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《沖縄に学ぶ》(12)

沖縄の歴史(9):アメリカ世の沖縄(2)

沖縄の軍事植民地化

1950年11月24日
 米国国務省、「対日講和7原則」を発表

その中に「合衆国を施政権者とする琉球及び小笠原諸島の国際連合信託統治に同意」という項があった。それを知った沖縄ではすぐに「信託統治反対・祖国復帰促進」の運動が起こった。

51年9月8日の対日講和条約でこの地域の日本からの分離と米国による占領統治が国際的に承認された。 翌51年4月28日
 「日本復帰促進期成会」が結成される。

 6月には「日本復帰」請願の署名運動が展開され、願署数は沖縄の全有権者の72.1%を占める19万9356人に達した。署名録は対日講和会議開幕日である9月4日の約一週間前に吉田茂首相とジョン・F・ダレス米国特使宛に送られた。しかし、その後は大きな大衆運動にまで発展しなかった。

 「対日講和7原則」の中の国際連合統治信託はサンフランシスコ講和条約の第3条として盛り込まれた。しかし、それは次のように、アメリカ独自の軍事植民地化が可能となるような姑息な条文だった

『日本国は,北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)…(小笠原群島などが続くが略す)…を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。』

 少し分りにくいが簡単に言えば次のようである。
 アメリカが南西諸島を統治信託することを国際連合に提案したときは、日本はそれに無条件で同意する。それまではアメリカが今のまま統治する。つまり、アメリカの都合で南西諸島を無期限に自由に使用できることを正当化する条文になっている。

 そして、アメリカはついには国連に信託統治を提案しなかった。信託統治になれば、住民のために経済的社会的発展が義務付けられるし、基地建設のために大規模な土地収用もできなくなる。つまり、それでは沖縄の軍事植民地化はできなくなる。

 しかし、日米合作の琉球処分は沖縄に対する日本の「潜在主権」を認めている。このことについては、奥田さんの解説を直接引用しよう。
このことはたとえ名目的であったとしても主権の承認を求めていた日本政府の主張と一致し、また、沖縄住民にとっては〈祖国=日本〉復帰を訴える重要な根拠となってゆく。米国は、日本の「潜在主権」を承認することによって、沖縄に芽生えた民主化の動きをあらかじめ封じ込めておこうとしたのである。ダレス米国国務長官は、1951年6月のメモのなかで、沖縄に対する日本の主権が放棄された場合にソ連が米国の沖縄占領統治に介入する危険性を指摘するとともに、主権が沖縄住民に属することになると「住民は国連をバックとして、米国を追い出す権利を主張するかもしれない」という危惧を表明している。日本の「潜在主権」は、実質的には、沖縄が米国による占領統治のもとに置かれることを容認するものであったことがわかる。

 以上のように講和条約はアメリカの占領統治を国際的に認める法の役割を持っていたが、講和条約に関わった国の中にはこうしたアメリカのやり方に批判的な国もあったことを記録しておこう。
 講和会議に先立って、在ワシントンの管理機関であった極東委員会の15ヶ国の中の一国であったインド代表は信託統治案に反対を表明するとともに、講和会議出席を拒否したと言われる。
また、講和条約調印国のなかで自国に駐留する外国軍の撤兵に取り組んでいたエジプト(当時は王国)の代表団が講和条約第3条について
「民族自決の原則と住民の表明された希望を考慮すべきである」
と強調し、これを認めずに態度を留保したことが記録に残っている。

 さて、翁長知事が「沖縄県民は…日本国民でもアメリカ国民でもありませんでした」と書いているが、このことに関連した奥田さんの解説を引用しておこう。

 米軍による琉球諸島の直接軍事占領を象徴するのは「身分証明書」による移動や渡航の制限であった。日本(本土)へ出入国するにもパスポートを必要とした。詩人山之口漠は「梯梧の花ふるさと沖縄をおもう」という記事のなかで、
「日本でありながら、沖縄への旅行は簡単なことではない。一ヵ月そこそこの旅行の手続きに二ヵ月も半年もかかるほど、遠いところに沖縄が引き離されていて、往き来さえおもうようにはいかないのだ」
と述べている。琉球列島米国民政長官、後に米国民政府高等弁務官が発給したパスポートにおける住民の身分には「琉球住民」とあった。

 米軍はこの渡航許可制を利用して米軍に批判的な人物や"反米的"と思われる申請者に対して自由に出入国させない一方、沖縄への渡航を希望する日本(本土)の研究者やジャーナリストの「入域」を恒常的に拒否した。この渡航制限によって出入国を拒否された人びとは広範囲に及んだ。1964年に琉球大学へ招聘教授として招かれた永積安明神戸大学文学部教授(当時)でさえ、「入域」を拒否された。

 また、71年までのあいだ、中国や北朝鮮といった共産・社会主義国への渡航も禁止されていた。

 そのため、「祖国復帰」運動が高まるとともに渡航制限撤廃を要求する運動も拡がっていった。

 アメリカの占領統治は経済面でも統制支配を行なっていた。

 米軍はまた、1948年から「B円」と呼ばれる円表示B型軍票を唯一の法定通貨とした通貨体制を敷いて沖縄経済を独占支配下に置いた。そして58年、占領統治を強化するため、10年間にわたって使用されてきたB円を米国「ドル」通貨制に「通貨切り替え」した。沖縄住民は旧日本円からB円、B円から米国ドル、米国ドルから現日本円と三回の「通貨切り替え」を体験することになる。一方、米軍はこの通貨切り替えにおける交換レートを管理することで交換利益を得ると同時に、沖縄の市場経済を統制支配したのである。

 こうしたアメリカの独裁的な占領政策に対抗して、「祖国復帰」運動が高まるとともに渡航制限撤廃を要求する運動も拡がっていった。また、自治権拡大を求める民衆運動も継続的に推し進められていった。この運動は、具体的には、高等弁務官による任命制であった琉球政府の行政主席「公選」を要求めるもので、1968年にはついに主席選を勝ち取っている。同年11月2日に行なわれた選挙で屋良朝苗(やらちょうびょう)を主席として選出している。

 講和条約第3条があのようなおかしな条文となったのは琉球諸島に対する処遇について対立をしていた国務省と軍の妥協の結果だったからだ。その経緯を奥田さんは次のようにまとめている。

 米軍が初めて大日本帝国の「版図(領土)から沖縄を切り離して直接軍事占領する計画を明らかにしたのは、米統合参謀本部の1945年4月3日付け文書のなかであった。その半年後、米軍は沖縄を長期保有する方針を決定し、信託統治などの手法を検討するようになったそして翌46年1月29日、GHQから出された「若干の外郭地域を日本から分離する覚書』によって沖縄は〈非武装化〉を支柱とする対日占領政策から外されたのである。

 このような米軍の方針とは反対に、当初、米国国務省は琉球諸島を日本「固有の領土」として認め、領土不拡大の原則に沿って返還する方針であった。そのため、米国政府としての沖縄占領政策は1946年11月の時点で一時棚上げが決定されていた。それから48年に至るまで、米国国務省と米軍とが沖縄をめぐって対立を繰り返した。米国による沖縄占領統治は必ずしも一貫したものではなかったのである。実際、その多くはその場その場で決定された、両者の妥協の産物であった。しかも米軍は、沖縄の直接軍事占領への支出を正当化して、米国議会での予算承認を得るための議会対策につねに頭を抱えることになる。沖縄では占領者として強権発動を繰り返していたUSCARも、米国本国では「民主主義」の原則に拘束されていたのである。

 ここに出てきたUSCAR(ユースカー)について説明しておこう。

 USCARとは1950年に米軍が沖縄に設置した統治機構である琉球列島米国民政府(United States Civil Administration)の略称である。一方、1951年4月1日にUSCARによって設立された暫定的統治機構を琉球臨時中央政府と呼び、つづく1952年から72年まで存在した統治機構を琉球政府と呼んでいる。この琉球政府は形式的に司法、立法、行政の三権を備えていたが、USCARはその上位の統治機構であった。そのため、「琉球政府は琉球における政治の全権を行うことができる」とされながらも、ただし「琉球列島米国民政府の布告、布令及び指令に従う」と規定されていた。このような「異民族支配」のもと、米国の利益を代表する民政長官(後、高等弁務官)により任命された行政主席(上に述べたように1968年からは公選制になった)の政治責任には限界があった。その後、「異民族支配からの脱却」という標語を掲げて「祖国復帰」運動が展開されてゆくことになる。

 もうお気づきのことと思うが、アメリカの沖縄占領軍は「沖縄」を用いず「琉球」を用いている。その背景には、前回のマッカーサーの言葉にもあったように、沖縄人は日本人とは違う民族であるという認識があった。もちろんそこには、沖縄人の本来の出自を認めることで、沖縄を日本から切り離すことに対する沖縄人たちの抵抗をそぐ意図があったと思われる。
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