2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(17)

沖縄の歴史(14):アメリカ世の沖縄(7)

祖国復帰運動(2)

 沖縄では「4.28」「5.15」「6.23」と、アメリカ世の歴史を記憶に止めるべく制定された象徴的な"記念日"が続く。歴史での時系列順では「6.23」「4.28」「5.15」となる。

 「6.23」は「慰霊の日」である。沖縄戦での日本軍司令官牛島満が自決したとされる日を沖縄戦終結の日と考えて選んでいるそうだが、その後もなお悲惨な戦闘状態が続いていたことは、すでに学習した通りである。言うまでもなくそれらを全て網羅した「慰霊の日」である。

 「5.15」は「本土復帰記念日」である。「沖縄返還協定」が発効した1972年5月15日の日付が選ばれている。沖縄の本土復帰に至るまでの経緯については後に詳しく検討する予定である。

「4.28=<沖縄デー>」

 「4.28」は「沖縄デー」と呼ばれているが、この記念日は二つの意味合いを持っている。つまり、前回で取り上げたように、1960年4月28日は「沖縄県祖国復帰協議会」(復帰協)が結成された日である、と同時に、この日付はサンフランシスコ講和条約が発行した1952年4月28日と同じ日付である。つまり、4月28日は沖縄の人たちにとって、沖縄が日本から切り離されアメリカ軍の支配下に置かれた「屈辱の日」でもあった。この「屈辱の日」であり、かつ「祖国復帰を求める全国的な統一行動」が始動した日を「沖縄デー」と定めたのだった。

 1960年代における沖縄デーの運動を奥田さんは次のように概観している。

 1960年代の「4.28」には、那覇市内で復帰協主催の「祖国復帰県民総決起大会」が開催され、大会参加者は日の丸の小旗と提灯を打ち振って市内をデモ行進した。(日本)本土では、62年から総評・青年団協議会・沖縄県人会・社共両党などによる「沖縄返還国民総決起大会」が恒例化し、63年の「沖縄デー」からは全国縦横の行進団が北緯27度線上に船を出して(日本)本土と沖縄が合同で海上集会を開催するようになった。その前夜は辺戸(へど)岬と与論島で焚火をたいて呼応するなど、沖縄返還運動は全国的な国民運動に拡がりつつあった。こうして、沖縄の「祖国復帰」運動は(日本)本土の「沖縄返還」運動との連携を強めてゆくことになる。

 また、沖縄デーは国際的にも認知されるようになる。

 1962年2月1日、立法院は「施政権に関する要請決議」を全会一致で採択した。決議文の文言には、国連の「植民地解放宣言」が引用され、「沖縄を日本から分離することは正義と平和の精神にもとり、将来に禍根を残し日本の独立を侵し国運憲章に反する」と強い抗議の響きがある。

この決議文は国連加盟国104ヵ国に発送され、国際的に大きな反響を呼んだ。翌63年2月、アジア・アフリカ連帯会議は米軍の沖縄完全撤退と日本への施政権返還を求める決議を採択すると同時に、4月28日を「沖縄デー」と定めた。

 さて、次回から「沖縄返還協定」に至るまでの経緯を取り上げる予定だが、現在のテーマ「アメリカ世の沖縄」のまとめに当たる奥田さんの解説を引用して置こう。

 米国の情報公開法に基づく公文書の開示によって、近年、米軍による直接軍事占領と日本への施政権返還の経緯が明らかになりつつある。政治的な蓋然性に因るところが大きい対日講和と対日政策を批判的に検証するうえで、情報公開された資料が米国の長期的な世界戦略構想とどのように関連づけられるかを精査することは欠かせない。なぜなら、日米両国の国益と沖縄の県益とは必ずしも一致しないからである。現在、沖縄が直面している基地被害をはじめとする社会・経済問題の多くは、1960年代から70年代にかけての「祖国復帰」運動とその政治的な帰結に起因すると考えられる。覇権を争う大国の思惑に翻弄されるなかで、沖縄自身がその過去、現在、未来をどう描いてきたかを総括してみることも必要であろう。

 米国国務省は、植民地帝国主義に対する反省から、日本「固有の領土」である沖縄を含めた日本を「非武装中立国家」とする計画を立てていた。しかし、朝鮮紛争を機に、当初の世界戦略を変更して沖縄の無期限保有と軍事基地化を極東政策の基本方針として打ち出すことになる。次に、米国の財政事情の悪化と日本の高度経済成長という不均衡な経済関係が米国による在沖米軍基地の恒久的な占有と沖縄の名目的な日本への〈復帰/返還=(再)併合〉というバーター取引を可能にした。そして現在、沖縄を売り飛ばした米国政府と買い取った日本政府は極東戦略から世界戦略へと〈日米安保体制=日米軍事協力〉の拡大・強化を推し進めている。それが、沖縄の〈いまここ〉なのである。

 「極東最大」と言われる米軍基地を沖縄に建設した米国は、1945年4月1日の沖縄島上陸から72年5月15日の日本への施政権返還までの27年間、基地の拡大・強化を最優先に直接軍事占領を行なった。その米軍によって人権と自治を踏みにじられ、日本(本土)の〈非軍事化=民主化〉を補填するめに〈軍事植民地化〉された沖縄は、いまだにあらゆる面で格差を引きずっている。69年に〈祖国=日本〉復帰が決まると、それまでのあいだに沖縄は米軍基地の固定化、基地労働者の大量解雇、ドルの暴落によって大きな社的・経済的な打撃を受けることになる。わずか一世紀のあいだに沖縄は〈清の世から大日本帝国の世へ〉、〈大日本帝国の世からアメリカの世へ〉、そして〈アメリカの世からまた日本(ヤマト)国の世へ〉と三つの世代わりを体験するのである。
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