2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(37)

沖縄返還後の闘い(5):SACO合意(1)


 今回は代理署名訴訟後から、95年11月に設置されたSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)の最終報告(SACO合意と呼ばれている)が出された96年12月までの沖縄と日米政府の動向を追うことにする

《県民投票》

 代理署名を拒否した太田知事は、地位協定改定に加え、沖縄の過重な基地負担の軽減を求める「在沖米軍基地返還アクションプログラム(基地返還AP)」を示し、それの実現を政府に迫っている。基地返還APは沖縄にある米軍基地を95年から20年後の2015年までの間に、3段階に分けて順次返還させ、2015年には嘉手納基地を含む沖縄の全米軍基地の撤去を求める計画だった。その基地返還APの「象徴」であり第1期の基地返還計画の「目玉」が、米軍普大間飛行場の返還だった。これに対する日米政府の対応は次のようだった。 96年1月
 橋本龍太郎、首相に就任
「沖縄と…」は村山首相の退陣について次のように書いている。
『 少女暴行事件を契機に沖縄で急速に高まった米軍基地撤去・返還のうねりは、日米安保の根幹をも揺るがし、難問を前に解決を見いだせない村山首相は、十数年後の民主・社民・国民新党の三党連立政権で普天間問題などの解決に行き詰まり退陣に追い込まれた鳩山由紀夫首相と同様に、辞任を余儀なくされました。』

(以下は「日本にとって…」を用いています。)

96年4月12日
 橋本首相はモンデール駐日米大使と会談し、その共同記者会見で突如、普天間基地の全面返還で合意したと発表。これがテレビで生中継され、大々的に宣伝された。

96年4月15日
 日米安保協議委員会(2+2 閣僚会合)は、SACOの中間報告を受けて、普天間基地を含む在沖米軍基地11ヵ所の全部及び一部を返還することを決定。

 4月12日の橋本の発表は、明らかにSACO中間報告の目玉部分を先取りしたものである。SACOの中間報告には次のように書かれている。 『今後5~7年以内に、十分な代替施設が完成した後、普天間飛行場を返還する。施設の移設を通じて、同飛行場の極めて重要な軍事上の機能及び能力は維持される。このためには、沖縄県における他の米軍の施設及び区域におけるヘリポートの建設、嘉手納飛行場における追加的な施設の整備、KCー130航空機の岩国飛行場への移駐及び危機に際しての施設の緊急使用についての日米共同の研究が必要となる』

96年4月17日
 来日したクリントン米大統領と橋本首相によって、日米安保共同宣言が発表された。

 こうした日米政府動向は明らかに、1995年の民衆決起に対応した慰撫作戦であり、クリントン米大統領の来日による安保再定義(「日米安保共同宣言」発表)を容易にする政治状況を作り出すための演出であった。

 こうした日米政府の動きに対して、反戦地主会、違憲共闘、一坪反戦地主会は、4月15日(大阪)と16日(東京)に、「軍用地の強制使用を許さない大阪(東京)集会」を開き、17日には東京で、シンポジウム「沖縄から安保を問う」を行った。この民衆の集会について、「日本にとって…」は次のように解説している。

 この種の集会を沖縄側が主催してヤマトで行ったのは初めてのことであった。

 当時、ヤマトの大衆運動は、安保の拡大・強化に反対するという共通目標を持つ人びとが、組織的立場を越えて総結集しうるような状況にはなかった。逆に、沖縄では共闘体制が可能なテーマでも、全国集会となると中央組織の色合いに従って縦割りに分断されざるを得ないという状況があった。そこで沖縄側が主催することによって、「小異を残して大同に就く」沖縄的共闘体制を持った全国集会を実現しようとしたのである。こうしてヤマトであればほとんど同席することが難しいような政党系列の団体から、小さな市民団体、無党派の個人に至るまで、大阪で7000、東京で1万5000の人びとが参加した集会が実現した。

 上の引用文を私は、市民や学生の声に押されて動き出した「野党共闘」を重ねて読んでいる。「野党共闘」はまだ大きなうねりになっていないが、是非「小異を残して大同に就」き、大きく成長することを願っている。

 さて、こうした中、沖縄では県会議員選挙(96年6月9日)が行なわれた。
 この選挙の結果、選挙前の議席数は知事与党21(社大、社民、共産、公明など)・野党(自民、新進など)25・欠員2、だったのが、与党25・野党23となり、知事与党が多数となった。16年ぶりに革新が優位となった(この時期までは、公明党も違憲共闘の一員であり、県政与党であった)。


 新しい県議会は、連合沖縄の条例制定請求に基づいて知事が議会に提出していた、日米地位協定の見直しと基地の整理縮小について賛否を問う県民投票条例を採択することになった。当初は全会一致で採択されるものと思われたが、自民党は突然反対の態度を表明した。その理由としては、直接民主主義は議会制民主主義を形骸化させるとか、「基地の整理縮小」や「地位協定の見直し」は、10・21県民大会や県議会決議で確認ずみであり、県民投票は屋上屋を架すもので経費の無駄遣いだなど、さまざまあったが、要するに自民党県連は、この段階から、「島ぐるみ闘争」の戦列を離れ、自民党中央の尖兵となったのである。

 当時の朝日新聞(96年6月23日付)は、
「自民党本部は沖縄県議会の自民党会派と連絡を取りながら、本会議での否決に持ち込むため、さまざまなパイプを使って他会派に同調するよう呼びかけていたが野党の新進党が賛成に回り可決された」
と伝えている。

 自民党の反対理由のなんと薄っぺらな事よ。その後、県民投票に至るまでにも、県民投票を失敗させるための恥ずかしい動きを示している。どうやら最高裁も一役買っていたようだ。しかし、沖縄の良識は動じなかった。

 県は、県民投票の投票日を9月8日に設定した。9月中旬か下旬には、代理署名訴訟に関する最高裁判決が予想されていたからである。最高裁で知事敗訴ということになれば、強制使用の次の手続きである公告・縦覧代行への知事に対する圧力が強まる。県は、県民投票に示された民意を最高裁判決への防波堤にしようとしていた。だが、まるでその裏をかくように、最高裁は、7月25日、判決日を県民投票告示前日の8月28日に指定した。判決は、上告棄却、すなわち県側の全面敗訴であった。

 最高裁判決直前の8月26日、自民党県連は、県民投票に関する県の啓蒙活動が、有権者の自由意思を束縛するものだ、などの理由で、広く棄権を呼びかけるという方針を発表した。自民党県連と土地連以外では、陸上自衛隊第一混成団の団長が、隊員に対して棄権を促すような発言をしたことが明らかになり、慎重さを欠いたとして口頭注意を受けた。

 逆の意味で注目されたのは、高校生たちが自主的に実施した「県民投票」である。高校生交流集会、高校生平和集会などを通じて知り合った高校生たちが「高校生で県民投票をしよう会」をつくって、69校、4万1653人の高校生に呼びかけ、63校、3万6139人がこれに参加した。結果は、
「基地の整理縮小」支持67%
「地位協定の見直し」支持75%、
「わからない」が、それぞれ19%と18%だった。

 9月8日に行われた県民投票では、90万9832人の有権者のうち、54万1626人が猛暑の中を投票所へ足を運び、そのうち48万2538人が賛成票を投じた。
投票率は59.53%

賛成票は89.09%
を占め、有権者全体に占める割合は、53.04%だった。

 民意は明確に示されたのである。知事は県民投票の結果を「基地問題を解決しなければ沖縄に明るい未来はつくれないという認識の現れ」と評価しながら、公告・縦覧代行については、10日の橋本首相との会談で「政府の対応を聞いた上、県としての考えをまとめる」と言及を避けた(96年9月9日付沖縄タイムス)。

 代理署名拒否以来、沖縄のため頑張ってきた太田知事は橋本との会談で変節してしまう。その心中は知るすべがないが、沖縄振興予算を受け入れるためだったようだ。

 9月10日の橋本・太田会談を受けて発表された閣議決定による首相談話は、肝心の基地問題に関する限り、誠心誠意努力するという口約束以外に目新しさは何もなかった。具体的なものといえば、沖縄特別振興対策調整費50億円の予算措置と、沖縄政策協議会設置の二点だけであった。

 しかし、沖縄政策協議会は、すでに設置されていた沖縄米軍基地問題協議会のメンバーを、首相と北海道開発庁長官を除く全閣僚に拡大したものに過ぎず、基地問題を振興開発政策にすり替える結果となった。にもかかわらず知事は、この首相談話を評価して公告・縦覧代行を行うことになった。代理署名拒否から約一年、知事を先頭にした島ぐるみ闘争の時代は終わった。知事が主役の座を降りた以上、民衆自身が闘いの主役を引き受けなければならなかった。

 これより一月ほど前、官房長官の私的諮問機関として、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(後に座長の島田晴雄慶大教授の名前をとって島田懇と略称されるようになる)が発足していた。この懇談会には、沖縄経営者協会会長、連合会長、名桜大学学長、琉球新報、沖縄タイムス両新聞社社長など、沖縄側の有識者も加わっていた。島田懇は、基地所在市町村の閉塞感を打開するために、7年間で1000億円の基地所在市町村振興費計上を提言することになる。

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