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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(107)

終末論の時代(42)

「独占資本主義の終末」補充編(27)

羽仁提言「三つの原則」の検討(25)


原則3:「発展途上国との共生」(8)

日本の対アフリカ援助の問題点(1)

 「TICAD」と略称されている国際会議がある。日本政府、国連機関(UNDP[国連開発計画]、OSSA[アフリカ担当事務総長特別顧問室])、世界銀行などの共催で、5年に1度開催されている「アフリカ開発会議(Tokyo International Conference on African Development)」である。「TICAD Ⅰ」は1993年に開かれている。

 「TICAD Ⅳ」(2008年7月7日~2008年7月9日)に向けて活動していた日本のアフリカ関連NGO27団体がアフリカのNGOとともに「政策提言」活動をすることを目指して、「TICAD Ⅳ・NGO ネットワーク」(略称TNnet)を結成した。(TNnetの活動の詳細については「TNnet活動報告書」で知ることが出来ます。)

 そのTNnet結成を主導しその事務局を務めたのは「TICAD市民社会フォーラム」(略称「TCSF」)というNGO法人である。TCSFは「TICAD Ⅳ」に向けて、アフリカの人々へ届く支援の実現を目指して、アフリカと日本の市民の手によって2004年6月に結成されたNGOである。これからお世話になる<参考書2>はTCSFが出版した「アフリカ政策市民白書」(第1号~第3号 2005年~2007年)を一冊にとりまとめた本であり、著者の石田洋子さんはそのNGOの副代表を務められていた方だ。なお、TCSFは2009年3月に活動を終了している。

 さて、「TNnet活動報告書」によると、TNnetが結成された経緯は、次のようである。
 「TICAD Ⅲ」の直前に開催されたシンポジウム会場で、アフリカのNGOから日本のNGOに対して次のような指摘があったという。
「TICADや日本政府が問題だ問題だというけれど、こんなTICADを許してきたのは主催国の日本の市民社会の責任ではないのか? 私たちは、毎回会議が近づくと急に呼び出され、会議が終わるとその後何の音沙汰もないままに何年も過ぎ、また呼び出されることの繰り返しである。これでは、本当にアフリカの市民社会の声を日本に届けようとしているとは思えない。日本の市民社会は、アフリカに来て活動をすることよりも、自分の国の政府・社会を変えることからやってほしい。」
 この指摘を真摯に受け止めて結成されたのがTNnetである。

 石田さんはそれまでの日本政府の対アフリカ政策や日本市民のアフリカ理解を次のように批判している。

 日本政府の対アフリカ政策は、投資・貿易関連はほとんどなく、ODA関連が大部分を占める。しかし、後述するとおり、アフリカの開発ニーズは高いものの、日本の対アフリカ援助額は、アジア諸国に対する援助額に比して非常に低い。また、アフリカに進出する日本企業もまだ限られているのが現状である。そして、「アフリカのような遠いところで起こっている出来事は、日本には関係ない」とか、「アフリカの開発は、旧宗主国であっ たヨーロッパや、米国が担うべきだ」と考えている日本人は少なくない。しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 テロや紛争、感染症、環境など地球温暖化の問題、グローバライゼーションによる経済成長や格差の拡大、石油などの資源の問題等、これからは、日本だけ、アジアだけではなく、地球規模での問題解決が求められる。また、同じ人間として、人道的な観点から、アフリカで苦労している人たちを理解し、支援していこうという考えをもつことは自然ではないだろうか。

 アフリカにおける貧困削減を実現するためには、日本国民もこれまでのようにアフリカや日本のODA事業に無関心ではいられない。アフリカの民衆と協力して、アフリカの貧困者に届く支援をすることの一翼を担うことが、日本国民にも求められる。ODAや非政府組織(NGO)による活動に注目して、参加し、現状を知る。そして、貴重な税金を使って行われるODAの便益が、アフリカの貧困者にまで届いているかどうか、ODAを監視して、成果を知り、失敗やその原因を知り、改善を求めていくことも必要である。

 そこには無駄な時間や、無駄な資金を費やしている余裕はない。このままでは、日本のODAは、日本国民からもアフリカからも見捨てられてしまう。あるいは、日本自体もアフリカから見捨てられてしまうかもしれない。

 モヨさんは援助に代わる第1の資金源として「貿易・外国直接投資」を挙げていたが、「投資・貿易関連はほとんどなく」と嘆いているように、石田さんもそうした政策が必要なことは十分承知している事だろう。しかし石田さんは、ODAを止めるのではなく、その在り方を改善する方向の提言を行なっている。その提言は最終章(第11章 提言)でまとめられている。それを読むことにする。

 まず、提言の基本理念を次のように述べている。

 今、アフリカ諸国はいくつかの重要な選択肢に直面している。つまり、腐敗・人権侵害と格差を伴う成長か、民主的で安全で平等な成長か、ローカルまたはグローバルな環境面での持続性か、などという選択肢である。私たちは、アフリカ諸国がそのいずれの道を進むことを支援すべきであろうか。TICAD市民社会フォーラム(TCSF)では、アフリカの平和と貧困解消に寄与し、環境面での持続性も考慮した、民主的で平等な成長を支援したいと考える。成長の果実がごく一部ではなく、圧倒的多数の民衆の手に届くような、また、民衆がアフリカの主人公となれるような発展を心から望み、活動を行っている。

 日本として、日本国民として、そして日本の市民社会として、アフリカ諸国やアジアの国々、国際社会と、どのような協力ができるのか。今話し合われ、行動へと踏み出すべきだと考える。第4回アフリカ開発会議は、このためにまさに最適なタイミングで実施される。後悔することのないよう、この機会を生かしていくことが責務であると信じ、日本の対アフリカ政策と第4回会議の開催について、以下を提言する。これらの提言は、アフリカ開発への支援は国益のためではなく、貧困や飢餓から脱却するために苦しみ、闘っている人々を、同じ人間として支援するという、人間の根源にかかわる思いから行われるものであるという、TICAD市民社会フォーラムの信念に基づくものである。

 ODAに対しては三つの提言、TICADに対しては二つの提言を行なっている。長いので、今回はODAに対する提言を紹介して、TICADに対する提言は次回に紹介する。

提言1
アフリカ民衆への支援をODAの柱に!


 困難な環境の下で貧困と闘う世界の人々に敬意を表すとともに、ODAは、世界から貧困をなくすために使うべきだと主張する。貧困者への支援は、日本国憲法の国民の誓いにも書かれているからである。[憲法前文ですね。]

 また、後発開発途上国人口の約60%が暮らし、1日Iドル未満で生活する人々の割合が41%と世界で最も多いアフリカに、ODAを優先的に配分することを求める。アフリ力は、人々の暮らしが最も厳しく、MDGs[Millennium Development Goals ミレニアム開発目標]の達成が困難視されている唯一の大陸である。MDGsを2015年に達成できるよう、アフリカ民衆の闘いを支援する上で、国際社会、特に経済規模が世界で上位にある日本が、アフリカヘ向けた開発協力の質を改善し、また金額を大きく増やしていく必要があると考える。

 ODAの目的は本来、OECD/DAC[経済協力開発機構/開発援助委員会]によって「相手国の経済発展と福祉の向上」と定められている。しかし、2007年に入って発表された自民党や経団連の外交関連提言では、「ODAは国益実現のための戦略的ツール」との認識が前面に出ており、アフリカの貧困者への連帯や想いがほとんど感じられない。

 こうした主張は国際的に認められないだけでなく、これでは日本のODAは狭い自国利益のために行う身勝手な援助としか理解されないであろう。

提言2
アフリカ開発のオーナーシップをアフリカに!


 アフリカのオーナーシップを前進させていることは肯定的な変化である。こうした改革は、援助の問題の半分が援助側にあることを認めている。オーナーシップ、つまりアフリカに決定を委ねることによって援助は改善できることが、ようやく認識されてきたといえよう。援助する側が、一方的に資金配分を決めたり、好みの事業を援助したり、援助機関・国別に異なる手続きを押し付けることの弊害は、いまや広く知られるようになった。

 改革の流れのなかで、特に重要な意味をもつのはパリ宣言[2005年3月に採択]である。パリ宣言の根幹は、受益国側のオーナーシップを認め、援助改革が必要なことを認めただけでなく、援助側に指標と日程を定めて改革を迫っているところにある。

 日本政府がパリ宣言作成に果たした役割を評価するとともに、これを誠実に履行することを強く求める。また、中国等の新興ドナー国も、アフリカ向けの援助を行う上で、このパリ宣言に沿った援助を行っていくことが重要になっている。

 アフリカに向けたODAは、パリ宣言を尊重した援助になること、さらに、日本および国際社会がパリ宣言を乗り越えて進むことを求める。

 パリ宣言は、開発の主体をアフリカの政府とみなしている。しかし、開発の真の主体はアフリカの民衆である。民衆の自立的な発展を容易にすることがODAの目的であり、ODAによる産業用のインフラ建設や、政府の強化はそのための手段にすぎないことを忘れてはならない。

提言3
アフリカ民衆を、アフリカ開発の主役に!


 アマルティア・セン[インドの経済学者。アジア初のノーベル経済学賞受賞者]が指摘するように、貧困からの解放とは、アフリカの人々が自らの運命の主人公となることだと考える。所得は暮らしの重要な要素であるが、貧困には所得貧困から非所得貧困まであり、多面である。アフリカの人々が運命の主人公となるためには、日常的な生活やその経済活動においてだけでなく、外部との協力においても、その舵はアフリカの人々が握るべきである。

 アフリカの民衆を信頼し、協力の方法と執行・管理を共に考え、彼らに決定権を委ねることによってこそ、支援は貧困者の自立に役立つはずだ。アフリカから遠く離れた私たちが、アフリカの草の根の人々が必要とすることを知っているとうぬぼれたり、彼らがすべきことを指図したり、民衆への政府の支配力を強化する援助を増長するべきではない。

 私たちが主張するのは、日本が設計した事業に貧困者の参加を求めるのとは異なる。ODA全体の配分、モダリティ[事態に対する話し手の判断や認識]、事業設計に至るまで、アフリカの政府、市民社会、民衆に決定権を委ねることである。この実現のためには、政府以上に民衆と市民社会の能力強化が必要であり、ODAの大半を民衆と市民社会が直接利益を受けるものへと転換することが必要とされる。私たちは、アフリカ民衆にアフリカ開発の主役の座を戻すために、民衆や市民社会組織の能力強化、民衆の生活自立化支援(マイクロクレジット[貧困者への小額の融資]等)の強化が不可欠と考える。そして、市民社会が自らのガバナンス[統治]やアカウンタビリティ[責任、責務]の強化に尽力することも重要と考える。

 市民社会の能力強化とネットワーク構築へ向けて、TICAD市民社会フォーラムでは「アフリカパートナーシップ基金」の創設を提案している。「アフリカパートナーシップ基金」とは、アフリカが市民社会と創り出す新しい国際協力のガバナンスの試みである。この基金の運用は、政府と市民社会の平等なパートナーシップに基づいている。アフリカとドナー双方の政府は開発実施者の立場で、また双方の市民社会は貧困者を代表する立場で運営に参加する。

 アフリカ全体のレベルでは、アフリカ諸国と市民社会の連合が資金の地域配分を協議する。国別の運営会議では、政府・市民社会が資金の配分、支出制度、モニタリング[調査・分析すること。監視すること]について協議する。基金は広く国際社会に開かれたもので、他の援助国・機関の参加も自由である。基金の試みは細心の評価を経て、既存の援助モダリティと比較されなければならない。この試みの教訓は広くODA改革に生かされるべきであり、高い成果が上がるのであれば、日本のODAを漸次基金に移行することを提案する。

 このような提言が実行されれば、ODAも極めて有効な援助になるだろう。しかし、未だに「成長の果実がごく一部」に留まり、「圧倒的多数の民衆の手に」届かず、「民衆がアフリカの主人公となれるような発展」とは無縁の負の援助が行なわれている国もあるようだ。本日(11月28日)の東京新聞朝刊にアフリカ歴訪中のローマ法王フランシスコの動向を伝える記事があった。27日ケニアの首都ナイロビを訪れた法王は貧民層の置かれている現状を知って、激しい怒りを示したという。そのことを記事は次のように伝えている。

 清潔な飲み水や電気がない都市周辺部に貧困層が追いやられている状況について「恐ろしく正義に反する」「新しい植民地支配の形」と語り、貧富の格差に激しい怒りを示した。

 水道などの公共サービスや教育施設が整備されず、治安も悪いスラムの現状を訴える住民の声に耳を傾け「少数の人々が富と権力に執着して自分本位に浪費する一方、大多数の人々が不潔で荒廃した周辺部に住むことを余儀なくされている」と指摘した。

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