2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(39)

沖縄返還後の闘い(7):SACO合意(3)


(前回からの続きです)

《普天間問題→辺野古問題》

 名護市の市民投票の結果を受けて、日本政府に翻弄されながら沖縄県知事と名護市長の絡み合った迷走が続く。

 この結果は、どちらかといえば保守的なこの地域に長く君臨してきた比嘉市長にとって大きな衝撃だったに違いない。彼は、投票日の翌日、与党議員団に、「基地受け入れは断念せざるを得ない」ともらしていた。

 比嘉名護市長は、大田知事に面会を求めた。助けを求めたといったほうがいいのかもしれない。もしここで知事が市長と会い、共同で、自分たちは市民投票の結果(民意)を尊重し海上基地建設に反対する、と宣言していたら、政府に付け入る隙を与えなかっただろう。だが、そうはならなかった。知事もまた、投票結果の重みを感じつつも、政府の圧力との狭間で逡巡していた。知事は、日程調整が困難との理由で面会に応じなかった。

 結局、予算折衝で上京する知事を追って上京し、東京ででも会いたいと希望していた市長を捕まえたのは、政府の側であった。
 97年12月24日、急遽、橋本・比嘉会談がセットされ、北部振興を願う比嘉市長が基地を受け入れて辞任、自らの政治生命に終止符を打つことを表明、という涙の一幕劇が演じられた。辞任しなければリコールが待っていたし、再出馬しても当選は不可能に近かった。

 同じ日、橋本首相は大田知事に比嘉市長の「英断」を伝え、膝詰談判で決断を追った。しかし知事は首を縦に振らず、一月中旬に首相と会って最終決断を伝えることを約した。

 市民の意思を踏みにじった市長の行為と、市長をそこに追い込んだ政府、自民党に対する民衆の怒りは、知事に海上基地建設反対の意向表明を迫る力に転化した。その先頭に立った女性たちのグループは、「心に届け女たちのネットワーク」に結集して県庁に押しかけた。98年1月10日ごろになると、知事はようやく反対の意向表明を示唆するようになった。知事が、三選出馬を決意したためともいわれた。知事選に出るとなれば、反対以外の選択肢はありえなかった。

 知事が反対の意向を固めたと伝えられると、今度は政府が、日程調整の困難を理由に知事との会見を拒みはじめた。追い詰められた知事は、2月6日、橋本首相と会えないまま、海上基地反対の意向を正式に表明した。名護市長選投票日2日前のことである。最悪のタイミングであった。

 比嘉市長の辞任に伴う市長選に、市長の後継者として立候補したのは、豊富な行政経験と実務能力を誇る助役で名護市生え抜きの岸本建男であった。反対派からは、名護市に隣接する本部(もとぶ)町出身の社民党県議玉城義和が社民党を離れて立候補した。市民投票の結果を踏まえれば、反対派の勝利は間違いないと思われた。玉城陣営は、海上基地問題を前面に押し出し、岸本陣営は、「ヘリ基地の是非を問う選挙ではなく、名護市政を運営する人間の選択」だとして、基地問題を争点からはずすことに腐心していた。そこに知事の意向表明である。岸本候補は、間髪を入れず「海上ヘリ基地は、知事の判断に従う」と宣言した。岸本候補は、比嘉市長の後継者としての制約から抜け出すことができた。

 名護市長選の投票結果は
岸本1,6253票、玉城1,5103票
で、争点隠しの岸本が制した。

 こうした選挙における争点隠しは今に始まったことではないが、自民党の得意技である。2年前の総選挙では、アベコベは解散直後の会見で次のように述べている
「この解散は、アベノミクス解散です。アベノミクスを前に進めるのか、止めてしまうのか、それを問う選挙です。」
 そして選挙が終わると、承知のように、「その他の問題でも信任を得た」として暴走した。
 もう一つ、7月の参議院選挙に向けて、5月3日のNHKテレビに出演した自民党の高村副総裁は次のように言ったそうだ。「改憲は参議院選挙の争点にならない」「国民が経済と言えば経済が争点」。  残念ながら、こうしたまやかしを見抜けないお人好しがずいぶんと多いのですよねぇ。

 さて、名護市長選を制した自民党の次のターゲットは、当然のこと、沖縄県知事選であった。

 もう一歩のところまで知事を追い込みながら大魚を逸した政府、自民党は、名護市長選挙の結果に一安心はしたものの、「信義を破った大田県政と手をつなぐことは絶対にしない」(野中広務自民党幹事長代理、98年7月1日付琉球新報)として、大田県政が続く限りいかなる振興策も実現しないかのような閉塞感を煽り、次期知事選に現実対応型候補が浮上することを期待した。

 この期待に応えて登場したのが、沖縄経営者協会会長として、大田知事とともに、95年10月の県民総決起大会の壇上にいた稲嶺恵一である。稲嶺陣営は、大田知事が政府の信頼を失ったことが「県政不況」を生んだと批判し、県政与党だった公明党も、「大田基軸の自主」投票という奇妙な表現で態度を変え始めていた。

 肝心の海上基地については、稲嶺候補も反対であるとし、臨空港型産業とセットになった15年間の使用期限付き軍民共用空港を造るという公約を掲げた。それまで「海上基地こそ最良の選択肢」としてきた政府(小渕恵三首相)も、知事選の投票日直前、「海上基地の見直し」を表明して稲嶺候補を支持した。当時県議で、自民党県連の幹事長だった翁長雄志は次のように言つている。
 「(知事選の公約に)あれを入れさせたのは僕だ。防衛省の守屋武昌さん(元事務次官)らに「そうでないと選挙に勝てません」と。こちらが食い下がるから、向こうは腹の中は違ったかもしれないけれど承諾した」(2012年11月24日付朝日新聞)

11月15日、沖縄県知事選挙の結果
 稲嶺恵一 37,4833票
 大田昌秀 33,7369票
 で、稲嶺恵一が知事に就任した。

 稲嶺知事は、知事就任から約1年後、選挙公約の軍民共用空港の建設候補地は、検討の結果、辺野古沿岸域が最適であると政府に伝え、名護市長にも受け入れを要請した。政府は早速沖縄政策協議会を開き、北部地域振興、移設先及び周辺地域振興、跡地対策を明らかにし、10年で1000億円の北部振興予算確保を表明した。

12月23日
 名護市議会は、徹夜審議の結果、辺野古沿岸域への普天間代替施設の移設促進を決議。
12月26日
 岸本名護市長は、名護市内で青木幹雄官房長官と会談し、翌27日、代替施設受け入れを表明。
 このとき市長は
「基地の負担は日本国民が等しく引き受けるべきだが、……どの県もそれをなす意思はなく、またそのための国民的合意も形成されないので……これ以上の軍事施設の機能強化は容認できないという多くの市民の意思があることも承知しているが、受け入れを容認せざるを得ない」と述べている。そしてさらに、七つの前提条件を挙げ、「このような前提が確実に実施されるための具体的方針が明らかにされなければ、私は移設容認を撤回する」と市民に約束した。

 安全性の確保

 自然環境への配慮

 既存の米軍施設等の改善

日米地位協定の改善および受け入れ施設の使用期限15年

 基地使用協定締結

基地の整理縮小

 北部振興策の確実な継続


 岸本市長のこの意向表明を受けて政府は、28日、普天間移設問題に関する政府の取組方針を閣議決定した。「15年使用期限付き」などという条件が米側に受け入れられるはずはなかったにもかかわらず、稲嶺恵一知事や岸本建男市長の要請を重く受け止め、米国との協議で取り上げると表明した。反対世論と日米両政府の圧力の板挟みになりながらこのような提案をした稲嶺知事は、これを「苦渋の選択」と言った。

 もちろん政府が、この問題について対米交渉をした形跡はない。既成事実を積み上げる中で、基地機能に影響のある条件は、なし崩し的に曖昧化してしまうつもりだったのだろう。その後、具体的な場所や工法について協議が繰り返され、結局、15年使用期限付き軍民共用空港は、辺野古沿岸沖2キロのリーフ(サンゴ礁の浅瀬)に建設されることになった。

 「沖縄問題の本質(9)」でも取り上げたように、この案は「大浦湾から辺野古沿岸を埋め立てV字型に2本の滑走路を持ち、強襲揚陸艦も接岸可能な港湾施設や弾薬搭載場も持つ」という現在の案へとすり替えられていく。その経緯は次のようである。

 05年10月29日、日米安保協議委(「2+2」)は、「日米同盟 その望ましい未来と変革」を発表した。その中で、これまで沖縄県や名護市と協議してきた15年使用期限付き軍民共用空港は沖縄側の頭越しにご破算にされ、辺野古崎のキャンプ・シュワブ兵舎地区を横切り、北東は大浦湾に、南西は辺野古海上にはみ出す1800メートルの滑走路を持ち、しかも大浦湾側には、逆L字型に、格納庫、燃料補給用桟橋、係船機能付護岸(佐世保に常駐する強襲揚陸艦用岸壁ともいわれる)を持つ空港が建設されることになった。

 このころからヤマトのメディアの中には、「沖縄が15年使用期限とか、軍民共用などの条件を付けたことが事態を複雑にした」とか、反対運動に断固たる態度をとれと主張する論調(10月9日付日本経済新聞社説、11月4日付読売新聞社説)なども現れ始めた。

 翌06年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」で辺野古新基地の滑走路は、V字型の二本になった。また、このロードマップでは、在沖米海兵隊員8000人と家族9000人が14年までにグアムに移転することが決まり、そのためのグアムにおける基地整備の一部を日本政府が負担することも約束された。

 もともと沿岸案は、地域住民に影響が大きいとして除けられた案であった。琉球新報と沖縄テレビの合同世論調査によれば、沿岸案支持はわずか7%で、その他は、県外移設27.4%、国外移設29.4%、普天間基地の即時閉鎖・無条件返還28.4%などとなっていた。稲嶺知事も、沿岸案に猛反発して海兵隊の県外移駐を主張し始めた。

 さて、ここまでの締めくくりとして、久し振りに翁長知事の陳述書から普天間問題辺野古問題を取り上げている部分を引用しよう。

 政府は、県民が土地を一方的に奪われ、大変な苦痛を背負わされ続けてきた事実を黙殺し、普天間基地の老朽化と危険性を声高に主張し、沖縄県民に新たな基地負担を強いようとしているのです。私は日本の安全保障や日米同盟、そして日米安保体制を考えたときに、「辺野古が唯一の解決策である」と、同じ台詞を繰り返すだけの政府の対応を見ていると、日本の国の政治の堕落ではないかと思わずにはいられません。

 また、政府は過去に沖縄県が辺野古を受け入れた点を強調していますが、そこには、政府にとって不都合な真実を隠蔽(いんぺい)し、世論を意のままに操ろうとする、傲慢(ごうまん)で悪意すら感じる姿勢が明確に現れています。

 平成11年、当時の稲嶺知事は、辺野古を候補地とするにあたり、軍民共用空港とすること、15年の使用期限を設けることを前提条件としていました。つまり、15年後には、北部地域に民間専用空港が誕生することを譲れない条件として、県内移設を容認するという、苦渋の決断を行ったのです。さらに、当時の岸本市長は、知事の条件に加え、基地使用協定の締結が出来なければ、受入れを撤回するという、厳しい姿勢で臨んでいました。

 沖縄側の覚悟を重く見た当時の政府は、その条件を盛り込んだ閣議決定を行いました。ところが、その閣議決定は、沖縄側と十分な協議がなされないまま、平成18年に一方的に廃止されたのです。

 当時の知事、名護市長が受入れに際し提示した条件が廃止された以上、受入れが白紙撤回されることは、小学生でも理解できる話です。

 私は、政府が有利に物事を運ぶため、平然と不都合な真実を覆い隠して恥じることのない姿勢を見るにつけ、日本国の将来に暗澹(あんたん)たるものを感じずにはいられません。

(中略)

 平成27年4月に安倍総理大臣と会談した際に総理大臣が私におっしゃったのが、
「普天間の代替施設を辺野古に造るけれども、その代わり嘉手納以南は着々と返す。またオスプレイも沖縄に配備しているけれども、何機かは本土のほうで訓練をしているので、基地負担軽減を着々とやっている。だから理解をしていただけませんか」
という話でした。それに対して私は総理大臣にこう申し上げました。
「総理、普天間が辺野古に移って、そして嘉手納以南が返された場合に、いったい全体沖縄の基地はどれだけ減るのかご存じでしょうか」
と。これは以前、当時の小野寺防衛大臣と私が話をして確認したのですが、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプキンザーや、那覇軍港、キャンプ瑞慶覧(ずけらん)とかが返されてどれだけ減るかというと、今の米軍専用施設の73.8%から73.1%、0.7%しか減らない。では、0.7%しか減らないのはなぜかというと、普天間の辺野古移設を含め、その大部分が県内移設だからです。

 次に総理大臣がおっしゃるようにそれぞれ年限をかけて、例えば那覇軍港なら2028年、それからキャンプキンザーなら2025年に返すと言っています。それを見ると日本国民は、「おお、やるじゃないか。しっかりと着々と進んでいるんだな」と思うでしょう。しかし、その年限の後には、全て「またはその後」と書いてあります。「2028年、またはその後」と書いてあるのです。沖縄はこういったことに70年間付き合わされてきましたので、いつ返還されるか分からないような内容だということがこれでよく分かります。ですから、私は、総理大臣に「沖縄の基地返還が着々と進んでいるようには見えませんよ」と申し上げました。

 それから、オスプレイもほぼ同じような話になります。オスプレイも本土の方で分散して訓練をしていますが、実はオスプレイが2012年に配備される半年ぐらい前から沖縄に配備されるのではないかという話がありました。当時の森本防衛大臣などにも沖縄に配備されるのかと聞きに行きましたが、「一切そういうことは分かりません」と言っておられました。

 その森本さん自身が学者時代の2010年に出された本に「2012年までに最初の航空機が沖縄に展開される可能性がある」と書いておられます。防衛省が分からないと言っているものを、一学者が書いていてそのとおりになっているのです。私はその意味からすると、日本の防衛大臣というのは、防衛省というのはよほど能力がないか、若しくは県民や国民を欺いているかどちらかにしかならないと思います。森本さんの本には「もともと辺野古基地はオスプレイを置くために設計をしている。オスプレイが100機程度収容できる面積が必要」ということが書いてあります。そうすると今24機来ました。何機か本土に行っています。しかし、辺野古新基地が建設されると全て沖縄に戻ってくるということです。それが予測されるだけに、私は総理大臣にこのような経緯で、政府が今、沖縄の基地負担軽減に努めているとおっしゃっていることはちょっと信用できませんということを申し上げました。
 まさに、属国の面目躍如といったアベコベ軽薄姑息うそつき政権の言動が厳しく指摘されている。
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