2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(38)

沖縄返還後の闘い(6):SACO合意(2)


 大田知事は、地位協定改定の要求とともに、沖縄の過重な基地負担の軽減を求める「在沖米軍基地返還アクションプログラム(基地返還AP)」を提出しその実現を政府に要求していた。基地返還APは沖縄にある米軍基地を95年から20年後の2015年までの間に、3段階に分けて順次返還させ、2015年には嘉手納基地を含む沖縄の全米軍基地の撤去を求めるという計画だった。その基地返還APの「象徴」であり第1期の基地返還計画の「目玉」が、米軍普天間飛行場の返還だった。

 SACO合意は普天間返還を柱とする米軍基地11施設の返還を盛り込んでいる。沖縄の怒りの沈静化を図ったものであり、基地返還APの第1期返還計画を踏まえたものだった。しかし、SACO合意の具体的な中身は、沖縄県の求めたものとは全く異なる形で展開されていった。

 いま沖縄県が強く抵抗している「普天間問題」は、実はこのSACO合意のあり方が原因だった。SACO合意は、「普天間」を含む在沖米軍基地11施設の返還を合意したが、「普天間」を含む8施設がその所属部隊や基地機能を「沖縄の既存基地内に移設した上で返還する」という「移設条件付き」の返還合意だったのだ。「移設条件」が付いたため、SACO合意は大半が2000年度末までの「返還」実現を合意しながらも難航し、合意から15年を経過した現在も普天間をはじめ、北部訓練場、キャンプ桑江など主要基地のほとんどが未返還のままとなっている。

 次の表はSACO合意に盛り込まれた返還予定の米軍基地の一覧表であり、その後の返還進捗を記入している。
(「沖縄と…」からの転載した表だが、「沖縄と…」が出版されたときにはギンバル訓練場はまだ返還されていなかったので、私が追記した。)
沖縄米軍基地返還の現状
 なお、SACO合意は
「http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/saco.html」
で全文を読むことができます。
 また、SACO合意の進捗状況は
「http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/okinawa/saco_final/sintyoku.html」
で全文を読むことができます。


 では、SACO合意の問題点を具体的に見ていこう。

 SACO中間報告では普天間基地の返還条件について「日米共同の研究が必要」と述べていたが、SACO合意では「普天間に関する特別作業班に対し、次の「3つの具体的代替案」を提示してその検討を求めている。
(1)ヘリポートの嘉手納飛行場への集約
(2)キャンプ・シュワブにおけるヘリポートの建設
(3)海上施設の開発及び建設
 特別作業班はこの三案を検討した結果、次のように結論付けた。
「海上施設は、他の2案に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである。」
 この結論が「辺野古問題」の発端となった。
 「辺野古問題」については「沖縄問題の本質(9)」で取り上げたが、SACO合意から現在に至るまでの問題の経緯を今回の最後のテーマにして追ってみることにする。

 また、北部訓練場の返還には次のような条件がつけられていた。
「北部訓練場の過半(約3,987ヘクタール)を返還し……北部訓練場の残余の部分から海への出入を確保するため、平成9年度末までを目途に、土地(約38ヘクタール)及び水域(約121ヘクタール)を提供する。」
「ヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する。」
 これが東村高江(ひがしそんたかえ)周辺のヘリポート建設問題を生むことになった。

 いま私が利用している参考書には高江ヘリパット問題の記事がない。ネットではたくさんの記事がアップされている。その中から次の二つの記事を紹介しておこう。
『<沖縄>高江ヘリパッド 住民が非暴力で阻止する米軍海兵隊の北部訓練場』

 「まさのあつこ」(ジャーナリスト)という方の記事で、写真をふんだんに用いて、これまでの住民運動を追っている。
 もう一つは池尾靖志(立命館大学 非常勤講師)という方の論文で、高江ヘリパット問題から「抑止論に依拠した安全保障政策」の破綻を論じている。
『高江区のヘリパッド建設反対運動から見える日米安保体制の矛盾』


 ところで、上記の表に追記したギンバル訓練場の返還も、08年(H20)年1月に「ヘリコプター着陸帯を金武ブルー・ビーチ訓練場へ、その他の施設をキャンプ・ハンセンへ移設後、返還する」ことが日米合同委員会で合意されたことでやっと実現したのだった。

 さて、このようなまやかしに満ちたSACO合意の実施に対して、沖縄はどのように対峙しただろうか。特に普天間返還が辺野古問題に拡大されて行った経緯に焦点を絞って見ていこう(以下は「日本にとって…」を用いています)。

 「普天間に関する特別作業班」が第三案「海上施設の開発及び建設」を選んだ翌年(97年1月)、日米両政府はその設置場所を「キャンプ・シュワブ沖=名護市辺野古沖」とすることに合意した。地元は、比嘉鉄也名護市長も市議会も、地域ぐるみで猛反発した。この動きに対して大田知事はどうしたか。

 前回、「代理署名拒否以来、沖縄のため頑張ってきた大田知事は橋本との会談で変節してしまう」と書いたが、その様子がここでも見られる。大田知事は、「第一義的に地元自治体と国の問題」と傍観者的態度をとったのだった。そして、当初は那覇防衛施設局の事前調査への協力要請に「県との同席が前提」と拒否していた比嘉市長も、県に見放され、4月18日、代替施設建設には原則として反対と言いつつ、事前調査容認に態度を変えた。すると大田知事は、名護市長と会見して、市長の立場を支持し、事前調査のための辺野古沖ボーリング調査を容認した。知事は、代理署名拒否以前の段階に逆戻りしていた。

《名護市民による市民投票》

 だが、地元住民は黙っていなかった。県民投票の体験を生かして、ただちに自己決定権の獲得めざして動き始めた。6月6日、地元辺野古の「命を守る会」や「ヘリポートいらない名護市民の会」など21団体が、「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」を結成し、市民投票条例制定請求に乗り出した。

 このころにはすでに市長や市議会与党は、海上基地を容認することと引き替えに北部地域振興策を引き出すという方向に踏み切っていたので、市民投票条例の制定には難色を示していた。しかし、市民投票条例制定請求署名数が、市長選挙で比嘉市長が得た票を上回り、有権者の46%(17、539票)に達すると態度を一変し、市民投票の内容を変更して条例を制定することにした。その条例案は次のようであった。

 市長は、海上ヘリ基地建設の賛否を問う条例案を、 「賛成」
「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」
「反対」
「環境対策や経済効果が期待できないので反対」
という四択方式に修正し、現状維持か、振興策かの選択にすり替えた。
 このような姑息な内容があったが、一応条例は成立した。そして、市民投票の実施日は12月21日に設定された。

 条例成立と同時にヘリポート基地建設を進めたい建設業界を中心とする北部地域の経済人などによって組織される「名護市活性化促進市民の会」が、『「環境対策や経済効果が期待できるから賛成」に○を!』という署名運動を開始した。

 市民投票の実施日が近くなると政府までもが大キャンペーンを繰り広げた。11月に入ると、
村岡兼造官房長官、 梶山静六前官房長官、 山中貞則自民党税調会長
など、沖縄にゆかりのある政府高官や自民党幹部が相次いで名護を訪れ、海上ヘリ基地建設への協力を要請し、北部振興に関する要望を聞いた。那覇防衛施設局は、二人一組の職員にカラー刷りのパンフレットを持たせて名護市の全戸を協力要請のために戸別訪問させた。

 市民投票推進協を改称発展させた「海上ヘリ基地建設反対協議会」がこの大キャンペーンに対抗して立ち上がった(以下、直接引用します)。

 草の根の民衆一人ひとりの意思を結集して、日米両政府が押し付ける軍事基地建設に明確な反対の意思を突きつけようとする運動への共鳴・共感は、名護地域を越え、さらには沖縄を越えて拡がっていった。とくに、これまで一貫して普天間基地の撤去を要求してきた宜野湾市民の多くが名護へ駆けつけ基地被害の大きさと危険性を訴えた。宜野湾の女性たちは、「カマドゥー小(グワー)たちの集い」(カマドゥーは、沖縄の昔の女性の一般的な名前。小は、接尾語)を立ち上げ、地元の女性とペアで各戸を訪問し、「わたしたちが体験している恐怖や苦悩をあなたたちには味わわせたくない」として新基地建設拒否を呼びかけた。宜野湾の人びとの働きかけで、基地問題を実感した人たちも少なくなかった。

 賛成派の票集めにもっとも効果があったのは、不在者投票という名の管理投票であった。企業に動員目標を与え、送迎、監視付きで行われた不在者投票は、有権者の19.99%(投票者総数の24.24%)にのぼった。投票者の4分の1は、投票日前にすでに投票をすませていたのである。そのほとんどが賛成票であると思われた。賛成派は、物量大作戦と謀略的集票活動の成功を確信しており、賛成派の代表は、「一票差でも勝ちは勝ち」「市長は投票者の過半数の意思に従うのが当然」と自信満々だった。

 それでも名護市民は、基地を拒否した。開票結果は、投票率82.45%、「賛成」8.13%、「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」37.18%、「反対」51.63%、「環境対策や経済効果が期待できないので反対」1.22%であった。名護市民投票は、地域住民の自己決定権の獲得をめざし、生活(豊かさ)の内実を問い、人間としての誇りを示した。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/2067-f191be0c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック