2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(49)

機密文書「日米地位協定の考え方」(6):内容の検証(3)


《「裁判権」を放棄した外務省》

 「…考え方」では「伊江島事件」と呼んでいる事件がある。この事件は沖縄では被害者の名前(匿名)をとって「Y君事件」と呼ばれている。前泊さんはその事件の概要を次のように記録している。


 事件は沖縄が本土に復帰した2年後、1974年の7月10日午後6時に伊江島の米軍射爆場で起きました。米軍の演習終了を告げる赤旗が下ろされるのを確認したあと、村民40人といっしょに草刈りに入ったYさん(当時20歳)が、突然現れた二人組の米兵にジープ型の車で追いまわされ、信号銃で狙撃されたのです。顔を狙い撃ちされたYさんが、手で顔をおおって防いだところ、銃弾は左手首に命中し、骨折する大けがを負いました。

 前泊さんは、地位協定に関連して外務省が行なってきた数々の「犯罪的行為」の中でも、この「Y君事件」はその代表的な事件であり、この時「日本国民の人権が根本から侵害されたのです」と述べている。

 「…考え方」の中にこの事件についての記述がある。地位協定第17条(刑事裁判権)に対するマニュアルの「第一次裁判権の不行使」という項の(2)で、次のように記載されている。

(2)
 第一次裁判権の不行使は、相手側の要請に基づいて行われるとは限らない。これまでに米軍人が我が国において犯した犯罪につきそれが公務執行中の犯罪であったかどうかについて日米双方の見解が対立したまま歩み寄りがみられなかつたため、一方が裁判権の不行使を相手側に通告することにより解決が図られた事案がこれまでに二件存在する。

 一件は行政協定時代のいわゆるジラード事件(昭和32年1月、群馬県相馬ヶ原演習場において米軍人ジラードが薬きよう拾いの農婦に発砲し、死に至らしめた事件)であり、日本側が公務執行中以外の罪として日本側に第一次裁判権ありとしたのに対し、米側は、公務執行中の犯罪として米側に第一次裁判権があるとしつつも行政協定第17条3項(c)によりこれを行使しないこととしたので、日本側が裁判権を行使し得るとの立場をとったものである。本件に関し、前橋地裁は、ジラードに対し傷害致死罪で懲役3年執行猶予4年の判決を言い渡した。

 他の一件は、右とは逆の事案であるいわゆる伊江島事件(昭和49年7月に沖縄の伊江島において米軍人が住民に信号銃を発砲し、負傷せしめた事件)である。本件については、事件発生直後米側は公務証明書は発行しないと非公式に言明したにも拘らずその後態度を翻して公務証明書を発出し、第一次裁判権の帰属について日米の主張が対立したため、合同委員会にかけられ、刑事裁判管轄権分科委員会で検討が行われたが結論を見出すに至らず、双方の意見を併記した報告が合同委員会に提出された。合同委員会の場で双方の立場の相違を解決することは困難であるということから、両政府間で外交レベルの協議を行った結果、政府は、昭和50年5月に本件については日本側が第一次裁判権を有するとの日本側の法的な立場を維持しながらも、裁判権を行使しない旨を米側に通報した。(注151)

(注151)
 伊江島事件については、ジラード事件と異なり裁判権の不行使を通報したのが米側でなく我が方であったところ、我が国の国内法上裁判権の不行使の決定及び同決定の通報に関する明文の規定が存在しないこととの関係上地位協定第17条3項(a)及び(b)の規定により、第一次裁判権の帰属を決定し得なかった場合、同条3項(c)を根拠規定として、政府は行政府限りで裁判権不行使を決定し、これにより検察当局(及び裁判所)を法的に拘束し得るかという問題があるところ、この点に関し当時政府部内で行われた考え方の整理は、次のとおりである(ただし、この問題については、未だ国会で取り上げられたことはないので、政府の考え方を明らかにすることを余儀なくされるに至っていない。……)


 5月31日に覚醒剤の使用などの罪で起訴された清原和博被告に下された判決は「懲役2年6月、執行猶予4年」だった。明らかな殺人罪のジラードへの判決が「懲役3年執行猶予4年」とは、ひたすらアメリカ様に拝跪したようなあきれた判決だ。

 さて、第一次裁判権を放棄して、裁判をアメリカにゆだねてしまったY君事件のその後はどうなっていったのか。前泊さんの文章をそのまま引用する。

 2004年の夏、「考え方」のなかにこの事件の記述があることを知った私は、Yさんに直接取材をしました。Yさんは、
「米兵たちは狩りでもするように、執ように追いかけてきた。わけもわからず、怖くて逃げまわって、崖っぷちまで追いつめられ、転んだところを信号弾で撃たれた。頭に当たっていたら死んでいた。あきらかに殺人未遂だった」
と、当時の様子を証言してくれました。

 しかし事件は翌年5月6日、日本政府が発砲した米兵らに対する裁判権(第一次)を放棄し、Yさんは賠償金で「無理矢理、手を打たされた」といいます。

 「裁判権」を放棄した理由を外務省は、「被疑者の処罰と被害者の補償を早急に行なうため」とか、「問題の長期化(遷延)は日米間の友好のうえからも好ましくない」などと説明していました。

 こうした裁判権放棄に対して当時の外務省アメリカ局長が、
「事件はそれほど悪質とは思われない」
と発言したことから、日本弁護士連合会、沖縄弁護士会、県民、島民をふくめ、激しい抗議行動が展開されました。

 外務省はアメリカ局長の発言を謝罪しましたが、裁判権はそのまま米軍によって行使され、米兵らは降格と100~150ドルの罰金刑となりました。

 Yさんは、
「本来なら殺人未遂の罪が罰金刑になってしまった。無罪同然の判決に腹が立った。本土に復帰しても、沖縄は米軍の占領地のままではないかと悔しかった」
と当時を回想しています。

 ついで、前泊さんは上記の「…考え方」からの引用文中の赤字部分を取上げて、次のように論じている。

 ところがこの事件について30年後、新しい事実が判明します。「考え方」のなかで、外務省は「伊江島事件」の日本側の裁判権(第一次)放棄が「司法権侵害」の疑いが強いことをみずから認め、国会での追及を恐れていたことがあきらかになったのです。

 「考え方」には
『行政府だけで裁判権の不行使を決定し、それによって検察当局(および裁判所)を法的に拘束できるか〔どうか〕という問題がある』 と明確に書かれています。

 司法当局に相談もなく、外務省が勝手に裁判権放棄を決めたことは三権分立に反する行為です。外務省は、行政府(外務省)による司法権の侵害をみずから認めていたのです。

 しかし、外務省は「考え方」のなかで、次のようにつづけます。
「この問題については、まだ国会でとりあげられたことはないので、政府の考えをあきらかにすることを余儀なくされるにいたっていない」


 つまり「国会でとりあげられていないから、行政府による司法権侵害という三権分立違反の問題が露呈しなくてすんでいる」とホッとしているわけです。

 Y君事件は、外務省の米軍追従の外交姿勢だけでなく、隠蔽体質も露呈しました。さらに「とにかくバレなければ、隠しつづけられるだけ隠しつづける。そして侵害された国民の権利を回復する努力はしない」という外務省の姿勢もあきらかになりました。

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