立要求を否定し得る道義的見解を日本人は持てないのではないか」(71歳・無職)

 北海道と沖縄は、日本の近代国家形成過程で最後に編入され、長い間、他地域と同じレベルの自治権や人権を認められなかった。北海道は1869年から1946年まで開拓使長官か内閣総理大臣(後には主に内務大臣)直属の北海道庁長官が管轄する区域で、その後は出先機関の北海道開発庁が置かれた。これに知事や道議会が「自治権の侵害」として抵抗した歴史もある。
 北海道開発庁は北海道開発局として基本的に設置時の体制のまま、現在に至る。沖縄の県庁と沖縄総合事務局の関係に似ている。

 シンポを企画した北海道大公共政策大学院院長の山崎幹根(みきね)教授は、北海道内で積極的に地方分権を進める動きが停滞しているので、「外からの刺激が必要」と企画の意図を語る。地域の特性を生かす自己決定権を行使する大切さを再認識する上でスコットランドは好例という。
「地域から中央に声を上げ、自立へ向けて実践することが重要だ。沖縄の事例は大いに示唆に富む」
として、民主主義の在り方を自らの地域に即して問い直すことが求められていると強調する。そして山崎教授は、日本の地域民主主義についてこう語った。
「国策によるアメとムチで地方に自発的服従を強い、中央各省の裁量の範囲で部分的に分権や特区を認める手法はもう限界だ」

 聴衆から次のような意見も寄せられていた。
「『今だけ、金だけ、自分だけ』、さらに『国だけ』良ければ ―といった風潮がある。今、目の前の金よりも将来に誇れる理想を選択できない日本人・北海道人の姿があります。』

《高知県のケース》

《200×年4月1日午前10時、高知県庁はいつにない緊張と興奮に包まれていた。集まったマスコミは国内外から200人。特設の記者会見場に現れた坂本慎太郎知事は、正面を向いて宣言した。「10ヵ月後、高知県の日本国からの独立を決める県民投票を実施いたします」。予想されていたとはいえ、会見場はどよめいた。》

 上の文章は、2004年、高知新聞が「時の方舟(はこぶね)」という連載記事で描いた高知県独立の「近未来フィクション」である。その狙いを次のように語っている。
「地方の『甘え』を国が指摘し続けている。中でも本県は、全国ワーストの財政力で国からの財源補てんを甘受する県としてやり玉に挙がっている。国からのカネはますます削られるだろう。今後は地域経済も地域福祉も縮小していくに違いない。そうなったとき、……老いも若きも食いぶちにあえぐ、生気のない地になっていないか。国にお荷物扱いされ、精神衛生上も不健全になっている懸念がないと言えるだろうか。ならばいっそ、日本からの独立を考えたらどうか」

 連載の反響は大きく、後に書籍として出版され、それをもとに地元の作家が小説にもした。

 連載は、今の日本の国づくりの本質を「効率」とみる。自然豊かな地方はいつの間にか非効率と指弾される存在になった。
「結果として山は荒れ、残る集落は老人たちがほそぼそと生をつないでいる」と憂い、「われわれが追い求めた『豊かさ』の終着点はこれか」と問う。強い者はより強く、弱い者はより弱く ―弱肉強食の波が地方にも押し寄せている。日本が目指すべきは「地域主権」という識者の提言を載せた。

 それから11年。今なお地方の衰退は止まらない。有識者でつくる日本創成会議は2014年5月、現在のペースで地方から都市への人口流出が続けば「自治体の半数が将来消滅する可能性がある」との試算を公表した。その後、安倍晋三首相は地方創生を最大の課題に掲げた。

 しかし、国から地方への権限・財源の抜本的移譲は進んでいない。地方創生の総合戦略にもその記述はない。自治体に募つた分権改革の提案に対する政府の対応も、手続きの簡素化などにとどまったものばかりだ。

 一方、国民の側も政府の権限移譲を待つばかりで、住民から権利を求める声はなかなか上がらない。「住民が参加し意見を述べ、それが政策に反映される場がない」。元総務相の片山善博(よしひろ)慶応大教授は地域主権の意識が育たない根本的原因として地方議会の運用を挙げる。議会への住民参加の機会は制度上は整備されていても「機能していない」。住民が身近な問題を日常的に議会と一緒に解決していくことが地域主権の基本だという。

 また、片山氏は財政の分権の重要性も指摘し、沖縄振興予算が政府の政治判断で左右されることを問題視する。
「予算額の確保・増額も大切だが、政府のさじ加減に依存する体質、財政構造を変えることも重要だ。誰が知事になっても、いつでも一定のお金が入ってくるよう、分権の視点で財政をルール化することが沖縄にこそ、必要だ」

 高知県と言えば先日の参議院選から選挙区が徳島県と合併された。その影響だろうか、投票率が46.26%で全国で最低だったようだ。政府への反発と不信の表れだろうか。

 もう一つ、上にアベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権が「地方創生を最大の課題に掲げた」とあるが、この課題についてもやっていることはアベコベなのだ。政府が発表している「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の中に次の一文がある。

(3)まちの創生
 「しごと」と「ひと」の好循環を支えるためには、人々が地方での生活やライフスタイルの素晴らしさを実感し、安心して暮らせるような、「まち」の集約・活性化が必要となる。また、それぞれの地域が個性を活かし自立できるよう、ICTを活用しつつ、まちづくりにおいてイノベーションを起こしていくことが重要である。このため、中山間地域等において地域の絆きずなの中で人々が心豊かに生活できる安全・安心な環境の確保に向けた取組を支援するとともに、地方都市の活性化に向けた都市のコンパクト化と公共交通網の再構築をはじめとする周辺等の交通ネットワーク形成の推進や、広域的な機能連携、大都市圏等における高齢化・単身化の問題への対応、災害への備えなど、それぞれの地域の特性に即した地域課題の解決と、活性化に取り組む。

 たぶん、総務省が主導しているコンパクトシティ構想はこの戦略の一つとして始められたのだろう。サイト「内田樹の研究室」の最新記事『『日弁連での講演の「おまけ」部分』の中で、内田樹さんはこの構想は地域を壊すアベコベ構想だと批判している。内田さんは「もう経済成長は不要だし、出来ない」という考えを持っておられる方だが、経済成長を創出する方法が三つあると言う。「戦争をすること」と「産業構造を兵器産業にシフトすること」と「里山を居住不能にすること」である。とても重要で傾聴すべき事が語られているので、第三の方法について語っている部分を引用する。

 もう一つ、経済成長のための秘策があります。それは日本の里山を居住不能にすることです。これも経済成長だけを考えたら、効率的な政策です。僕が今総務省の役人で、上司から「人口減少局面での経済成長の手立てはないか」と下問されたら、そう答申します。「里山を居住不能にすれば、あと30年くらいは経済成長できます」と。

 国内の農業を全部つぶす。限界集落、準限界集落への行政サービスを停止して、里山を居住不能にする。故郷にこのまま住み続けたいという人がいても、もうそこにはバスも通らないし、郵便配達も行かないし、電気も電話も通りません。新石器時代の生活でもいいというのなら、どうぞそのまま住み続けてください。でも、犯罪があっても警察は来ないし、火事が起きても消防車は来ないし、具合が悪くなっても救急車も来ませんよ、それでいいんですね。

 そこまで言われたら、誰でも里山居住は断念するでしょう。みんな里山を捨てて都市部に出てくる。これで行政コストは大幅に削減できます。里山居住者は地方都市に集められる。離農した人たちには賃労働者になるしかない。仕事が選べないのだから、雇用条件はどこまで切り下げられても文句は言えない。そこで暮らすか、東京に出るしかない。そうすれば、人口6000万人くらいまで減っても、経済成長の余地がある。日本人全員を賃労働者にして、都市にぎゅうぎゅう詰めにして、消費させればいいんです。「日本のシンガポール化」です。

 シンガポールの人には申し訳ないのですけれど、シンガポールという国は全く資源がないわけです。都市国家ですから。資源がない。土地もないし、水もないし、食べ物もない、自然資源もない。何もない。生きるために必要なものは全部金で買うしかない。だから、国是が「経済成長」になる。経済成長しなければ飢え死にするんですから、必死です。全国民が経済成長のために一丸となる。だから、効率的な統治システムが採用される。一党独裁だし、治安維持法があって令状なしに逮捕拘禁できる、反政府的な労働運動も学生運動も存在しないし、反政府的なメディアも存在しない。そういう強権的な社会です。日本もそういう社会体制にすればまだ経済成長できるかもしれない。

 でも、日本にはシンガポール化を妨げる「困った」要素があります。それが里山の豊かな自然です。温帯モンスーンの深い山林があり、水が豊かで、植生も動物種も多様である。だから、都市生活を捨てた若い人たちが今次々と里山に移住しています。移住して農業をやったり、養蜂をやったり、林業をやったり、役場に勤めたり、教師になったり、いろんなことをやっている。今はたぶん年間数万規模ですが、おそらく数年のうちに10万を超えるでしょう。都市から地方への人口拡散が起きている。政府としてはそんなことをされては困るわけです。限界集落が消滅しないで、低空飛行のまま長く続くことになるわけですから、行政サービスを続けなければいけない。おまけに、この地方移住者たちはあまり貨幣を使わない。物々交換や手間暇の交換という直接的なやりとりで生活の基本的な資源を調達しようとする。そういう脱貨幣、脱市場の経済活動を意識的にめざしている。ご本人たちは自給自足と交換経済でかなり豊かな生活を享受できるのだけれど、こういう経済活動はGDPには1円も貢献しない。地下経済ですから、財務省も経産省も把握できないし、課税もできない。これは政府としては非常にいやなことなわけです。

 それもこれも「里山という逃げ場」があるせいだからです。だから、この際、この逃げ場を潰してしまう。総務省が主導している「コンパクトシティ構想」というのがありますけれど、これはまさに「里山居住不能化」のための政策だと思います。

 すでに日本各地でコンパクトシティ構想が実施されていますけれど、農民たちを農地という生産手段から引き剥がして、都市における純然たる消費者にする計画です。それまで畑から取ってきた野菜をスーパーで買わなければならないようになる。もちろんGDPはそれだけ増えます。本人の生活の質は劣化して、困窮度が高まるわけですけれども、必要なものをすべて貨幣を出して買わなければいけないので、市場は賑わい、経済は成長する。

 里山が居住不能になれば、地域共同体も崩壊します。伝統芸能とか祭祀儀礼もなくなる。そもそも耕作できなくなったら農地の地価が暴落する。ただ同然になるけれど、里山自体がインフラがなくなって居住不能なので、もう買う人はいない。自分で竈でご飯を炊いて、石油ランプで暮らすような覚悟のある人しか居住できない。でも、今政府が進めているのはまさにこの流れです。里山居住者をゼロにする。

 別に総務省の誰かが立案しているわけじゃないと思います。人口減少局の超高齢社会においてさらに経済成長しようというような無理な課題を出したら、戦争するか、兵器産業に特化するか、里山を居住不能にして、都会に全人口を集めて賃労働と消費活動をさせるというくらいしか思い付かないからそうしているのです。経済合理性の導く必然的な結論なわけですよ。別にどこかに糸を引いている「オーサー」がいるわけじゃない。でも、経済成長「しかない」と信じているのなら、日本に許された選択肢はそれくらいしかないということです。

 だから、われわれが言うべきなのは「もう経済成長なんかしなくていいじゃないか」ということなんです。今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。経済成長をあきらめたら、こんなばかばかしい制度改革は全部止めることができる。でも、まだ言っている。民進党も相変わらず「成長戦略」というような空語を口走っている。SEALDsの若者たちでさえ「持続可能な成長」というようなことを言っている。若い人たちさえ経済成長しないでも生き延びられる国家戦略の立案こそが急務だということがまだわかっていない。

 水野和夫さんのようなエコノミストがもう成長しないんだから、定常経済にソフトランディングすべきだと提案されていますけれど、政治家もメディアもそういう知見を取り上げない。でも、これは歴史的な自然過程なんです。どうしようもない。反知性主義的思考停止は「ありえない経済成長」のための秘策を必死に探し出して、国をどんどん破壊してゆくというかたちで症候化している。彼らは自分たちが閉じ込められているこの檻以外にも人間の生きる空間があることを知らない。そして、檻の強化のために必死になっている。

 われわれが提示できるのは、このような状況においても、われわれの前にはまだ多様な選択肢があるとアナウンスすることです。われわれは歴史のフロントラインにいるわけです。これは人類がかつて一度も経験したことのない前代未聞の状況です。人口減少局面なんか、日本列島住民は古代から一度も経験したことがない。だから、どうすればいいかなんてわかるはずがない。この先何が起こるかわからない。分からない以上は「この道しかない」と言って「アクセルをふかす」ような愚劣なことをしてはならない。先が見えないときは、そっと足を出して、手探りで進む。過去の経験知に基づいて、「さしあたり、これは大丈夫」という手堅い政策だけを採択する。それくらいしかできないと思います。

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