2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(35)

沖縄返還後の闘い(3):1995年の民衆決起(1)


(今回から、新崎盛暉著『日本にとって沖縄とは何か』の他に前泊博盛著『沖縄と米軍基地』を用います。それぞれ「日本にとって…」「沖縄と…」と略記します。)

 沖縄の人々は日常的に爆音被害、墜落・不時着事故、放射能漏れ(原子力潜水艦)事故などの基地被害に脅かされているが、米兵等による犯罪にも脅かされている。次の表は沖縄返還後39年間(1972年~2010年)に起こった米兵等の検挙件数(「沖縄の…」から転載)だが、私はその多さに改めてビックリしている。 沖縄での米兵犯罪
 その中で最も衝撃的な事件が1995年9月4日に起こった。キャンプ・ハンセン所属の海兵隊員ら米兵3人が沖縄本島北部で12歳の女子小学生を暴行するという忌まわしい凶悪事件である。沖縄県警は3人の逮捕状を取ったが、米軍は、日米地位協定を理由(公務中以外での米兵の犯罪は日本に裁判権があるが、身柄引き渡しは起訴後)に被疑者の身柄引き渡しを拒否した。このため沖縄県警は事件の立件に必要な容疑者の取り調べができないという状況に追い込まれた。これが沖縄県民の怒りに油を注ぎ、米軍基地の整理縮小や日米安保・日米地位協定の見直し要求へと発展していった。

 この事件をめぐる沖縄県民の怒りに対するアメリカと属国日本政府の対応を見てみよう(「沖縄と…」からの引用)

 「凶悪事件」の犯人が分かっているのに、身柄もとれず、取り調べにも支障を来していることに、当時の大田昌秀沖縄県知事は激怒して上京。当時の河野洋平外務大臣に、米兵の身柄引き渡しと捜査を阻む日米地位協定の改定を求めました。ところが、河野外相は「地位協定の改定まで求めるというのは、議論が走りすぎている」と沖縄県の要請を一蹴しました。河野外相にとって、少女暴行事件も毎年繰り返される米軍犯罪の1件に過ぎないという認識だったことが、その後、日米安保を揺るがす大きな波紋を呼ぶことになります。

 同時に、米軍がとったその後の言動も沖縄県民の怒りを買います。少女暴行事件に対して、米太平洋司令官のリチャード・マッキー海軍大将が「兵士らは、レンタカーを借りているが、その金があったら女が買えた」と、発言したからです。「マッキー発言」に対しても沖縄県内の市町村議会、県議会などが一斉に反発し、抗議を行っています。

 凶悪事件の犯人がはっきりしているのに、身柄もとれず、捜査が進まないことに大田知事は「被害者の人権も守れない。日米安保はいったい、何から何を守っているのか。被害者よりも加害者が守られる。そんな協定を誰が結んだのか」と、地位協定の見直しを再要請し、政府・外務省の事件への対応姿勢に強く抗議を繰り返しますが、政府の壁は厚く、事件の捜査と起訴は難航しました。

 少女暴行事件の重大性と捜査を阻む地位協定の問題は、沖縄県民全体の怒りを招きます。95年10月21日、宜野湾市の海浜公園で「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」が開催され、県民8万5000人(主催者発表)が参加します。席上、大田知事は「少女の人権を守れなかったことを知事として県民の皆さんにお詫びしたい」と謝罪します。

 一方で、大田知事は日本の総面積の0.6%に過ぎない沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中する現状は「沖縄差別」と告発します。

ちょっと横道へ。
 私は日本を、悲しさ・情けなさと強い怒りを強く感じながら、「アメリカの属国」と言っているが、「属国」の意味について論じている一文を紹介しておこう。図書館でガバン・マコーマックというオーストラリアの学者の著書(訳者 新田準)で書名がずばり『属国』という本に出会った。著者はこの本の「日本語版への序」のなかで、「属国」について次のように論じている。

 私は、小泉・安倍両政権の特徴は対米依存と責任回避だと考える。日米関係の核心にあるのは、冷戦期を通して米国が日本を教化した結果としての対米従属構造だが、二人の首相の「改革」はこれまで長年継続してきた対米依存の半独立国家・日本の従属をさらに深め、強化した結果、日本は質的に「属国」といってもいい状態にまで変容した。日本独自の「価値観・伝統・行動様式」を追求するどころか、そうした日本的価値を投げ捨てて米国の指示に従い、積極的に米国の戦争とネオリべラリズム型市場開放に奔走した。世界中で米国の覇権とネオリベラリズムの信用度が急落している中で、小泉・安倍両政権は献身的にブッシュのグローバル体制を支えたのである。

 わたしが属国というとき、初めて国民国家の主権と独立の概念が出てきた1648年のウェストファリアの国家の定義(管理人注:30年戦争を終わらせたウェストファリア条約の内容の一つで、主権国家を定義している)を想定したうえで、植民地でも傀儡国でもない、うわべだけでも独立国家の体裁があるが、自国の利益よりはほかの国の利益を優先させる国家という意味で使っている。

 本書のタイトルに使用した「属国」という言葉は、70年代から80年代にかけて政権の中枢にあった故・後藤田正晴・元官房長官の発言から採った。死の前年の2003年に後藤田は、日本はアメリカの属国になってしまった――と発言している。保守政治家の中からも日本は「アメリカの何番目かの州みたいなものだ」とか、日本の保守は「腐っている」とか「どんなときもアメリカ支持」だと自嘲気味の発言も出てきた。

 海外ではそうした観点からの日本批判はほとんど見られない。かつて日本政府を批判するのは革新派か急進派だと決まっていたが、近年、後藤田のような保守の大物から批判か出てきたのは興味深い。彼らは小泉・安倍両政権は冷戦期以来の日本の国家構造を根底からひっくり返そうとしていると見ている。「属国」は保守の政治目標たりえない。

 こうした観点からすると小泉・安倍両首相は、保守とは名ばかりでじつは戦後最も急進的な政治家だったということもできる。自民党はもはや保守党ではなくなった。本来の保守政治家は冷や飯を食わされ、引退させられ、刺客に暗殺され、粛清されてしまった。佐伯啓思・京都大学教授は「自民党にいまや保守の理念は存在しない」とまで言っている。

 引用文中の安倍政権は勿論途中で政権を投げ出した一次安倍政権だが、現在の安倍政権は「美しい日本を取り戻す」とほざきながら、一層激しく属国への道をひた走っている。現在の超右翼はその矛盾に気づかぬほど脳天気なのだろうか。

 ところで、「刺客に暗殺され」た保守政治家なんているのだろうか。私には思い当たる人はいないが、ただ《『羽仁五郎の大予言』を読む》(78)で紹介したように、羽仁さんが「最近CIAの謀略が大部暴露されているよね。石橋湛山なんかも毒薬飲まされたんじゃないかと思うんだ」と語っているのを思い出した。

 さて、1995年の民衆決起を促した直接のきっかけは少女暴行事件だったが、それを促す時代背景もあったと言う(次の引用文は「日本にとって…」から)。
 ちょうどこの時期、いわゆる「日米安保の再定義」の全容がほぼ明らかになりつつあった。東西冷戦の終焉、ソ連の崩壊によってその役割を終えたかに思われていた日米安保体制を意義付け直し、強化・拡大していこうという試みは、95年11月のクリントン米大統領の訪日によって完成する予定であった。安保再定義は、沖縄基地の維持・強化を前提としていた。

 同じ時期、97年5月15日で強制使用期限が切れる米軍用地(一筆だけは96年3月31日で契約期限が切れる)に対する強制使用手続きが始められており、その一環である知事の代理署名がタイム・リミットを迎えていた。

 大田昌秀知事は、代理署名を拒否することは困難だとの意向をかなり早くから漏らしていた。しかし、反戦地主や一坪反戦地主、違憲共闘などが、当事者である反戦地主の意思を踏みにじるような代理署名は拒否してほしいと繰り返し要請していたため、革新知事としての立場もあって、決断に踏み切れないでいた。

 95年9月は、このような時期であった。たとえ米兵による忌まわしい事件が起こらなくとも、それは、沖縄の民衆が基地のありようを根本的に問い直さざるを得ない歴史的節目であった。そして基地のありようを問い直すということは、日米安保体制と沖縄の関係を改めて見直すことであり、復帰後の歩みを総括することでもあった。米兵による少女暴行事件は、そのような歴史的総括の必要性を、衝撃的なかたちで多くの人々に認識させたのである。歴史は、偶然と必然の接点から動き始めた。

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