2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(99)

終末論の時代(35)

「独占資本主義の終末」補充編(19)

羽仁提言「三つの原則」の検討(18)


原則2:「社会主義」(16)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。

 「ちんじゅのもり」は一般には「鎮守の杜」と表記されているが、ここでは広井さんの表記「鎮守の森」に従うことにする。

 さて、鎮守の森を取り上げている一節は「自然エネルギーと鎮守の森 ― コミュニティで循環する経済へ」という表題が付されている。まず、「自然エネルギー」の自給率の現状を見てみよう。

 原発や今後のエネルギー政策をめぐる展開はなお混迷が続いているが、次のような興味深い事実がある。日本全体でのエネルギー自給率は4%台に過ぎないが、都道府県別に見ると10%を超えているところが14あり、ベスト5は
①大分県(26.9%)、
②秋田県(29.7%)、
③富山県(17.6%)、
④長野県(15.4%)、
⑤鹿児島県(14.7%)
となっている(2014年)。
 これは環境政策が専門の倉阪秀史千葉大学教授が進めている「永続地帯」研究の調査結果であり、大分県が群を抜いて高いのは、別府温泉などの存在からわかるように地熱発電が大きいことによる。富山県や長野県などは山がちな風土を背景にして水力発電が大きいことがエネルギー自給率が高い要因である。もっぱら、"自然資源に乏しい"と言われてきた日本だが、意外にもこうした自然エネルギーに関しては一定のポテンシャルを持っているのだ。

 ちなみにドイツではエネルギーの地域自給を目指す「自然エネルギー100%地域」プロジェクトが進められており、2012年現在でそうした自然エネルギー100%地域は74で、ドイツの面積全体の28.6%、人口では2000万人(24.2%)に及んでおり、なお急速に拡人中である(環境エネルギー政策研究所資料)。

 こうした自然エネルギーが鎮守の森とつながっていく論理は次のようである。

 ところで自然エネルギー拠点の整備というテーマは、狭い意味でのエネルギー政策という枠を超えて、ローカルな地域コミュニティの再生という視点が不可欠だろう。つまり先ほどの「コミュニティ経済」とまさに重なるが、自然エネルギーを軸に、ヒト・モノ・カネが地域内で循環し、そこに雇用やコミュニティ的なつながりが生まれるような仕組みづくりが課題となる。このような視点を含めて私が考えるようになったのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」だ。

 最初に知った時に驚いたのだが、全国の神社の数は約8万数千で(お寺もほぼ同数)、コンビニの約5万よりずっと多く、また中学校の数が1万であるのを踏まえると中学校区当たり平均8つずつという大変な数にのぼる。明治の初めには神社の数は20万近くにのぼっており、おそらくこれは当時の"自然村"つまり地域コミュニティの数にほぼ対応していたと思われる。これらの場所は狭い意味での宗教施設ということを超えて、「市」が聞かれたり「祭り」が行われたりするなど、ローカルな地域コミュニティの中心としての役割を担っていた。

 こうした点を踏まえ、自然エネルギー拠点の自律分散的な整備と、元来地域コミュニティの拠点であった鎮守の森を結びつけ、福祉や世代間交流などの視点も総合化して進めていくというのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」の基本的な考えである。

 それは自然エネルギーを通じたエネルギー自治という現代的課題と、自然信仰とコミュニティが一体となった伝統文化を融合させたものとして、日本が世界に対し発信できるビジョンにもなる可能性があると思われる。

 以上の話は半ば夢物語のように響くかもしれないが、既に関連の試みは進んでいる。たとえば岐阜県と福井県の県境にある石徹白(いとしろ)地区という場所で、若い世代を中心に地域再生機構というNPOが小水力発電を通じた地域再生事業を進めているが、そこはかつて白山信仰の拠点として栄えた場所でもある。

 前著(『人口減少社会という希望』朝日選書)にも記したことだが、最初にコンタクトをとらせていただいた時、同機構の副理事長の平野彰秀さん(東京の外資系コンサルティング会社に勤めた後に地元の岐阜にUターン)からいただいた次のようなメッセージは、私にって非常に印象深いものだった。平野さんは、「石徹白地区は白山信仰の拠点となる集落であり、小水力発電を見に来ていただく方には必ず神社にお参りいただいています」、そして「自然エネルギーは、自然の力をお借りしてエネルギーを作り出すという考え方」であり、「地域で自然エネルギーに取り組むということは、地域の自治やコミュニティの力を取り戻すことであると、私どもは考えております」と述べていたのである。

 こうした例も参考にしながら、ささやかながら現在、岐阜、熊本、長野、宮崎等の地域の方々や関連機関と連携を取りつつ「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」のプロジェクトを進めている。

 もちろん地域コミュニティの拠点となる場所は鎮守の森だけではない。2007年に全国の 自治体に対して私が行ったアンケート調査では、「これからの時代におけるコミュニティの中心として特に重要な場所」として挙げられていたのは、多い順に
①学校、
②福祉・医療関連施設、
③自然関係(公園等)、
④商店街、
⑤神社・お寺
となっていた(広井著『コミュニティを問いなおす』ちくま新書参照)

 こうした場所を自然エネルギー等とうまく結びつけ、コミュニティで循環する経済を築いていくことが、ポスト成長時代の日本における中心的な課題になるだろう。

 なおこの場合、経済システム全体のあり方としては、次のような「ローカルからグローバルヘの全体構造」を構想し実現していくべきものと考えられる。

すなわち、
(1)
 物質的生産、特に食料生産およびケア(対人サービス)はできる限りローカルな地域単位で ― ローカル~ナショナル
(2)
 エ業製品やエネルギーについてはより広範囲の地域単位で ― ナショナル~リージョナル[regional 地方、市~県レベルか](ただし自然エネルギーについてはできる限りローカルに)
(3)
 情報の生産、消費ないし流通についてはもっとも広範囲に ― グローバル
(4)
 時間の消費(コミュニティや自然等に関わる志向ないし市場経済を超える領域)はローカルに
という方向だ(広井著『グローバル定常型社会』、『コミュニティを問いなおす』)
 これは、本書の中で述べてきた「物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費→時間の消費」という経済構造および科学の基本コンセプトの進化とも対応するものである。

 続けて、広井さんは、コミュニティ経済を考えていくときのもう一つの重要な論点として、「地域の自立」という問題を取り上げている。

 通常、地域の自立というのは経済的ないし財政的な意味で使われ、たとえば財政破綻した夕張は自立しておらず、経済的に豊かな東京はもっとも「自立」しているという具合に語られる。

 しかし本当にそうだろうか。環境政策などの分野で「マテリアル・フロー[material flow]」、つまり食料やエネルギーの物質循環を指す言葉があるが、そうした視点から見れば、むしろ「自立」しているのは地方や農村部であり、逆に東京のような大都市は、それらの地域(あるいは海外に)食料やエネルギーを大幅に「依存」するかたちで初めて成り立っている。

 福島や新潟という、首都圏から遠く離れた場所に東京電力の原発があるというのはこうしたことの象徴であり、3・11が明るみに出したのは、高度成長期以降の日本が忘れかけていた以上のような「都市―農村」の関係性だった。しかもここで重要なのは、東京のような大都市圏は、食料やエネルギーを相当に安い価格で地方や農村から調達しており、そこにはある種の「不等価交換」のメカニズムが働いている。これはいわゆる先進国と途上国の関係と構造的に共通するものであり― なぜそうした「不等価交換」が生じるかについては「時間」というテーマとあわせて終章で考えたい ―、したがって2012年にスタートした再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度や、様々な農業支援、地域の若者支援のような「再分配」の仕組みを導入してこそ、都市と農村は「持続可能な相互依存」の関係を実現できるのである。

 残念ながら、「2012年にスタートした」はずの政策は全て「持続可能な相互依存」とはほど遠いアベコベ政策に豹変してしまっている。

 さて、「鎮守の森」についてもう一つ、終章の冒頭に興味深い話題が書かれているので、それを紹介しておこう。

 東日本大震災での津波において、津波の到達した境界線上に多くの神社が立っていたという事実がある。この話題は2011年8月に放映されたTBSの「報道特集」でも取り上げられ、また他にも様々な場面で言及されてきたので、聞いたことのある人も多いかもしれない。

 上記番組の取材に関わり、もともと大学院で海洋環境を研究しており、後に共著で『神社は警告する』という本をまとめた一人である熊谷航は、福島県南相馬市から新地町にかけて、津波の影響を受けた海側にある神社84社を訪れ被災状況を確認した。これら84社は"村社"と呼ばれる、地域の人々により信仰、運営されてきた小さな祠だったが、17社が流出・全壊の被害を受けたものの、その他67社はすべて無事であることがわかったのである。

 また、概して古い神社ほど津波の被害からまぬかれた例が多く、『延喜式』と呼ばれる文書(927年)に記載されている神社を「式内社」と呼ぶが、福島、宮城、岩手の式内社100のうち全壊・半壊しだのは三社のみであった。平安時代にいわゆる貞観大津波が起きたのが869年ということを考えると、貞観津波がその時代の神社の立地に影響したと見るのは不合理ではないと思われる。

 神社の立地と津波の浸水域がかなり重なっているという点やその背景については、さらに立ち入った検証が必要だが、これらの神社に関して、当時の人々が"津波はここまで来るおそれが現にあるので、何かあった時はこの場所に避難せよ"、あるいは"ここより海側は危険だ"といったメッセージを後代の者に託しながら建てたというのは十分ありうることだろう。

 このように見ていくと、若干誇張して言うならば、地震研究など現代の科学が行う地震予知や警告に従うよりは、「何かあったらできるだけ近くの神社仏閣に行け」という古くからの素朴な戒めを遵守したほうが、津波の被害は少なかった可能性があるとも言える。

 ちなみに、上記の熊谷はまとめの文章で次のように述べている。
「報道等でも周知のとおり、このような規模の津波災害は数百~千年周期で起こっていたことが科学研究からわかってきている。では、千年後へ伝えられる防災とは、なにか? 今回の津波災害を経て、防災体制や防災教育がみなおされはじめているが、はたしてそれは千年後の社会にまで生きつづけることができるのだろうか。私たちの周囲を見渡してみてほしい。千年前から受け継いできたものを見つけることなど容易ではない」
「今回の調査を通じて、地域の神社に関しては私たちが忘れてしまっている、知らないことがたくさんあるということを痛感した。千年前からある地域の神社に思いを馳せ、さらに千年後の地域社会になにを伝えられるのかについて考えることは、地域づくりの根幹だと思う」(同、傍点引用者[太文字にしました])。

 さて、「資本主義の終末」を主題にした出版物4冊を参考書として、羽仁さんが提言した「三つの原則」のうちの第二の原則「社会主義」に関連した部分に絞って紹介してきたので、どの参考書についてもつまみ食いの感がいなめない。どの参考書も充実した著作であり、触発された論考がたくさんある。機会があったらもう一度読み直したいと思っている。

 今回も思い掛けず、ずいぶん長くなってしまったが、これで「第二の原則」の検討を終わります。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/2018-fd49dabc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック