2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(97)

終末論の時代(34)

「独占資本主義の終末」補充編(18)

羽仁提言「三つの原則」の検討(17)


原則2:「社会主義」(15)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。


コミュニティというセーフティネットの再活性化。


 この第三の柱では<参考書1>~<参考書3>にはなかった重要な論点がある。それは「産業構造の第三次産業化」に着目した議論である。

 「産業構造の第三次産業化」は資本主義の終末の一因である資源の枯渇により引き起こされた当然の結果である。広井さんはこれを積極的に用いるべきだと言う。

 かつての時代は"人手が足りず、自然資源が十分ある"という状況だったので「労働生産性」(=少ない人手で多くの生産を上げる)が重要だった。しかし現在は全く逆に、むしろ"人手が余り(=慢性的な失業)、自然資源が足りない"という状況になっている。したがって、そこでは「環境効率性(資源生産性)」、つまり人はむしろ積極的に使い、逆に自然資源の消費や環境負荷を抑えるという方向が重要で、生産性の概念をこうした方向に転換していくことが課題となる。

(中略)

 ただし重要な点だが、こうした方向への転換は、市場経済に委ねていれば自然に進んでいくものではなく、先ほどの北欧の福祉・教育などの政策や、ドイツのエコロジー税制改革などのように、それを促すための公共政策が不可欠となる。

 なぜなら、たとえば介護などの領域は、日本においてそれが概して低賃金であり離職者が絶えないことにも示されているように、市場に委ねるだけではその労働の価値が著しく低く評価され、維持できなくなるからだ(なぜそのように「低く評価」されるかという構造については終章において「時間」をめぐる考察とともに掘り下げたい)。したがって、そうした分野の価値を公的な財政で何らかの形で支えるような政策― たとえば介護や教育等の分野の公的財政での支援、自然エネルギーに関する価格支持政策など ―が特に重要となることを確認しておきたいと思う。

 ところで、広井さんは第三の柱を論じている第8章の表題を「コミュニティ経済」としているが、この「コミュニティ」がもう一つの重要な論点である。広井さんはコミュニティを
「互酬性ないし相互扶助を原理とするコミュニティ」
と説明してるが、「互酬性」や「相互扶助」は<参考書1>~<参考書3>でも重要な論点であった。また広井さんは
「工業化や情報化・金融化を中心とする拡大・成長の時代が"地域からの離陸"の時代だったとすれば、(コミュニティや自然を含む)"地域への着陸"という方向が今求められているのである。」
とも語っている。つまり、広井さんが言う「コミュニティ」は「コンミューン型の共同体」あるいは「協同組合(アソシエーション)型の共同体」と同じ概念だと考えてよいだろう。 このことは議論が進むに従ってよりハッキリしてくるはずだ。

 また、<参考書2>・<参考書3>ではもっぱら農業の復活(活性化)に焦点を当てていたが、広井さんの構想は農業にとどまらない。広井さんはコミュニティ経済について、イギリスのNEF(New Ecinomics Foundation)が提唱している「地域内乗数効果(localmultiplier effect)」という概念を紹介しながら、次のように説明している。

 これは経済がほぼもっぱら国(ナショナル)レベルで考えられてきたケインズ政策的な発想への批判ないし反省を含んだ提案で、「地域再生または地域経済の活性化=その地域において資金が多く循環していること」ととらえ、

「濯漑(irrigation,資金が当該地域の隅々にまで循環することによる経済効果が発揮されること)

「漏れ口を塞ぐ(plugging the leaks,資金が外に出ていかず内部で循環することによってその機能が十分に発揮されること)
といった独自のコンセプトを導入して、地域内部で循環する経済のありようやその指標を提言しているものである。

 私見では、こうしたコミュニティ経済の例としては、
(a)
 福祉商店街ないしコミュニティ商店街、
(b)
 自然エネルギー・環境関連(後述の「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」を含む)
(c)
 農業関連、
(d)
 地場産業ないし伝統工芸関連、
(e)
 福祉ないし「ケア」関連
など種々のものが考えられる。これらのうち、地域内の経済循環ということがもっとも明確に表れやすいのは、後でふれる自然エネルギー関連のものだろう。

 一方、(e)の福祉ないし「ケア」に関連する最近の興味深い事例の一つとして、千葉県香取市の「恋する豚研究所」の試みを紹介してみたい。

 「恋する豚研究所」とは、養豚場で豚を飼育するとともに、その加工や流通、販売なども一括して行い、かつその加工などの作業を知的障害者が行うという福祉的な機能ももった事業を行っているところで、"福祉(ケア)と農業とアート"を組み合わせた試みと呼べるものである。「アート」という点は、流通や販売にあたってクリエイターの人々が積極的に参加し、デザイン性ないし付加価値の高い商品を心がけていることを指している。また、福祉的な性格をもっていることは商品の流通や販売においては前面に出しておらず、あくまでその質とおいしさで勝負している。

 興味深いのは、この事業を中心になって進めている飯田大輔さん(36歳)が、この事業の全体を「ケアの六次産業化」というコンセプトで把握しているという点だ。農業の六次産業化ということはよく言われるわけだが、この事業の場合、「ケア」を軸にして、生産・加工・流通・販売をつなぎ、それを事業化しているのである。しかも養豚のみならず、ハムなどを作る時に使う塩なども地元産にこだわっており(ちなみに千葉県は豚の飼養頭数が全国三位)、経済の地域内循環ということを意識した事業にもなっている。

 以上は一例だが、産業構造が大きく変わる中、様々な事業を新しい形で結びつけ、ローカルな経済循環を実現していくような試みが今後一層重要になっていくと思われる。

 私は「六次産業化」という言葉に初めて出会った。今村奈良臣(農業経済学者)さんが提唱した造語だという。その意味は次のようである(ウィキペディアはら引用)。

 農業、水産業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。だが、六次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通、販売(第三次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというものである。

六次産業という名称は、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語であったが、現在は、第一次産業である農業が衰退しては成り立たないこと、各産業の単なる寄せ集め(足し算)ではなく、有機的・総合的結合を図るとして掛け算であると今村が再提唱している。

 さて、<参考書2>で中谷さんは農業の振興の要として「里山」に着目をしていた(『羽仁提言「三つの原則」の検討(8)』を参照して下さい)。一方、先の引用文中に「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」とあるように、広井さんは「鎮守の森」に着目している。実に興味深い着眼だと思う。次回はこの「鎮守の森」をめぐる論考を読んでいくことにする。
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