2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《沖縄に学ぶ》(3)

琉球王国の領域について(前回の追記)

 東京新聞の「こちら特報部」が「面魂(つらだましい)」と題して新年企画連載を始めた。その企画の趣旨を次のように説明している。
「新しい年が明けた。どこか華やかさに欠ける感は否めない。それは社会を覆う不穏な影と無縁ではないのだろう。もはや、従来の常識や倫理を語る者は少数派のそしりを免れない。しかし、常識や倫理は人びとの経験の集積であり、それと断絶された未来はない。浮つかず、自らの経験と体感を軸に歩み続ける人たちがいる。そうした少数派の表情を見つめつつ、私たちの現在を問い返したい。」

 私が前回記事をアップした翌日(10日)の「面魂」は「奄美の老闘士 大津幸夫(さちお)さん(82)」を取り上げていた。そこに奄美諸島の歴史について、私の知らなかった事実が語られているので、それを追記することにした。

 まず、奄美諸島が薩摩に切り取られて支配された時代について次にように語っている。

 17世紀初頭、奄美は薩摩藩の支配下に置かれ、サトウキビの栽培を強いられた。厳しい上納の義務を果たせず、身売りする人が相次いだ。収穫した砂糖を口にしただけで厳罰が下される状況は「砂糖地獄」とも称された。『奄美の人間は名字を名乗るとしても一文字の姓にしろ』という差別的な政策も薩摩藩のころから行われていた。

 次に、奄美諸島は日本敗戦後、今度は鹿児島県から切り取られ、アメリカの軍政下に置かれた。つまりアメリカは琉球全体を軍政下に置いたわけだ。1946年2月2日のことである。軍政下の奄美諸島の状況は次のように語られている(軍政下の沖縄全体については後に取り上げる予定)

 本土への渡航や貿易は制限され、貨幣も日本円が使えなくなった。進学や仕事のために密航する者が少なからずいた。食糧難に直面した奄美の人たちはイモで飢えをしのぎ、毒性のあるソテツの実までもが食用にされた。そんな中で、軍政府は食糧の三倍値上げという形で統制を強めた。

 こうした非人道的軍政が奄美の人たちを「島ぐるみの復帰運動」に立ち上がらせた。

 繰り返し行われた決起集会やデモ。神に祈願するために断食した。早期復帰を求める署名は14歳以上の99.8%に当たる約13万9千人分が集まった。

 大津は当時十代だったが、「『子どもであろうと年寄りであろうと、運動に加わるのは当然』という熱を肌で感じた」と振り返る。

 53年12月25日、運動は結実し、奄美は沖縄に先行して本土復帰する。

 この時、アメリカ政府は同時に沖縄の無期限保有を宣言して沖縄全島に拡がりつつあった復帰運動の沈静化を図っている(奥田博子著『沖縄の記憶 <支配>と<抵抗>の歴史』による)。この奄美諸島だけが復帰を果たしたことに対し、奄美の人たちの中には忸怩たる思いを抱いた人も多かったと推定できる。大津さんもそうしたお一人であった。

 大津は「奄美の兄弟島」と呼ばれる沖縄にも深く関わった。

 かつて奄美と沖縄は、同じ琉球王国に属した。終戦後の行政分離では、ともに米軍に統治された。当時、奄美の人たちは仕事を求め、数多く沖縄に渡った。その数は一時、三万人以上になったという。

 ところが、「奄美の本土復帰運動の終盤、『奄美は鹿児島』『沖縄とは別』という訴えが強まり、結果的に沖縄を見捨ててしまった」という。

 「自分たちだけ復帰して、のうのうとしているのはおかしいと思っていた」。

 67年、地元紙や労組、各政党、沖縄県人会などによる超党派の団体「沖縄返還奄美郡民会議」ができると、大津は事務局長に就いた。

 奄美と沖縄を隔てる「国境」となった北緯27度線の海上では、双方から出航した船団による集会が繰り返し開かれ、大津も参加した。沖縄で選挙があれば、返還推進派の応援のためにパスポートを持って那覇に入り、選挙カーにも乗った。

 「『奄美は鹿児島』『沖縄とは別』という訴え」が強くなった根源には琉球王国の武力による奄美諸島併合の歴史記憶があるだろう。前回用いた『本音で語る沖縄史』は次のように述べている。

 奄美諸島に琉球の役人を派遣して王府の実質的支配下に置いたのは1466年であるが、その後も、王府に対する反乱が幾度も勃発し、そのたびに鎮圧するという「もぐらたたき」のような状態が続いていた。

 このことをもって、奄美は属領だから国内問題で対外戦争にはあたらないとする意見があるが、少しむしのいい考え方ではないか。

 奄美諸島は古来、琉球の属領ではなく、独自の文化圏を築いてきた隣国である。実際、いまでも自分たちを支配した首里王府を忌むべき存在として「那覇世(なはんゆ)」と表現する人がいるくらいだから、当時は領民の不平や不満がよほどたまっていたに違いない。その民衆の抗議行動を王府は武力をもって繰り返し、力尽くでねじ伏せてきたのである。

 歴史歪曲主義者のように歴史をねじ曲げてはいけない。歴史を直視してこそ初めてお互いを豊かにする共生が可能となる。ちなみに、大津さんの「面魂」記事には「思想信条超え島ぐるみ」「本土と沖縄の橋渡し役に」「自らのこととして考える姿勢 あらためて」という見出しが付されている。

<追記>
 ネット検索をしていて『鹿児島県奄美大島の歴史と文化』という記事に出会いました。筆者はこの記事について、「私は奄美5島のうち4島で2年以上生活体験(直接経験)をした者である。第3者から又聞きした間接体験を書こうとしているのではない。」と書いている。いくつか疑問点もありますが、信頼の置ける詳しく分かり易い記事です。紹介したくなりました。
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