2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(92)

終末論の時代(29)

「独占資本主義の終末」補充編(13)

羽仁提言「三つの原則」の検討(12)


原則2:「社会主義」(10)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。

 これまでの<参考書>にはなかった新しい視点に絞ってしぼって読んでいくことにする。

 まず、リーマン・ショック後多くの先進国において経済格差の拡大が起こっているが、その諸要因を確認しておこう。広井さんは次のようにまとめている。

「たとえば技術革新、グローバリゼーション、高齢化、労働や家族構造の変化、相続を通じた格差の累積、社会保障制度のあり方等々―、複合的な視点から見ていく必要があるが、ひとつの重要な要素として、以下のような雇用ないし失業をめぐる状況の変化があることは確かだろう。」

 2014年度の失業率は3.6%であったが、これを年齢階級別に見ると次のようであった。
15~24歳 6.9%
25~34歳 5.3%
55~64歳 3.7%
 この資料について、広井さんは次のように解説している。

 10代後半~30代前半までの若い世代の失業率が概して高齢層のそれよりも高いことが示されている。しかもこれはあくまで「失業」率であるので、仕事には就いているがきわめて低賃金である者や、非正規雇用の者(ひいてはいわゆる"ブラック企業"での労働を余儀なくされている者)等はここには含まれていない。非正規労働者の割合は近年増え続けており、2003年には全労働者の30.4%だったが、2013年には36.7%にまで上昇している(労働力調査)。そして、こうした若者の雇用をめぐる状況の困難さは日本だけに限られた現象ではなく、先進諸国に共通のものとなっている。

 では、このように若い世代の高い失業率が先進諸国において構造的になっているのは、そもそもどのような原因から帰結しているのだろうか。この点についての議論が不足していると思われる。

 種々の要因の根本にある背景として、現在の先進諸国あるいは工業化をへた後の資本主義諸国において、構造的な"生産過剰"が生じており、それが若者を中心とする慢性的な失業のもっとも基底にある原因と考えられるだろう。

 その趣旨はシンプルで、次のようなことである。概してモノが不足しているような時代には、企業が生産活動を行って生産物(あるいは財・サービス)を市場に提供すればそれは自ずと売れたが、現在のようにモノがあふれ、人々の需要の大半が満たされているような時代にあっては、生産物を作っても売れないということが珍しくなくなる。加えて、そこで生産性(労働生産性)を上げれば、それは"より少ない人数で多くの生産を上げることができる"ということを意味するから、必要な労働力はさらに少なくなり、一層失業が増えることになる。

 『羽仁提言「三つの原則」の検討(10)』で取り上げたように、現在では中国経済も「構造的な"生産過剰"」に陥っている。

 資本主義社会は不断の「拡大・成長」を大前提として成り立っていた。それを正当化していた理屈は、社会全体の富の拡大がいずれは全ての人を豊かにするだろう、ということだった。しかし、いまや「生産性が上がるほど失業が増える」という事態に陥っている。しかもその結果、「99%対1%」という言葉が表徴するように、富の極端な偏在を生んでいる。

 この"生産過剰"により起こった経済格差を広井さんは"過剰による貧困"と呼んでいる。そして、この"過剰による貧困"に対処する方策として、次の二点を挙げている。

 ここでは"過剰"という富の生産の「総量」の問題と、"貧困"や"格差"という、富の「分配」の問題の双方が、互いに絡み合う形で存在している。したがってまず大きく言えば、求められる対応の重要な柱として、
(1)過剰の抑制 ―富の総量に関して
(2)再分配の強化・再編 ―富の分配に関して
という二つが挙げられるだろう。

 まず(1)については
"限りない「拡大・成長」の追求"という方向の転換とも関わるものなので、もっともシンプルなものとしては「労働時間(正確には賃労働時間)の短縮」という視点を提出している。労働生産性の上昇のみを追求してきた結果が"過剰による貧困"を招いたのだから、
「労働生産性の上昇があった分は、むしろ労働時間を減らしてそれ以外の(余暇などの)活動の時間にまわし、生活全体の「豊かさ」を高めていくという方向が重要になってくる」
と言っている。そしてこれはすでにヨーロッパにおいて"時間を再配分"をする政策― 賃金労働時間を減らし、その分を地域や家族、コミュニテイ、自然、社会貢献などに関する活動にあて、それを通じて全体としての生活の質を高めていこうという政策 ―が社会的に進められつつあると言う。その政策は「時間政策(time policy)」と呼ばれいる。 一種の「ワークシェアリング」と言ってよいだろう。

(ここで思い出したことがある。もうずいぶん以前からフランスでは長いバカンス楽しむ制度があるという記事を読んだことがある。ネット検索をしたら、フランスのバカンス制度を簡潔にまとめた記事に出会った。ご一読をお薦めします。(「ヴァカンスの国」)。

 広井さんはドイツとオランダの例を挙げている。

ドイツの場合
 「生涯労働時間口座」という仕組みが90年代末から導入され、多くの企業に広がりつつある。これは一人一人が生涯労働時間口座という口座を作り、たとえば超過勤務を行った場合には、その超過時間分を時間ポイントとして"貯蓄"し、そうして貯蓄した時間分を、後でまとめて有給休暇として使うことができるといった仕組み。

オランダの場合
 2006年から「ライフコース・セイビング・スキーム」と呼ばれる制度を導入したが、これは個人(被雇用者)は毎年の給与の最大12%を"貯蓄"し― その部分は非課税となる ―、それを後の時期の休暇における生活費にあてることができるという制度(貯蓄額の上限は年間給与の2.1年分)。

 続いて広井さんは、日本に即した政策として、"「国民の祝日」倍増"を提案している。

 ゴールデンウィークなどに行楽地に出かけると、どこに行っても人であふれている。あらためて思うのは"日本人は休む時もみんな一緒でないと休まない(休めない)"ということだ。

 思うに、日本人は本当はもっと休みをとりたいのである。東京など大都市の地下鉄での人々の疲れ切った様子や表情を見ればよくわかる。しかし日本の職場は「空気」が支配していて、他の人をおいて自分だけが休むことはなかなかできない。有給休暇がまともに消化されないのもその反映である。だからこそ、国民の祝日となり、"みんなも休む"となると、いわば休んでもよいという「許可」が得られたように感じ、人々は"安心して"休み、一斉に各地に出かけるのだ。

 「国民の祝日」倍増政策は、ある意味で日本の現状や日本人の行動様式を踏まえた苦肉の「時間政策」だが、国民の祝日倍増という方法に限らず、時間政策は以下のような種々のプラスの意味をもっていると考えられる。

 今後の消費の中でもっともポテンシャルがあると思われる「余暇消費」(後で述べる「時間の消費」)が増え、関連の雇用とともに経済にもプラスに働く。

 創造性にも寄与する……サービス中心あるいは付加価値や創造力が鍵となる現代においては、長時間労働はかえって生産性にもマイナスとなり、アイデアも枯渇し競争力も低下する(実際、国際比較を見ると労働時間と時間当たりの生産性には概ね負の相関が見 られる)。

 何より健康にプラス……現在の日本社会をおおっている慢性疲労状態からの改善に資する。

 ワークシェアを通じた失業率削減と貧困是正にも寄与する(本章で論じてきた内容)。

 (カイシャだけではなく)地域などですごす時間が増え地域活性化・コミュニテイ再生にも寄与する……つまり「時間」政策は実は「空間」的効果をもつ。

 おそらく出生率の改善にも貢献する。

 以上のうち最後の⑥について補足しておこう。これは当初あまり意識していなかったのだが、最近の次のような印象的な出来事から再認識するようになった点だ。

 私は大学で「社会保障論」という通年の講義を行っているが、先日「少子化」をテーマとする話をした際に学生に小レポートを書いてもらったところ、現在の日本における少子化ないし低出生率の原因として大きいのは、
「労働時間が長すぎ子どもを生み育てる余裕がないこと」
という点を挙げて論じる学生が予想外に多かった。

 たとえばある学生は
「少子化の背景として未婚化、晩婚化か挙げられているが、その火元の要因は日本の労働環境にあると思う」
と記し、少子化問題への対応策としてワークシェアの必要性を指摘していた。別の学生は、
「会社の労働環境を変えることが一番ですが、どのくらいのペースで変えていくかが問題です。育休が自由にとれるようになっても休まないのが当たり前の空気の中では、休みを取ろうにも取れませんし、会社も休みをとろうと思っている人間を採用しようとは思わないと思います。"空気”は本当にやっかいです」
と述べていた。

 「時間を再配分する政策」の重要性は納得できるし、是非そのような「時間政策」が進められることを願いたい。しかし、「国民の祝日」倍増政策については、広井さんは苦肉の「時間政策」と言っているが、私は賛同できない。その理由は「ミニ経済学史(37)」で取り上げた「産業構造の第三次産業化」にある。

 現在第三次産業の就業者は70%を超えている。そのうちの60%ぐらいが卸売業・小売業などのいわゆる「サービス業」の就業者である。私の身近にも「サービス業」にたずさわっている人たちがいるが、他の就業者が休暇を取る土・日・国民の祝日にはまともに休暇は取れない。その代休日がキチンと取れれば問題ないのだが、その仕組みが不十分なのが実態だ。国民の祝日を休暇日扱いしていない企業もあるようだ。

 "みんな一緒でないと休まない(休めない)"という「空気」を助長するような「時間政策」ではなく、その「空気」を必要としない、誰もがいつでも自由に有給休暇を取れるような「時間政策」でなければならない。私はフランスの「バカンス政策」をモデルにするとよいのではと思っている。
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