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《沖縄に学ぶ》(44)

機密文書「日米地位協定の考え方」(1):全文公開までの経緯


 沖縄でまた残虐な痛ましい事件が起きて地位協定の改定や米軍基地の全撤退などの要求の声が大きく上がっている。首相官邸前での市民集会では安保条約の破棄も叫ばれている。言うまでもなく、これは沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題である。

 日米地位協定の改定の要求に対しては、米国防総省のデービス報道部長が、記者団に対して、
「日本が抱く懸念にはこれまでも運用の見直しで対処してきた」
と述べ、日米地位協定の全面的な改定には応じない姿勢を示したことが報道さている(5月23日)。また、伊勢サミットでの安倍・オバマの共同記者会見(25日)ではオバマは
「日本の司法制度の下で正義の追及を阻むものではない」
と述べ、改定の意思がないことを示し、安倍も
「地位協定は一つ一つの問題を改善し、結果を積み上げる」
と、オバマに追従している。

 私は、容易なことではないと承知しているが、根本的な解決は安保条約の破棄意外には無いと思っている。そこに至るまで、せめて地位協定の改定をと思うが、これも属国傀儡官僚と政権が応じるはずがない。残念ながら、まともな政権交代と官僚の粛正がない限り絵空事と言うほかない。

 外務省の傀儡官僚がバイブルとしている「日米地位協定の考え方」(以下「…考え方」と略称する)という秘密文書があることを「沖縄問題の本質(5)」で紹介したが、今回からそれを取り上げることにしたい。

 「…考え方」は原本と増補版がある。ともに表紙には「秘 無期限」というスタンプが押されていて、外務省が門外不出としている文章である。中身は、日米合同委員会における非公開の「合意議事録」の事例をマニュアル化したものであり、政府の地位協定に関する公式見解、国会答弁、条文解釈、問題点などを網羅している。つまり「地位協定」の政府としての公式な解説書ということになる。

 原本は琉球新報が特集で全文公開した(2004年1月15日)。『機密文書「地位協定の考え方」』で読むことができる。増補版は2004年12月に琉球新報社編『日米地位協定の考え方・増補版』(高文研)という書名で出版されている。その本の序文「刊行にあたって」では原本・増補版が書かれた経緯を次のよう解説している。

 機密文書と沖縄との縁は深い。なぜなら、原本は沖縄返遠の翌年(1973年)に作成された。原本作成の大きな理由は本来の米軍基地を前提にした日米地位協定が本土復帰する沖縄にそのまま適用された場合、米軍の活動に大きな支障がでることを懸念したことによる。

 復帰前、沖縄は米軍の施政権下で、日米地位協定は適用外であった。米軍は地位協定など念頭に置く必要はなく、沖縄の基地を使い勝手のいいように、思う存分使えた。地位協定が適用される復帰後は、それまでと同じように使うわけにはいかず、「地位協定の考え方」が作成されたとみるのが妥当だ。

 しかし、それから10年経過するうちに、地位協定の矛盾点が噴出する。米軍、米兵による事件・事故も多発し反基地感情は高まる。普通ならばこの時点で政府の取るべき態度は自国民の安全や利益を最優先するものになるはずだ。そのためには、地位協定の改定へと向かうべきであった。

 ところが、外務省は米軍擁護に回り、協定改定どころか協定解釈によって、矛盾点を覆い隠し、米軍の活動に配慮を払うという愚策を選んだ。

 もともと原本の「日米地位協定の考え方」が、米軍の自由な活動をいかに日本政府として保証するかという観点でしか書かれていないこともある。

 原本作成から10年たって、「増補版」を作成した。その時も、米国一辺倒のスタンスを見直し、地位協定を改定する絶好の機会があった。しかし、ここでも政府、外務省は地位協定の矛盾点を糊塗することばかりに腐心し、原本の"誤り"を修正する大事な任務を放棄してしまった。

 では、「…考え方」の具体的な内容と問題点をを見てみよう。(以前にお世話になった前泊博盛編著『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』のPART2『「日米地位協定の考え方」とは何か』を用います)。


 まずは、機密文書扱いの「…考え方」を琉球新報社が入手した経緯とその公開に対する政府や外務官僚たちの言動を追ってみよう。

 前泊さんが「地位協定の裏マニュアル」があるらしいということを知ったのは琉球新報東京支局で国会担当の記者をしていたときだったと言う。「入手の経緯についてはあまりくわしい話はできないのですが、」と語っているが、その約10年後に入手した「…考え方」の全文を琉球新報で公開している。機密文書が公開されたのだから、外務省はさぞかしびっくり仰天したことだろう。外務省内は大騒ぎの状態になったという。

 また、読者からの反響も非常に大きく、沖縄だけでなく全国から声が寄せられた。代表例として次のような読者の声が紹介されている。
「国民の人権をアメリカに売り渡す外務省の犯罪を許してはいけません」
「対米追従から対等な日米関係に転換する時期にきています」
「日米安保も地位協定も、米軍の占領政策の残滓(のこりカス)という意味がよくわかりました」
「外務省の隠蔽体質をあらためさせる機会にしてください」

 このスクープで、琉球新報「地位協定取材班」は、その年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞など、報道関係の大きな賞を三つも受賞している。

 この公開に至るまでの経緯を前泊さんは次のように記録している。

 実は紙面にのせる前に、私は外務省に何度も足を運んで外務省幹部に「機密文書」の中身について取材しています。「地位協定の逐条解説書がほしい」という形で質問したのですが、
「そんなものはありません」
と即座に否定されました。法律や条約には、運用マニュアルの役割をはたす「追条解説書」が当然あるはずなのに、「ない」の一点張りなのです。
「ではどうやって地位協定を実際に運用しているのか。問題が起きたときには、どのように対応してきたのか」
とたずねると、外務省北米局の担当官は
「すべて私の頭のなかに入っている」
といいます。
「では、最初の一条から説明して下さい」
と、取材ノートを広げてヒアリングを始めました。

 さすがにエリート官僚です。マニュアルも見ずに次々と答えていきます。しかし私は彼の話を聞きながら、胸の鼓動が高まるのを感じていました。説明の内容が、機密文書「地位協定の考え方」に書かれた内容とまったく同じだったからです。

 そのとき、すでに私の手元には10年かけて入手した機密文書の全文がありました。取材が終わってから担当官の説明を条文ごとに機密文書の説明と照らしあわせていくと、まったく同じ言葉で説明していることがわかったのです。

 その時点で、機密文書が書かれてからすでに30年たっていました。しかし、いま自分の手元にあるその機密文書が、現在でも日米地位協定の運用マニュアルとして現実に使用されている。そのことが、あきらかになった瞬間でした。

 スクープする直前、私は外務省幹部に対して
「機密文書の中身を新聞紙面で報道します」
と伝えました。すると旧知の外務省幹部から
「もし報道したら、外務省には出入りできなくなる。私たちとのつきあいもなくなりますよ」
と言われたのです。

 機密文書には、国民の権利や人権を侵害する日米地位協定に関するさまざまな事例が網羅されていました。とるべき税金をとらず、はたさなければならない義務をはたさない米軍に四苦八苦する、外務省のさまざまな苦心や苦悩の足跡が記録されていたのです。

「この文書を開示することは、外務省の対米外交を支援することにもつながります。日米安保と在日米軍の問題を国民全体が直視して、改善に動くきっかけにもなるはずです」
 私はそう説明して、外務省からの圧力を無視して、2004年1月1日、元旦の紙面で、そういう機密文書が存在するという内容の第一報を打ちました。

 ところが第一報の段階では、外務省は「そんな文書は存在しない」とスクープを無視する構えをとりました。沖縄選出の国会議員が国会で「機密文書の開示」を外務省に要求しましたが、外務省はそんな文書は存在しない」とかわしていたのです。

 そこで琉球新報社では、機密文書の全文を紙面で公開すると同時に、インターネットでも全文公開することを決めました。いま考えても当時の社の幹部たちはよく決断してくれたと思います。さきほどふれたように、そのために紙面を8ページ増やしたのですが、すべて広告なしの文字だけのページです。その分の紙代や印刷費はそのまま社の持ち出しになります。新聞界の常識ではありえないことでした。

 また、紙面での全文公開のために20人を超す記者たちが機密文書の人力作業に参加しました。全員が自分の担当箇所を読みこみながら、機密文書の中身をチェックし、人力し、プリントアウトしたあと、声に出して読みあわせる。そうすることで、ひとりの記者の単発のスクープ記事で終わらせることなく、新聞社が総力をあげて世の中に問う「キャンペーン報道」へと転換をはかったのです。

 ネットで全文公開したのは、ほかの新聞やメディアの参加をうながすことも狙いのひとつでした。なにも隠さないから、自由に使ってくれ。そうすると、専門家も自分でアクセスして分析できるので、それぞれの意見を発信してくれるでしょうし、これまで地位協定の恣意的な運用によって被害を受けてきた当事者たちからも証言が集まるのではないかと思ったのです。

 さすがにたまりかねたのか、外務省の幹部から私に電話が入りました。
「これは外務省にも数冊しかない機密文書だ。それをこともあろうか、20万部(「琉球新報」の発行部数)も印刷してばらまくというのは、いったいどういうつもりなのか」
電話のむこうの声は怒りでふるえていました。

 さきほどのべたように、報道前に私は何度も「この機密文書は、外務省の文書ですか」と外務省に確認していたのですが、「そんな文書はない」の一点張りでした。それなのに、全文公開したら「いったいどういうつもりか」と抗議してくるのですから、まったく困ったものです。

 全文公開につづいて、機密文書に関する長期連載(「日米地位協定―不平等の源流」)が始まると、外務省幹部からは、
「機密文書をりークしたのはいったいだれなのか、教えてくれ。公務員の守秘義務違反で首を飛ばしてやる」
と、おどすような電話が入りました。当時外務省は、機密文書流出のニュースソース(情報源)を必死に探していたようです。

 しかしそんな動きがあることは、こちらも織りこみずみです。実はこのスクープは、実際に全文人手してから報道するまでに7年かかっています。言いかえればネタ元をカムフラージュするために7年かかったということです。

 しかし、あんまりおどされると、こちらもおもしろくない。そこでその年にアメリカ総領事館で開かれたガーデン・パーティに出かけていきました。電話をかけてきた外務省幹部を見かけると、さっそく近づいていって、
「○○さん、このあいだは非常に貴重な情報をありがとうどざいました。ものすごい反響です」
と、わざと大声で声をかけました。まわりにいた関係者の多くが、びっくりしてこちらを見ていました。
「あの機密文書の提供者は彼だったのか」
と、誤解したかもしれません。

 その幹部は、
「前泊さん、悪い冗談はやめてください」
と、苦笑していましたが、さらにかぶせるようにして私が、
「本当に感謝しています」
と、言ったので、いまだに誤解したままの人もいるかもしれません。彼はあとから電話をかけてきて、
「おれが疑われるじやないか。どうしてくれるんだ」
と、怒っていました。そのあと、「犯人捜し(情報源調査)」の動きはピタリと止まったようです。

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