2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(94)

終末論の時代(31)

「独占資本主義の終末」補充編(15)

羽仁提言「三つの原則」の検討(14)


原則2:「社会主義」(12)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。

 今回から、広井さんが"過剰による貧困"に対処するための柱としてあげていた
(2)再分配の強化・再編 ―富の分配に関して
を取り上げよう。

 このテーマ(2)は「社会的セーフネット」というシステムの構築という課題と言い換えることが出来るだろう。広井さんはイギリスで制定された「救貧法(1601年)」から現在までの資本主義社会におけるセーフネットシステムの歴史を俯瞰している。広井さんはその要約を端的に示す次の図を掲載しているしている。
セーフティネット
 この図は資本主義の進化について、次のような大きな方向を示している。つまり、「資本主義は進化のプロセスの中で、その修正あるいは社会化をシステムの末端部分から根幹部分に向かう形で行ってきた」。そして、広井さんはその修正の中身を次のように要約している。

 その「修正(対応)」の中身は、政府ないし公的部門による市場への介入の拡大であるから、それは言い換えれば資本主義がそのシステムを順次"社会化"してきた― あるいはシステムの中に"社会主義的な要素"を導入してきた ―ステップでもあったのである。

 そして、第二次大戦後に大きく成長した(部分的に社会化された)資本主義が、70年代頃から徐々に低成長に入り、第2章で見たような金融化・情報化とグローバル化による一定の再興をへつつも、2008年の金融危機に至った。

 このように、広井さんは「社会主義」という概念を真っ正面に据えている。

 そして、広井さんは
「それでは、これから私たちが展望あるいは構想しうる(すべき)社会システムは、どのような性格のものとなるのだろうか。」
と、問いかけて続く一節を
「資本主義・社会主義・エコロジーの交差―システムの根幹における社会化とは」
と題してその論考を始めている。

 まず、広井さんは上の図が示すこれまでの大きな方向性を踏まえれば、
『今後展望されるのは、論理的には「システムのもっとも根幹(ないし中枢)にさかのぼった社会化」という性格のものになるだろう。』と言う。そしてそれは、上の図で言えば、「ピラミッドのいわば先端部分における社会化あるいは新たな社会的セーフティネットの創出」ということになると言い、特にそのための重要な柱として、次の三点を挙げている。


「人生前半の社会保障」等を通じた、人生における"共通のスタートライン"ないし「機会の平等」の保障の強化

「ストックの社会保障」あるいは資産の再分配(土地・住宅、金融資産等)

コミュニティというセーフティネットの再活性化。

(筆者注:このうち①と②は"社会化"という方向に関するもので、他方、③はそれとはやや性格が異なり、市場(私)と政府(政府)という二元論を超えた「共」的領域に関わるもので、また持続可能性やエコロジーという理念とつながる内容である。)

 この三つの論点を追っていこう。


「人生前半の社会保障」等を通じた、人生における"共通のスタートライン"ないし「機会の平等」の保障の強化


 "共通のスタートライン"という言葉から、私はすぐに「子供の貧困問題」が頭に浮かんだ。また、「人生前半の社会保障」からは、年金制度が現役世代の大きな負担によって成り立ているという問題が頭に浮かぶ。

 まず子供の貧困問題について。
 夏休みが終わる頃、貧困家庭の子供たちの体重が激減しているという報道に接した。夏休み中は給食がなく、家庭での食事が不十分だったせいだと言われている。

 昨年、厚生労働省が発表した「子供の(相対的)貧困率」によると、子供の貧困率は過去最悪の16.3%に上がり、6人に1人の約325万人が「貧困」に該当し、豊かな先進20ヵ国のうち、4番目の高さだという。

 この子供の貧困は学力にも大きな影響を及ぼしている。東京新聞の「【生活図鑑】貧困の連鎖(No.515) 親の収入、子の教育面・雇用に影響」(2014年10月1日)」から引用する。

 文部科学省の全国学力・学習状況調査(13年度)の分析(お茶の水女子大学)によると、親(世帯)の年収が上がるほど子どもの成績も上がる傾向にありました。

 小学6年生の正答率は、年収200万円未満の家庭の子は国語A(知識を問う問題)が53%、算数B(応用問題)が45.7%だったのに対し、1500万円以上の家庭の子はそれぞれ75.5%、71.5%と20ポイント以上の開きがありました。中学3年生でも同様の傾向でした。

 塾など学校外教育支出を見ると、年収200万円未満の家庭では支出なし(約3割)を含め、約半数が月額5000円未満でした。一方、1500万円以上の家庭では6割が3万円以上を支出していました。教育支出の差が影響したとも考えられます。

●所得格差生む悪循環
 世帯年収200万円未満は生活保護世帯であるケースも多いとみられます。保護世帯の高校進学率は90.8%と、一般世帯を含めた全国に比べ約8ポイント低くなっています。また、高校中退率は5.3%と全国の中退率1.5%に比べ高くなっていました。

 厚生労働省の国民生活基礎調査の特別集計によると、学歴別の貧困率は、小・中卒の貧困率が各年齢層で高くなっていました。女性は25%以上(4人に1人)の貧困率で、30歳代では40%を超えています。男性の貧困率も20%以上(5人に1人)でした。背景には、学歴による雇用形態の違いや賃金水準の格差があります。

 このほか、貧困による健康格差なども指摘されています。貧困が子の教育に影響し、さらにさまざまな面に悪影響を及ぼすとしたら、大きな問題です。

 年金制度については広井さんの論考を読むことにする。

 年金あるいは高齢者と一口に言っても、高齢者の間で相当な違いがあり、この点を見逃してはいけないという点である。端的に言えば、現在の日本の年金制度では、高齢者への給付において"「過剰」と「過小」の共存"という状況が生まれている。

 つまり一方では、高齢者のうち比較的高所得層が(高所得者であるがゆえにそれに応じて)相当な額の年金を受給しているかと思うと、他方では、国民年金ないし基礎年金は満額(40年加入)で約6万5千円(2015年度)だが、現実にはたとえば女性の平均受給額は4万円台で、それより低い層も多く存在し、実際65歳以上の女性の「(相対的)貧困率」は約2割で、単身者では52%に上るという事実がある(2009年の内開府集計)。

 このように、一方で「過剰」とも言うべき年金給付があり、他方で"本当に必要な層"に十分な年金給付がなされていないというのが日本の現状である(ちなみに日本の社会保障給付は2012年度で108.6兆円だが、うち年金給付は全体の約半分(49.7%)を占め54.0兆円にのぼる)。

 ではなぜこのような事態が生じるかというと、それは現在の日本の年金制度が、「報酬比例」と呼ばれる部分を多くもち(厚生年金の"一階"と呼ばれる部分)、この部分は制度の性格それ自体が「高い所得の者ほど高い年金をもらえる」という仕組みになっているからである。しかも日本の年金制度は実質的に賦課方式(高齢者への年金給付を現役世代の拠出する保険料で賄う)なので、その負担を現役世代に求める形になる。

 逆に、基礎年金は(基礎的な生活を保障するという)性格からすると本来は税によって賄うべきだが、それが実現しておらず(半分が保険料)、上記のように低所得層ほど十分な年金が支給されないという状況が生じることになる。

 全体として、日本の年金は「世代内」および「世代間」の双方において、ある意味で"逆進的"な、つまり「格差をむしろ増大させる」ような制度になってしまっている。

 こうした日本の状況を他の先進国と比べると問題点の核心が明らかになるだろう。広井さんは
「社会保障支出の全体の規模と、そのうち高齢者関係の支出(ここでは年金)の規模を国際比較した表」
を掲載して、次のように分析している。
社会保障支出

 注目すべきは、日本は社会保障全体の規模はこれらの国々の中でもつとも「小さい」部類に入るのに対し、高齢者関係支出(年金)の規模はもっとも大きいという点である。

 この点は、たとえば日本とデンマークを比べると顕著であり、社会保障全体の規模はデンマークが日本の1.5倍近くあるのに対し、高齢者関係支出(年金)は日本のほうがデンマークよりも大きくなっている。またデンマークに限らず、スウェーデン、フィンランドなどの北欧諸国は、社会保障全体の規模は日本よりずっと大きいが、意外にも年金の規模については日本よりも小さい。逆に言えば、これらの国々では、高齢者関係以外の社会保障(子ども関係、若者支援、雇用、住宅など)がきわめて手厚くなっているのである。

 皮肉なことに、表にも示されているように、日本と似た構造にあるのはギリシャやイタリアなどの南欧諸国であり、これらの国々は社会保障全体の規模は相対的に低いが、年金の規模は大きいという特徴がある。そしてギリシャの経済危機(2010年~[現在連日のように新聞で取り上げられている])の主要な背景の一つが年金問題にあったことは記憶に新しい。

 この表から分ることを一つ追加すると、アメリカが社会保証の規模が一番小さい。格差社会の最先端の国であることが分る。新自由主義が我が物顔に席巻している国である。それに一生懸命に追従しているのがアベコベデタラメ政権である。

 さて、広井さんは"逆進的"な日本の年金制度とデンマークの年金制度を対比して、次のように主張している。

 (日本の年金制度に比して)デンマークの場合、日本とは逆に年金制度はむしろ「基礎年金」が中心で(財源はすべて税)、その部分は比較的手厚くかつ平等で、逆に報酬比例部分はきわめて限定的である。そのため低所得者への保障はしっかりなされる一方、年金全体の給付規模は日本よりも小さいという、正反対の状況が生まれるのだ。

 私は、そもそも公的年金の基本的な役割は、高齢者に一定以上の生活を平等に保障するという点にあるべきと考える。だとすれば大きな方向性として、(デンマークがそうであるように)基礎年金を税によって手厚くし、逆に報酬比例部分はスリム化していくという改革を行っていくべきではないか。このことが、高齢者の間での「世代内公平」とともに、若い世代ないし現役世代との関係における「世代間公平」にも資すると考えられる。

 具体的に言えば、相続税のほか、(高所得高齢者の)報酬比例部分に関する年金課税を強化し、その税収を「人生前半の社会保障」にあてるといった政策を今後進めていくことを提案したい。

 こうした政策を通じ、上記のように年間50兆円を超え、さらに着実に増加している年金給付のうち、たとえば報酬比例部分に関する2、3兆円を若者や子ども関連の支援に再配分することで、大きな意義があると考えられるのである。

では、このような北欧諸国と日本との社会保障規模の違いは何に由来するのだろうか。国政を進める上での理念の違いにあることは論を俟たないが、その違いのポイントとなるのは、基本的な人間観あるいは社会観の違いであろう(次回に続く)。
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