2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(84)

終末論の時代(20)

「独占資本主義の終末」補充編(4)

羽仁提言「三つの原則」の検討(3)


原則2:「社会主義」(2)

 前回の記事『「独占資本主義の終末」補充編(1)』での<論文1>からの引用文  
「このような議論(資本主義の終焉論)は、かつてはマルクス経済学者の専売特許であったが、最近では近代経済学の論者の中にもそういう議論を展開するものが現れつつある」
という的場昭弘さんの指摘に注目したが、いくつか選んだ関連の本を読んでみると、最近の学者さんたちが考察する「資本主義の終末」後の未来社会もマルクスが描く未来社会(アソシエーション)に接近しつつあるようだ。そこで、その人たちの考察を検討する前に、マルクスが描く未来社会をおさらいしておこうと思う。

 アソシエーションについては過去記事のいろいろなところで取り上げているし、前回引用した<論文1>からの引用文中でも、「(マルクスの)共産主義を特徴づけている基本的な視点」の第3として取り上げられていた。ここでは改めて総復習という意味合いで、<論文2>の第4部「協同組合というアソシエーション」を読んでみることにする。

 <論文2>の第4部はまず『ゴータ綱領批判』の次の一節を引用している。

『共産主義社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」』

 実はこの引用文は<論文2>の第1部の終わりにも引用されていて、それに対する分析が第2部にも受け継がれている。第1部・第2部では「諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり・・・・・・彼らの生産能力をも成長し」までの部分の解説が行なわれている。それを引き継いで、第4部では後半の「協同組合的な富が溢れんばかりに湧き出る・・・・・・」以降の解説を行なっている。「草食系院生」(論文の著者)さんによると、前半部分の見解は『ドイツ・イデオロギー』当時のマルクス(初期マルクス)から引き継がれたものであり、後半部分は中期以降に付け加えられた見解であると言い、「これらの条件はいずれも、詳しく見ていくと興味深いものなのですが、その考察はまた今後の記事で触れることにしましょう。」と第1部を結んでいる。

 では第4部を読んでみよう。

 ここで「協同組合的な富」(genossenschaftlichen Reichtums)とはどういう意味でしょうか。「協同組合」というと、一般的に僕たちの生活に馴染みが深いのは「生協」、すなわち生活協同組合でしょう。生協とは「一般市民が集まって生活レベルの向上を目的に各種事業を行う協同組合」のことで、その事業(活動)内容は「食品や日用品、衣類など商品全般の共同仕入れから小売までの生活物品の共同購買活動(店舗販売、宅配)が中心であるが、それ以外にも共済事業、医療・介護サービス、住宅の分譲、冠婚葬祭まで非常に多岐にわたる」とされています(wikiより)。

 協同組合の起源は19世紀にロバート・オーウェンが、働く者の生活安定を考えて、工場内に購買部などを設けた「理想工場」をスコットランドのニュー・ラナークに設立したことに遡る、とされます。オーウェンは養父から引き継いだニュー・ラナーク工場で、労働条件の改善を行い、託児所では子供を保育し、共済店で生活用品を原価供給、病人には治療を施しました。工場は経営的にも大成功し、ニュー・ラナークの名声はヨーロッパ中に伝わり、王族、政治家、社会改良主義者らが多く訪れました。彼らはその清潔で衛生的な工業環境、満足して活力にあふれた労働者、全員が力を合わせて作り上げた成功した「理想工場」の姿を目にして驚嘆したと言われています。

 その後、マンチェスター郊外のロッチデールにおいて、生活用品を高く買わされていた労働者達が、資金を集めて、商品を安く購買できる自分達の企業を作ったのがロッチデール先駆者協同組合であり、これが世界で最初の生活協同組合となりました。ロッチデール協同組合では、「組合員の社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」などが掲げられ、少しずつではあれ、協同組合運動の理念が実践に移されていきました。

 当時、オーウェンの活動や思想に影響を受けて多くの協同組合が組織されましたが、そのほとんどは失敗に終わりました。オーウェンもニュー・ラナーク工場の成功後、アメリカに渡り、私財を投じて共産主義的な生活と労働の共同体(ニューハーモニー村)の実現を目指しましたが、これは失敗に終わりました。エンゲルスは、オーウェンを、サン=シモンやフーリエと共に空想的社会主義者として批判しつつ、その実践活動には高い評価を与えています。

 さて、マルクスの「協同組合的な富」についてです。先にも書いたように、協同組合では「一人一票による民主的な運営」が原則とされます。それゆえ「協同組合工場」では、資本家―労働者、経営者―従業員という非対称的な関係性は廃棄されているのが理想です。ひとりひとりの労働者が平等に発言権をもち、民主的な話し合いによって、その工場の運営方針や労働環境、生産計画が決定されるべきとされます。また、ひとりひとりの労働者が生産物・利潤の分け前に平等に預かる権利をもちます。

 当然、こうして民主的に決定された事項については、これを実践・運営していく義務が構成員に課されることになります。つまり協同組合工場のもとでは、どのように働くかを自分たち自身で決定し(政治的行為)、そして実際にその取り決めのもとに働き、その成果を平等に分配する(経済的行為)という実践が行われるのです。

 実は、前々回の記事で紹介した「〈活動〉に転化した〈労働〉」や「アソシエイトした労働」とは、まさにこのような政治的=経済的行為を指していたのではないか。協同組合というアソシエーションの元で行われる〈労働〉とは、手段としてのみならずそれ自体を目的としてなされるような、また固定的な分業を廃棄した自由な〈活動〉として現れてくるものとして、マルクスの頭のなかで構想されていたのだと考えられます。言うまでもなく、これは一種のユートピア思想ですが、マルクスが理想とした社会―経済の未来や労働の未来を知るうえでは協同組合というアソシエーションを念頭に置くことが重要だと思われます。

 アソシエションは「生活者の視点」と「疎外の視点」を軸に考察を重ねた結果、マルクスが到達した理想の未来社会だった。

 では、次回は現在の学者さんたちが説く「資本主義の終末」後の未来社会に向けた提言を検討してみよう。
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