2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(46)

機密文書「日米地位協定の考え方」(3):原本の執筆者


 琉球新報による全文スクープのあとも外務省は、「…考え方」の存在をかたくなに認めようしなかったが、「琉球新報」の取材班は、その原本の執筆者を探し当て、インタビューすることに成功した。そのときのインタビューも新聞に発表したが、その人が機密文書の提供者と誤解されては困る、という配慮から、その報道ではかなり発言を整理して、しかも匿名にして報道していた。

 そのときのインタビューを全文「日米地位協定入門」に記載するに当たって、前泊さんは
「当時は匿名にしていましたが、もう公表してもいいでしょう。」
と、その人を明らかにしている。
「その人物とは、執筆当時、外務省条約局条約課の担当事務官だった丹波實(みのる)氏(その後、ロシア大使などを歴任)です。すでに外郭団体に天下っていたその丹波氏のもとに取材記者をむかわせ、証言を得ることに成功しました。2004年1月9日のことです。」
 琉球新報がそういう機密文書が存在するという内容の第一報を掲載したのは2004年1月1日であり、その8日後のことであった。

 少し長いが、その時のインタビュー記事を全文転載する。

―丹波さんは地位協定にくわしいと聞いたんですが。
丹波
「私は安保課長を3年やってね。1978年から80年だったかな。4つの大きな事件があって、大変だった。地位協定にくわしかったのは条約局時代だな。かなり勉強した。沖縄返還協定とか基地問題を担当しましたからね」

―「日米地位協定の考え方」という文書があるらしいですね。
丹波
「そうそう、よく知ってるね。あれはね、ぼくが書いたんだよ。昔ね、共産党が入手して国会でとりあげたことがあってね。省内でも流出させるやつがいるんだなあ」

―うち(琉球新報)も入手して、最近この「考え方」について新聞で連載をしています。それ(文書)をもってるんですけど、丹波さんが書いたんですか(と言って、目の前に機密文書のコピーを差しだす)。
丹波
「あー、これは写しだねえ。懐かしいなあ」

―「はしがき」に、条約課担当事務官の執筆になるものと書いてあります。
丹波
「そうそう、私のことだよ。ほんとはね、名前入れたかったんだけどね、それが精一杯だったよ。昭和48年4月と書いてある。まさにそう、1972年の秋からとりかかって73年の春にできあがったんだ。約半年でつくったんだね。いま、問題になっているのは17条でしょう」

(管理人注:第17条は「刑事裁判権」についての条文)

―はい。「妥協の産物」つていう言葉が書かれていますよ。
丹波 「えっ、そうだったかな」

―これは丹波さんがひとりで書いたんですか。
丹波
「そう。あなたの(事前の取材依頼の)FAXでは、地位協定改定で全国的に雰囲気が盛りあがってるって書いてあったけど、ぼくからみるとそんな雰囲気は感じないけどね」

―沖縄は県知事を先頭に改定を求める全国行脚をしています。
丹波
「そうなの。(改定を求めるというのは)何条のことを言つてるの」

―改定項目は11項目あります。
丹波
「地位協定改定なんてありえないね。ぼくに言わせると」


―どうしてですか?
丹波
「それはまあ、アメリカとの関係で難しいね。ぼくはよく冗談でね、もし地位協定の改定をやるんなら、ランクを二つ下がってもいいから東京にもどってそれを担当したい、と言ってたんだけどね。酒の席でさ。だからそれくらい、ぼくはこれ(「…の考え方」)に情熱を燃やしてたんだけどね。しかし、それはあくまでも酒の席での言葉であって、現実問題として日米地位協定を改定するというのは、ちょっと考えられないね」

―韓国との地位協定や、ドイツとのボン協定などは改定していますよね。
丹波
「くり返すけど、もし将来、改定交渉があったなら、もどって担当したかったというのは酒の席でよく言ってたけどね、今後、見通しうる将来、そういうこと(改定)はないでしょう。運用で、日米合同委員会の合意でカバーするということはありえるけど、地位協定本体に手をつけるというのはないでしょう。考えられないね」

―「考え方」は沖縄の本土復帰にあわせて、協定の解釈を拡大しないといけないからまとめたと聞いています。
丹波
「いや、そうじゃないね。沖縄を念頭において書いたわけではない。沖縄を通じて地位協定の専門家になったから、条約局を去る前に後輩のためにと思って書いたということですよ。沖縄返還協定とか沖縄の基地問題とか担当したからね」

―丹波さんが(機密文書「…考え方」を)作られてからは、その後の地位協定担当者のバイブルになっているのでしょうか。
丹波
「そう、バイブルだよ」

―でも、いまの外務省の人たちは見たことがないと言っています。
丹波
「それはないと思うよ。その後使われていたはずだよ。私の書いたものから10年後に一度改訂してるはずだけどね。そのあとさらに改定したかどうかは知らないねえ」

―改訂版は丹波さんのものとだいぶちがうんですかね。
丹波
「いや、そんなことないでしょう。増幅したんでしょう。国会答弁をつけ加えたりして。その後10年間のあいだに」

―なんで「無期限秘」なんですか。
丹波
「そりゃ、内部文書だからだね」

―沖縄県はこれをぜひ欲しいと、公開してくれと言っています。
丹波
「ハッ、ハッ、ハッ(笑い)。そう。でも現実にはもう出まわってるわけでしょ」

―くり返しますが、書かれたのはいつでしたか。
丹波
「条約課の事務官のときに書いた。ひとりで。首席事務官が斉藤邦彦のときかな。斉藤さんはその後駐米大使、次官までやっている。その上にいたのが、栗山という課長(栗山尚一・条約課長=1972~74年)で、このときだね」

―そのときの話をぜひ。
丹波
「いや、それはいいよ(やめておくよ)」

 これによると、前回に紹介した国会での政府答弁(2004年1月30日)の時には原本の執筆者も公開されていたことになる。それでも原本の存在を否定している政府・外務省の神経の図太さに、改めてほとほと感服している。というより、国民など無知で無恥だからいくらでもごまかせるチョロイチョロイ、と馬鹿にされているんだよな。

 上のやりとりの中に「私の書いたものから10年後に一度改訂してるはずだけどね」という件があった。このことから、琉球新報社は「…考え方」には、10年後につくられた増補版があることを知り、新聞社の総力をあげて「増補版」の入手に奔走する。その結果、半年後に増補版の入手に成功している。

 このインタビューについて前泊さんは次のような感想を述べている。

 取材のなかで丹波氏が、「地位協定の改定はありえない」と語っていることが非常に印象に残りました。米軍というのは日本の外務省にとってもアンタッチャブルな存在で、日米地位協定も同じくアンタッチャブルな存在ということが伝わってきたからです。

 それでも救いは、ロシア大使までつとめた丹波氏が、改定の機会があれば、外務省の職階を二つ下げてでも、つまり大使から総領事クラス、局長から課長級にランクを下げてでも「東京にもどって担当したい」と語っている点です。

 外務官僚にとってアメリカとの「高度な外交交渉」は、おそらくエリートの証(あかし)なのでしょう。なかでも地位協定の改定となると、スポーツマンにとってのオリンピック出場のような、エリート中のエリートだけが挑める高度な競技会、外交交渉の晴れ舞台という感じなのかもしれません。

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