2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(96)

終末論の時代(33)

「独占資本主義の終末」補充編(17)

羽仁提言「三つの原則」の検討(16)


原則2:「社会主義」(14)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。


「ストックの社会保障」あるいは資産の再分配(土地・住宅、金融資産等)


 広井さんはこの論題では「フロー」と「ストック」という用語を核に議論を進めている。「ストック stock」は英和辞書には意味として「ストック、蓄え、貯蔵・・・」と「ストック」を初めに挙げているほどほとんど日本語化している説明不要な言葉だが、ここでは勿論「資産のストック」という意味だ。「フロー flow」については次のように解すればよいだろう。広井さんは「フロー」初出のところで『GDPつまり「フロー」』と注釈している。つまり「フロー」は経済学用語として「一定期間内に流動する貨幣・商品などの量」といった意味になる。

 さて、資本主義の終末を迎えつつある現在、「格差」や「分配」のあり方が大きな課題となっているが、その格差について、広井さんは次のような指摘をしている。

 日本で格差をめぐるテーマが議論される場合、それは概して「所得」つまりフローの格差に関するものである。しかしながら、実はそうした格差がより大きいのは他でもなく「ストック」あるいは資産(金融資産や土地・住宅)に関する格差であり、実際、格差の度合いを示すいわゆるジニ係数[再分配所得の不平等度]を見ると、年間収入(二人以上の一般世帯)のジニ係数が0.31であるのに対し、貯蓄におけるそれは0.571、住宅・宅地資産額におけるそれは0.579となっており(全国消費実態調査 2009年)、所得よりむしろ金融資産や土地等の格差のほうがずっと大きいのである。

 思えばストックないし資産はフローないし所得が"累積"していった結果であるので、以上の点はある意味で十分想像できる事態であり、またこの場合の"累積"には先ほど論じた親から子への相続を通じた世代的な継承も含まれる。そして、こうした「ストック」ないし資産をめぐる領域は、先ほど論じた「相続」と同様に近代資本主義または福祉国家にとってのいわば"盲点"であって、もっとも私的な領域として残され、公的な介入の外に置かれていた。

 実際、これまでの福祉国家あるいは社会保障は、「フロー」の再分配(所得再分配)を基本的な任務としてきたのである。年金制度もそうであり、医療や福祉サービス、失業保険、生活保護なども「フロー」に関するものである。なお例外的に、「公的住宅」はストックに関する社会保障だが、日本ではこの領域はヨーロッパに比べてきわめて未発達で、住宅全体に占める公的住宅の割合は低く、加えて「小泉改革」以降そうした公的住宅はさらに削減されてきた[この話題については『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で詳しく論じているそうです]

 しかしながら、上記のように現在のような成熟化ないし定常化社会においては、フローの増加がほとんど見られなくなる分、こうした「ストック」あるいは資産の分配・再分配ということが社会全体にとっての課題となり、いわば「ストックの社会保障」という新たな発想や対応が重要になってくる。

 そしてこれは、まさにここで論じている、資本主義というシステムの根幹にさかのぼった社会化というテーマと重なることになる。なぜなら、ストックないし資産を「私」の領域に委ねるか、それに一定の公的な規制や公的所有という対応を導入するかが、資本主義と社会主義のもっとも基本的な分岐点と考えられてきたからだ。

 「ストック」問題の最も顕著な例は土地所有であると広井さんは指摘している。そして、この問題について、福祉国家の先端を行く北欧の状況を紹介している。

 土地の大半が私的所有である日本やアメリカに対し、ヨーロッパの場合は土地における公的所有の割合が相対的に大きく、特に北欧などは、たとえばヘルシンキ市では土地の65%が市有地(国有地も含めると75%)であったり、ストックホルム市では土地の70%が市有地であったりするなど、実は「土地公有」が一般的であり、ストックないし資産についてもかなりの「社会化」が行われているのだ。

 いずれにしても、今後は以上のような認識を踏まえて、資産の再分配あるいは「ストックの社会保障」という観点からの対応が重要であり、具体的には、住宅保障の強化や土地所有のあり方の再吟味(公有地ないし「コモンズ(共有地)」の強化や積極的活用)、そして金融資産・土地課税の強化とそれによるストックの再分配や社会保障への充当が新たな課題になる。

 話題を広げれば、以上のうち土地・住宅の公有・共有については近年様々な形で展開している"シェア(ないしシェア経済)"をめぐる議論ともつながるだろう。

 次いで広井さんは、「ストック」の格差問題についてのピケティの議論を紹介したうえで、次のようにまとめている。

 (ストックの)増加局面の背景についてピケティは、「相対的な低成長レジームヘの回帰」によるものとし、「経済成長の速度が弱まる時代においては、自ずと過去の資産が不均等に大きな重要性をもつに至る」と述べている。そしてこうした状況では、「起業家は金利生活者(rentier フランス語で「不労所得生活者」という意味でもある)に転身するのが不可避となる」と彼は論じる。

 起業家がいなくなるのは資本主義の終焉ないし自殺行為といえるだろう。それを回避するために、「資産の再分配」という、ここで論じている「資本主義のもっとも根幹にさかのぼった社会化」が要請される。つまり資本主義的な理念を存続させるために、社会主義的な対応が必要になるという、このパラドキシカルな構造は、先ほどの「人生前半の社会保障」と機会の平等をめぐる議論と同質のものだ。

 あるいは、ここでもう一度、第1章で取り上げたブローデルの「資本主義と市場経済は対立する」、「資本主義は「反-市場」である」という議論を思い出すならば、ピケティの論を含め、ここで述べている方向は、いわば"資本主義(の抑圧)から市場経済あるいは個人の自由を守る"ことと言えるかもしれない。

 第3章の終わりで、経済学者の西部忠が、サブプライム・ローンのような商品を売りまくった金融機関を「システミック・リスク」の名のもとに救済するような現在の資本主義のあり方を(「自由競争」や「自己責任」原則自体が否定されているという意味で)「資本主義の自己矛盾」と論じている議論にふれた。これらはいずれもブローデル的な「資本主義と市場経済の対立」の異なる局面ではないだろうか。

 さて、「ストックの再分配」の最も重要な課題は税制問題である。税制の主要を担ってきた税の歴史を端的に示す図を転載しよう。
税制の変遷
 ポスト資本主義社会では、「ストック」への課税のほかにもう一つ、「環境・資源」問題への対応に応じた税(環境税 自然ストックとして重要な土地課税も含む)も大きな論点になる。

 広井さんは、ロバートソンの考察をとりあげながら、次のようにまとめている。

エコロジー的な流れに属するイギリスの経済思想家ロバートソンは、「共有資源(common resouces)への課税」という考えのもと、土地やエネルギー等への課税の重要性を論じている。彼は「人間が加えた価値」よりも「人間が引き出した価値」に対して課税するという興味深い議論を行っているが、そこにあるのは、"富の源泉"は人間の労働や活動よりもまず自然そのものであるという、根本的な認識のシフトだ。

 マルクス的な労働価値説とは異なる、いわば「自然価値説」とも呼べるような世界観と言えるだろう。つまり自然資源は本来人類の共有の財産であるから、それを使って利益を得ている者は、いわばその"使用料"を「税」として払うべきといった理解である。労働や生産への課税ではなく、人間が自然を使うことへの課税という発想。これは本章で述べている「資本主義・社会主義・エコロジーのクロス・オーバー」というテーマ― 資本主義の社会化が進み、しかもそれが資源・環境制約の顕在化と需要の成熟・飽和という状況を背景に展開するという構造 ―とつながる、税そして"富の源泉"についての究極的な理解の仕方であるだろう。

 以上の概要をまとめたのが図7.4であり、こうした把握は、ここで論じてきた資本主義の進化に関する視点― 資本主義というシステムが、その修正をシステムの「周辺」部分から「根幹」部分に向けて順次行ってきたという議論 ―とも呼応している。

 以上は「機会の平等」「ストックの再配分」という終末期を迎えつつある資本主義経済の矛盾に対処する議論であったが、人類の生存の基盤である社会そのものをどう構想すべきかという課題が残されている。つまり、「新たな社会的セーフティネットの創出」のための第三の柱

コミュニティというセーフティネットの再活性化。

である。次回からこの問題に対する議論を読んでいくことする。
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