2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(42)

沖縄返還後の闘い(10):辺野古問題の経緯(1)


 辺野古問題についてはすでに何度か取上げているが、今回は、鳩山首相嵌められた件から現在に至るまでの経緯を年表風にまとめて記録に残しておこうと思う。

09年9月16日
 民主党鳩山内閣が成立。
 鳩山首相は普天間の移動先は「国外、最低でも県外」という方針を打ち出す。

 この「国外、最低でも県外」という方針は、鳩山首相が独断的に言い出したことではなく、08年にまとめられた民主党の「沖縄ビジョン」に明記されている。また、政権交代を生む09年の総選挙の直前、岡田克也幹事長も、
「われわれは県外、あるいは国外に移転すべきだと主張しています」
と述べ、その理由を、
「沖縄という非常に狭いエリアに、嘉手納と普天間という大きな米軍基地が二つあり、これを今後30年50年と継続していくのか、ということが根本的な問題なのです。もし県内で移設したら必ず固定化するでしょう」
と正鵠を射た意見を述べていた。また、「政権政策マニフェスト」には
「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」
ことを掲げていた。これは沖縄だけの問題ではなく日本国全体にとっても解決すべき大きな問題であり、民主党政権のスタートはまことにまともだった事が分る。

 民主党政権が崩れていくきっかけは鳩山首相の「国外、最低でも県外」という方針の撤回であった。しかし、後にこれは外務省と防衛省のアメリカの傀儡官僚らによる偽の極秘資料を使った策略に嵌められたためだった。このことを私は「田中龍作ジャーナル」の2月4日の記事『外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた』で知った。この事件にも、この後に続く政治資金疑惑を使った鳩山・小沢降ろしにもCIAが関わっていると、私は思っている。

2010年12月9日
 沖縄県知事選挙。11月11日に告示され、同月28日に投開票された。


 自公推薦の仲井真弘多は、選挙公報で、「全国の0.6%の面積に74%の米軍基地はもうゴメンです」、「普天間基地は県外移設へ」、「国民全体の問題として日本の安全保障を考えるべき」と訴えた。

これは、普天間基地は国外へ、と主張する対立候補の伊波洋一との争点ばかしを狙った選対本部長翁長雄志那覇市長の巧みな選挙戦術でもあったが、今やいかなる条件を付けても、沖縄社会では、県内移設容認は受け入れられない状況が生まれていたことの反映でもあった。同時にそれは、「新基地建設反対」が、保革共通の主張として浮かび上がってきたことを意味していた。

2010年6月8日~2011年9月2日
 鳩山内閣の後継・菅直人内閣
 日米安保協議委が開かれる。日本側委員は松本剛明外相・北澤俊美防衛相、アメリカ側委員はクリントン米国務長官・ゲーツ米国防長官だった。
6月21日
 日米安保協議委共同発表

 この発表の中に、次のことが含まれていた。
 これまで目標としていた14年までの辺野古移設は無理であると認め、それでもなお、「普天間の固定化を避けるために」、14年の後のできるだけ早い時期に辺野古移設を実現すると合意した。普天間返還は、これまでの政策の大前提であった。ところがこのときから、普天間固定化が辺野古新基地建設を促す恫喝の手段になった。
 さらに日米両政府は、12年2月に普天間移設とパッケージになっていた嘉手納より南の5施設の先行返還を検討すると「共同発表」しているが、普天間は除外されていた。

2011年9月2日~2012年12月26日
 野田佳彦内閣
 野田内閣の対沖縄政策は、日米安保協議委の合意を受けて展開することになったが、菅政権時代が、沖縄と睨み合ったまま膠着状態を続けたのに対して、野田政権は、はじめは掌を返したような柔軟対応を取っている。

 たとえば、菅政権時代の前年9月の名護市議会選挙の直後、市長と市議会議長が上京した時、枝野幸男民主党幹事長や仙谷由人官房長官は、「政治的パフォーマンスに付き合う必要はない」と関係閣僚や政府高官との会見を阻止していた。北澤防衛大臣は、島袋前市長時代に決定していた米軍再編特措法関連の交付金を10年12月になって不交付とし、「反対するならそれなりの覚悟が必要」とうそぶいていた。

 ところが野田政権になると、9月末に斉藤勁官房副長官、10月には、川端達夫総務相(沖縄担当相)、一川保夫防衛相、玄葉光一郎外相などが相次いで沖縄を訪問し、マスコミから、「沖縄詣で」と揶揄されるありさまであった。斉藤官房長官は、沖縄県知事選の時、民主党執行部の規制を無視して伊波洋一候補を明確に支持した数少ない民主党議員の一人で、稲嶺名護市長とも旧知の間柄であった。

 こうした野田政権の対応の裏では、防衛相の地位を離れた北澤党副代表が、同じ10月に離任あいさつと称して沖縄を訪れ、「どんな困難があっても(辺野古移設を)やり抜く」と、島袋吉和前名護市長ら地元容認派を励ましていた。これより先の7月、前原民主党政調会長は、自民党の中谷元、公明党の佐藤茂樹と共に「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表幹事として沖縄を訪れ、自公民いずれが政権を担おうとも、超党派で辺野古移設を推進していくとして、地元分断工作を強めていた。

 このようなチグハグでドタバタ喜劇的な民主党幹部の言動が続いているとき、アメリカでは財政難による軍事費削減(直接的にはグアムを米軍事拠点として再構築するための経費)をめぐるオバマ政権と議会の駆け引きが行なわれていた。

 日米安保協議委員会(2+2)が、辺野古新基地建設を確認した翌日、米上院軍事委員会は、「財政緊縮が厳しく求められ、さらに政治的・大衆的反対に直面している今、沖縄とグアムの両方に大規模な軍事施設を建設するという課題を達成することは、現実的時間枠の中では不可能である」として、2012会計年国防権限法から、グアム移転予算約1億5600万ドルを削除した。

 そして「委員会は、国防長官に対して、任務の一体性を維持し、合衆国と日本の経費負担を最小化するとともに、普天間海兵隊飛行場を速やかに沖縄に返還し、嘉手納基地周辺住民に対する騒音負担を軽減するという目的に立って、キャンプ・シュワブにおける高価な代替施設建設ではなく、嘉手納基地にある空軍装備・人員の転出と現在普天間にある海兵隊の航空装備・人員の嘉手納への移転の実現可能性を研究するよう指示」していた(NPO法人ピースデポ「核兵器・核実験モニター」379号、11年7月1日)。

 嘉手納統合案は、すでに11年5月6日付のゲーツ国防長官宛て書簡で、カール・レビン米上院軍事委員会委員長(民主)、ジョン・マケイン筆頭理事(共和)、ジム・ウェッブ委員(民主)によって勧告されており、それが公式化したといえよう。上院本会議もこの全額削減案を可決したが、下院が全額承認していたため、両院協議会で調整の結果、12月12日全額削除で合意され、12月末、12会計年国防権限法が成立した。

 米軍再編は、軍事的必要性や財政状況を考慮してなされるものであって、住民に対する危険性の除去を前提にして行われるわけではない。もしそうならば、はじめから危険性を高めないような配慮を行うはずである。その意味で、米政府と議会の考え方の食い違いは、新基地建設を再検討するチャンスであった。だが、議会の動きに対して、米政府は、普天間問題の進展を示すことによって議会説得の材料にしようとした。日本政府もこれに同調して見直しのチャンスを失したのである。

 2011年10月25日
 来日したパネッタ米国防長官と一川防衛相の会談が行なわれた。
 この会談で辺野古移設のための環境影響評価書を11年内に沖縄県に提出することが約束された。

11月14日
 県議会は全会一致で、
「環境影響評価書の年内提出断念を求める意見書」
を可決した。

 だが野田政権はこの全会一致の意見書を無視し、仕事納めの12月28日午前4時ごろ、沖縄防衛局は、ひそかに県庁の守衛室に環境影響評価書を運び込んだ。

 仲井真知事は、実務的手続きの流れとして、法令上、評価書の提出を拒否することはできないとしてこれを受理し、翌12年2月に「飛行場建設」に関する意見書、3月に「埋め立て」に関する意見書を提出した。そして「飛行場建設」については25項目175件、「埋め立て」については36項目404件の「不適切な事項」を指摘し、いずれも「評価書で示された措置では生活、環境の保全を図ることは不可能」と結論付けていた。またいずれもその前文で「(辺野古)移設は事実上不可能で、国内の他の地域への移設が合理的」と指摘していた。

(付記)
 私はアメリカ議会についての引用文中にある「国防権限法」という言葉に初めて出会った。ネット検索で調べてみた。田中宇(さかい)さんの
『人権抑圧策を強める米国』
という記事が分かり易く解説している。その記事の冒頭の数節を転載しておく。

 12月1日、米国の議会上院が、来年度分の「国防権限法」(NDAA)を可決した。この法律は毎年、国防総省の予算枠や、それに付帯する政策を決定するものだ。下院はすでに5月に通過しており、あとはオバマ大統領が署名すれば法制化される。

 今回の国防権限法には、米当局が、テロに荷担していると疑われる人々を、裁判所の逮捕令状なしに逮捕し、裁判や弁護士接見を認めることなく、必要がなくなるまで無期限に勾留できる条項が含まれている。対象からは、米国民と米国に合法的に在住する外国人が除外されているが、国防長官が議会に事情を説明すれば、米国民や米国在住者も逮捕・無期限勾留できる。

 新法における無期限勾留の対象は、アルカイダやタリバンの支持者や、911テロ事件に関与した者とされており、いわゆる「イスラム過激派」以外の人々は対象外だ。この点は、911以来の米国の政策から逸脱していない。

 しかしオバマ政権は12月9日、米国内におけるテロの脅威に対処する新政策を発表し、そこにはイスラム過激派と無関係な、ギャングによる暴力、性に関する暴力、職場での暴力などが、テロとして対処すべき対象として盛り込まれている。どこのコミュニティにもありそうな暴力沙汰が、アルカイダと同罪のテロとして扱われうる。今後の米国では、ウォール街占拠運動のデモに参加した市民とか、夫婦喧嘩で妻を殴った夫、職場で解雇され暴れた若者などが「テロリスト」として逮捕され、裁判も受けられないまま無期限勾留されるといった構図がありうる。

 この新政策をめぐっては当初、テロの脅威を与えそうな勢力として「イスラム過激派」が明記されていたが、大統領府(ホワイトハウス)が反対したので削除されたと、法案を作った上院議員たちが指摘している。オバマは「イスラムを敵視しない」と宣言する中東政策を展開しており、その関係で削除したと考えられる。共和党側は「イスラム過激派を対象から外したことで、アルカイダやタリバンと戦うという政策の焦点がぼけてしまった」とオバマを非難している。この非難は当を得ている。

 国防権限法案の策定主導者の一人である民主党のカール・レービン上院議員(軍事委員長)によると、大統領府は、国防権限法案の中の、米国民を対象にしないと明記した条項を削除するよう求めてきたという。オバマは、上院が法案の改訂に応じないなら署名を拒否して拒否権を発動し、法制化を阻止すると言っている。オバマは、法案が成立すると米当局のテロ捜査がやりにくくなると主張しているが、具体的に法案のどの部分に不満なのか明言していない。レービンの指摘が正しいなら、軍産複合体寄りの共和党に劣らず、オバマ自身も、米国民の人権を剥奪するのに熱心だということになる。

 ここにも就任時に喝采を浴びたオバマの化けの皮を剥がす事例があった。
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