2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(18)

沖縄の歴史(16):再びヤマト世へ(1)

沖縄返還交渉(1)

  前回取り上げたように、1962年2月1日に琉球立法院が「施政権に関する要請決議」を採択し、それを受けて、1963年2月にアジア・アフリカ連帯会議がアメリカ軍の沖縄完全撤退と日本への施政権返還を求める決議を採択した。こうした祖国復帰運動の高まりのもと、日米両政府はどのような対応をしていったのか。最終的には「沖縄を売り飛ばした米国政府と買い取った日本政府」が締結した沖縄返還協定に至るのだ、それまでの経緯を追ってみよう。

 1961年6月22日に発表された池田・ケネディ共同声明には沖縄・小笠原問題に言及した次のようなくだりがある。
『大統領と総理大臣は米国の支配下にあるが同時に日本が潜在主権を保有する琉球および小笠原諸島に関連する諸事項に関し意見を交換した。大統領は米国が琉球の人民の安寧と福祉を増進するまでいっそうの努力を払う旨発言し、さらにこの努力に対する日本の協力を歓迎する旨を述べた。総理大臣は日本がこの目的のため米国と引き続き協力する旨確言した。』
 この共同声明をめぐって奥田さんは次のように解説している。

 日米現実主義路線で民生向上を志向するケネディ新政策は、内外から注視されている沖縄問題に新たな展開をもたらすのではないかと沖縄の期待感を高めた。しかし実際には、経済援助による沖縄の民生安定に重点が置かれ、基本的人権や自治権の問題については「継続的な検討」にとどまった。とはいえ、祝祭日における公共建物に「日の丸」を掲揚することが許可され、主席の選任方法として「立法院の指名した人を弁務官が任命する」立法院指名制という新しい方式が採用され、民政官が軍人から文官に替わり、そして日本政府による沖縄経済援助が増やされた。ここに、「日米琉新時代」が到来したと言われたのである。

 また、池田・ケネディ首脳会談において、1960年7月に琉球立法院で沖縄の「祖国復帰」を話し合う場として決議された日米琉懇話会が正式に発足する運びとなった。この懇話会において、日本政府が沖縄の施政権「全面」返還よりむしろ、行政権の「なしくずし」返還という積み重ね方式をとることを明らかにしたため、米国政府が譲歩する姿勢を示したと言われる。

 日本政府の構想では、日本政府代表として藤枝泉介総務長官、米国政府代表としてポール・W・キャラウェイ高等弁務官、そして琉球政府代表として大田政作主席の三者から構成される懇話会は沖縄に対する経済援助のあり方を中心に話し合う場として想定されていたことがわかる。

 一方、このような日米協調路線に対して、アメリカ軍は沖縄における軍事的利権が侵害されると捉えただけでなく、「祖国復帰」運動や自治権拡大といった沖縄の民主化要求に対しても警戒感を強めていた。そして、琉球立法院の「施政権に関する要請決議」を契機に、アメリカ軍は民主化要求を力ずくで押さえ込んでゆく道を選んでいった。日本政府の関与を最小限に食い止めようとした「離日政策」もまた、アメリカ軍が沖縄におけるさまざまな既得権益を失うことを懸念したため選んだ政策であったと考えてよいだろう。

 上に登場したキャラウェイ高等弁務官について付記しておこう。高等弁務官は軍人に代わって設置された復帰前の沖縄の最高責任者であるが、キャラウェイは第3代の高等弁務官で在位は1961~64年で。丁度、沖縄の復帰運動が盛り上がり始めた時期と一致する。キャラウェイは沖縄の自治権を「神話だ」と評した発言が残っており、今も沖縄ではすこぶる評判が悪い。

 翁長知事は管官房長官との会談で、管官房長官の姿勢をキャラウエイを対比して批判している。つまり、名護市辺野古での移設作業を「粛々と進める」とする菅氏について「問答無用という姿勢が感じられて、キャラウェイ高等弁務官の姿が重なるような感じがする」と述べているのだった。

「付記」をもう一つ。  《沖縄に学ぶ》を取り上げるに至った動機やその意義についてはすでに述べてきているが、最近時々、同じ視点からの論考に出会って心強く思っていた。ところが、その同じ視点から沖縄問題を論じた本がこの1月に出版されていたことを東京新聞の書評記事で知った。書評の対象本は新崎盛暉著『日本にとって沖縄とは何か』で、評者は田仲康博(国際基督教大教授)さんである。田中さんの書評を紹介しておこう。


 圧倒的多数の県民の反対を押しきって、沖縄・辺野古では今日も新基地建設が強行されている。防衛施設局は、民間の警備会社、県警、海上保安庁に加えて昨年から警視庁の機動隊をも動員して工事に反対する市民を排除していて、現場では多くのけが人が出ている。しかし、国家による暴力が日常化している沖縄の現実を県外のほとんどの人は知らされていない。

 本書で新崎盛暉は、辺野古新基地建設を「戦後70年の日・米・沖関係史の到達点」として位置づけ、戦後史をひもとくことで沖縄をめぐる問題の本質にせまる。彼によると、戦後日本の「サンフランシスコ体制」は、二つの条約によって生み出された。対日平和条約と安保条約は互いに補完し合いながら、一方で米軍による沖縄占領の継続を可能にし、他方で日米同盟を国境の〈外部〉で支える沖縄の地政学的位置を決めることになった。

 安保体制の矛盾を沖縄に押しつける「構造的差別」の仕組みがそこに誕生したわけだが、決定的に重要なのは、差別が現在も続いていることと、その不条理さに気づいた県民の間に国家と対峙する意識が芽生えていることだ。

 2007年、「集団自決」をめぐる教科書検定に反対する県民大会に11万余の人々が集結した。政治的信条や世代の違いを超えて人々が集結した大集会はなぜ可能だったのか。新崎は、そこにおいて歴史的体験が「現実の課題を通して、はじめて社会全体に共有化され」たからだと述べる。「オール沖縄」の出発点はそこにあった。

 沖縄問題は地域限定の問題ではなく、沖縄の人々だけが当事者であるわけでもない。本書の帯にある「これはあなた自身の問題である」という言葉は、当然のことながら、私たち一人ひとりに向けられている。戦争ができる国家の実現に向かってひた走る政権下にあって、そうではない社会を想像し、未来へ向かって一歩を踏み出すためにもぜひ一読をお勧めしたい。

(私は今日この著書を注文しました。今後、この著書を参考書の一つとして利用するかもしれません。)
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