2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(93)

終末論の時代(30)

「独占資本主義の終末」補充編(14)

羽仁提言「三つの原則」の検討(13)


原則2:「社会主義」(11)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。

 実は、「時間政策」に関する論考の続きとして、広井さんは「産業構造の第三次産業化」に関わる論考を続けている。それは「時間政策」ともつながり、「過剰の抑制」という課題とも関わる論点であるとして、広井さんは『「生産性」概念の再考』を提案しているが、その「再考」が「産業構造の第三次産業化」と密接につながっている。

 それは「労働生産性から環境効率性(ないし資源生産性)へ」の転換と呼ばれるもので、このように表現すると難しく響くが、その中身は以下のようにシンプルなものだ。

 すなわち、かつての時代は"人手が足りず、自然資源が十分ある"という状況だったので「労働生産性」(少ない人手で多くの生産を上げる)が重要だった。しかし現在は全く逆に、むしろ"人手が余り(慢性的な失業)、自然資源が足りない"という状況になっている。したがって、そこでは「環境効率性(資源生産性)」、つまり人はむしろ積極的に使い、逆に自然資源の消費や環境負荷を抑えるという方向が重要で、生産性の概念をこうした方向に転換していくことが課題となる。

 しかし、こうした転換は放っておいてはなかなか進まない。企業の動向をその方向に誘導する必要がある。広井さんはドイツで行なわれているそのための政策を紹介している。

 1990年代頃からヨーロッパにおいて「労働への課税から資源消費・環境負荷への課税へ」という政策が採られるようになった。この象徴的な例が、ドイツで1999年に行われた「エコロジー税制改革」と呼ばれる改革である。

 具体的には、環境税を導入するとともにその税収を年金にあて、そのぶん社会保険料を引き下げるという内容だった。さしあたってのねらいは、環境負荷を抑えつつ、社会保障の水準を維持し、かつ社会保険料を下げることで(企業にとっての雇用に伴う負担を抑えて)失業率を低下させ、かつ国際競争力を維持するという、複合的な効果をにらんだ政策ということになる。

 しかしその根底にある理念は、上記の「労働への課税から資源消費・環境負荷への課税へ」というものであり、それを通じて"人を積極的に使い、資源消費・環境負荷は抑える"という方向への企業行動の転換ひいては生産性概念の転換を促進するというのが真のねらいであった。

 こうした発想を踏まえて、日本ではあまり知られていないが、環境税を導入しているヨーロッパの国々の多くは、このように意外にも環境税の税収の相当部分を社会保障に使っているのである。

 さて、「労働生産性から環境効率性へ」という生産性概念の変更は何をもたらすだろうか。

 「労働生産性から環境効率性へ」という生産性概念の変更を踏まえると、興味深いことに、これまで"生産性が低い"ことの象徴のように言われてきた福祉や教育などの(対人サービスの)領域が、むしろもっとも"生産性が高い"領域として浮上することになる。

 つまり、これらの領域は基本的に「労働集約的」な分野であり、つまり「人」の比重が非常に大きな領域なので、「労働生産性」(少ない人手で多くの生産を上げる)という物差しでは概して"生産性が低い"ということになるわけである。

 しかし裏返して見れば、労働集約的であるということは、"人手"を多く必要とする、すなわちそれだけ"雇用を創出しやすい"ことを意味するのであり、実際、経済産業省などの報告書等でも、こうした福祉などの分野が今後もっとも大きな"雇用創出"分野として位置づけられている(たとえば「経済社会ビジョン―「成熟」と「多様性」を力に―」(2012年6月))

 思えば経済の「拡大・成長」期においては、大量の資源を使う「資源集約的」な活動が生産性が高いとされてきた。そしてそれは、そもそも人間の歴史における拡大・成長期が、エネルギーの利用形態の高度化(自然の搾取の度合いを強めること)によって実現されてきたという、序章での議論と呼応する。しかし資源の有限性が顕在化し、かつ生産過剰が基調となって失業が慢性化する成熟・定常期においては、人々の関心はサービスや人との関係性(あるいは「ケア」)に次第にシフトし、人が中心の「労働集約的」な領域が経済の前面に出るようになるだろう。そうした構造変化に応じて生産性の概念を再考し、転換していく必要があるのだ。

 広井さんは『「労働集約的」な領域』を具体的に『福祉、教育、医療などの分野や、より広く対人サービスないしソーシャル・サービスの領域』と定義している。これはこれまで私たちが「第三次産業」と呼んできたものにほかならない。つまり、平井さんは「産業構造の第三次産業化」を「雇用政策」として積極的に推進していくべきだと言っている。そして、最後に次のように提言している。

 ただし重要な点だが、こうした方向への転換は、市場経済に委ねていれば自然に進んでいくものではなく、先はどの北欧の福祉・教育などの政策や、ドイツのエコロジー税制改革などのように、それを促すための公共政策が不可欠となる。

 なぜなら、たとえば介護などの領域は、日本においてそれが概して低賃金であり離職者が絶えないことにも示されているように、市場に委ねるだけではその労働の価値が著しく低く評価され、維持できなくなるからだ(なぜそのように「低く評価」されるかという構造については終章において「時間」をめぐる考察とともに掘り下げたい)。したがって、そうした分野の価値を公的な財政で何らかの形で支えるような政策― たとえば介護や教育等の分野の公的財政での支援、自然エネルーに関する価格支持政策など ―が特に重要となることを確認しておきたいと思う。

 まさに平井さんの言うとおりだと思う。平井さんの提言は、「ミニ経済学史(39)」で紹介した次の吉本さんの提言と呼応している。

「こんな条件[産業構造の第三次産業化]をもった先進的な地域国家で、すこしでも有効な不況政策があるとすれば、投入する公共費の半分以上(わが国でいえば55パーセント以上 [現在では70%ぐらいだろう])を第三次産業関係に向けることしかかんがえられない。」

 アベコベ政権はこうした問題でもアベコベなことをやっている。

 ついでなので言って置きたいことがある。昨日の参議院安保特別委員会での強行採決をテレビ中継で見ていたが、怒り心頭に発するほどのまったくでたらめな光景だった。あれは採決ではなく、採決もどきである。つまり採決にはなっていない。無効である。アベコベ政権はアベコベデタラメ政権に格上げしたい。

 なお、そのときの様子を醍醐聰さんが詳しく記録しているのでご覧下さい。
「安保法案 : あれでどうして 「可決」 なのか?」
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