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《『羽仁五郎の大予言』を読む》(77)

終末論の時代(13)

ジャーナリズムの死(13):戦後の言論弾圧(7)


 前回最後に、NHKにおける人事を利用した"自主管理"をの一つを取り上げたが,番組の"自主規制"はなかったのだろうか。今回はそれを取り上げて「戦後の言論弾圧」を終わることにしよう。

 NHKの場合、現在も問題になっているが、まず経営委員会のメンバーが自主規制に大きな影響を及ぼす要因になっている。経営委員は国会が任命することになっているのだから、当然政府よりの人物が選ばれることになる。1966年末の経営委員会の構成は次のようであった。
全委員12名中、
財界人3名・旧官僚2名・老学者3名・県漁連会長(保守系県議)1名・自民党都支部総務1名・愛媛県教育委員1名・アジア調査会事務局長1名
で自民党色濃厚であり、労働組合や革新系の団体や文化人の代表はただの一人も入っていない。NHKの番組編成の基準は、抽象的な美辞麗句にかざられた「NHK国内番組基準」をかかげ、各年度の「国内番組編成重点事項」から各月間の番組編成重点事項へと具体化されていく仕組みになっているが、実際の番組編成にあたっては、政府・与党にたいしてもっともあたりさわりのない編成がおこなわれている結果となっている。徳本論文は、『知られざる放送』(波野拓郎著 1966年出版)の記事をもとに次のように指摘している。

 1966年10月の上旬は、共和製糖不正融資問題にはじまって、連日、政界の黒い霧が問題となった時期であったにもかかわらず、NHKテレビの政治関係番組はまったく天下泰平であって、この10日間の番組17本のうち、わずかに最後の一本が荒船運輸大臣の更迭をあつかったにとどまっていたという。

また、それより先、同年3月20日の放送記念特集『日本の未来像』は世論調査結果を放送したが、そのさい、日本の安全と独立に関する調査結果で政府・与党にとって都合の悪い部分(「非武装中立」42%が「安保条約継続」27%を上廻っていたというような数字)をカットして放送した。

 これらの例が特殊であるとしても、一般にNHKの解説が野党色をもたないことをあわせ考えれば、NHKの基本的姿勢が奈辺にあるかは想像がつこうというものである。

 1966年5月、NHK解説委員入江通雅氏は新聞学会総会で、
「議会民主主義制度では国会に民意が代表されているから、国会で多数を占める政党の意見が民衆の意見を代表している。それゆえ自民党の言い分に忠実であることが、放送の公正、中立の基準となる」
とのべたといわれるが、そのような発言が奇異に感じられない体質を、すでにNHKはもちはじめてきているのである。

 もとよりNHKは、視聴者の受信料に基礎をおいた組織であり、同時にまたそれ自身一つの巨大なマンモス集団である。その全体が単純に一本化すると考えるのは皮相なみかたというものであろう。しかしこの10年、NHK内部における"自主規制"と"自主管理"が思いのほかすすんできていることだけは間違いない。

 入江解説委員の詭弁は政治家もよく使う。すでに50年も前に籾井のとんでも発言と全く同じことを主張している人物がいたのを知ってびっくりした。既にこの頃から、NHKはその内部に国営放送に堕する要因を持っていたのだった。徳本論文は、1962年頃のNHKのある現場制作者の談話を紹介している。

 NHKの場合、民放の場合それぞれのちがいはありましょうが、NHKですと幻影が幻影を生むといいますか、拡大解釈の心理が働くと思うのです。つまり理事は与党代議士や郵政当局の意思を「このへんまでならいいだろう」「これを出せば喜ぶだろう」とそんたくし、局長は理事の、部長は局長の、副部長は部長の、係長は副部長の、そして一般職員は係長の意思を、それぞれ過大にあるいは過少にそんたくしすぎるところがら規制が生れてくるのじゃないですか。

 一つの例ですが、安保の時にある代議士が中野好夫を出すのなら赤尾敏を出せといったという。冗談かもののたとえであったかもしれませんが、それがわれわれのところへくると中野好夫的な人はみなだめだということになってしまう。この「的」というのがデリケートなんで、各人各様、下部へ下がるほど「的」の範囲が拡がってくるんですね。だからそれぞれのPD(Program Directer)によって、自分の出演者リストに、経験的に、この人は出られないというしるしがついてしまうといったことになるわけです。問題を複雑にしているのはさらに、こうしたブラックリスト的人物が公表されていないことで、もちろん、誰と誰がいけないという文書がある訳ではないので、みんな自己規制の連鎖反応なんですね。………中略………出演者から、とりあげるべきテーマ、扱い方にいたるまで、この自主規制という眼に見えない怪物に支配されているといった情況です。

  では、具体的にどのような番組がどのような規制を受けていたのだろうか。

 典型的な例として、ドラマ『風雪』が挙げられている。1964年4月9日から始まったオムニバスドラマである。明治維新から1945年の敗戦まで全100話を予定していたが、まず、1965年6月3日放送の田中正造をあつかった「草莽の微臣ありき」にクレームがついた。次いで「敵艦見ゆ」の再放送が中止。「米騒動」の企画が没。「東京往来」が没。「大正12年9月1日(関東大震災)」には朝鮮人虐殺事件を出すなとの指示。・・・と規制が続き、9月末に大正期の中途で放送打切りとなった。徳本論文は
「時代がすすんでくるにつれて、おそらく、NHKの幹部はさしさわりを非常に気にするようになったのであろう。なるほど、ファッショ化の時代を美化するわけにもいくまいし、さりとて批判的にあつかえば、明治百年に期待をかけていたおおむこうから叱られるというわけである。」
と述べ、次のようなNHK内部からの告発文書『原点からの告発―番組制作白書66~』を取り上げている。

 この報告書は、"取扱注意"と記されているが、出されると同時に協会幹部をいたく刺戟し、おおあわてで回収された、門外不出の厳秘交書であり、ここに引用するだけで関係者が目くじらを立てるに相違ない貴重な資料である。「国民のためのNHK」が国民にたいしてひたかくしにしているこの資料は、いったいどのような事実を語っているのであろうか。

 まず、報告書の第一章「空洞化すすむ"国民のための放送"」はいう。
「現在のNHKの放送に満足しているか?」
という問いに、満足0、ほぼ満足22、満足できない57、無解答3であると。
 そこでは、自主的な企画にたいして「枠がない」といいつつ「天下り番組」が横行していること、「規制」と「考査」が有形無形の圧力としてのしかかっていること、そして、「NHKが、現支配体制の中に完全にビルト・インされてしまって、言論機関はおろか、情報伝達機関としても片輪なものとなり、"国民のための放送"が"体制側からの国民にむけた放送"となりつつあるのではないか」ということが、詳細な実例をとおして語られているのである。たとえば原子力潜水艦の報道に際して、「潜水艦本体の姿はよいが、デモはうつしてはいけない、ということで、デモのために配備した中継車は、全く何もしないで帰ってきた」というような実例がである。

 つづいて同報告書の第二章「制作条件をめぐって」は告白する。
「われわれは巷間うわさされる、日銭二億を越すといわれる現代の王国NHKが、その基幹であり、本来の使命である番組制作の分野で、その内容がいかに乏しく、いかに空虚な部分を内包しているかについて、いまさらのごとく驚きを禁じ得ない」と。

 また第三章「人と機構」は伝えている。いかにプロデューサーの創造的な活動が圧迫されているか、いかにサービス部門労働者の積極的な意欲がむしばまれているか、その実情をである。そこでは、没個性的、没主張番組こそNHKの特徴だとして、放送不適とされた映画の実例があげられている。
「にあんちゃん」
「野火」
「炎上」
「浮雲」
「幕末太陽伝」
「豚と軍艦」
「愛と希望の町」
「裸の大将」
「嘆きのテレーズ」
「灰とダイヤモンド」
「審判」
というふうに。

 念のため、これらの映画の多くが佳作であったことをつけくわえておこう。

 この報告書は、B5版154頁にわたるものである。かぎられた紙数ではその全貌は紹介しきれない。しかしもうこれ以上引用する必要はあるまい。

 ことわっておくが、この報告書はNHKの放送系列32の職場からの報告をまとめたものである。放送法や国内番組基準を「絶対に守られねばならない原則」だとしている、ごくあたりまえの人びとの意見なのである。その意見が国民に伝わるのを、NHKは極力おさえつづけてきたのである。これが"自主管理"の実態でなくてなんであろうか。

 続いて、徳本論文は日本放送労働組合が1969年11月に、放送職・取材職の組合員4000人を対象に行なった意識調査を取り上げている。それによると、
「客観的にみてNHKは政府の御用機関化はしていない」
という問いにたいして、賛成者は11.9%、反対者は59.6%に達している。なかでも直接制作をすすめていく立場にある、プロデューサーとアナウンサーの7割ちかくがそれを否定しているという。徳本論文は当時のNHKの自主規制・自主管理について、次のように慨嘆している。

 NHKは、「国民のための放送」ではなく、「政府のための放送」になってきているのである。ふりかえってみれば、敗戦の年の12月、GHQが出した「『日本放送協会の再組織』に関する覚え書」(1945・12・11)にもとづいて、国民各階層を代表する次のようなメンバーによって放送委員会が設置された時期もあったのである。すなわち、浜田成徳、岩波茂雄、馬場恒吾、近藤康男、大村英之助、瓜生忠夫、加藤シズエ、宮本百合子、荒畑寒村、島上善五郎、土方与志、川勝堅一、富永能雄、滝川幸辰、堀経夫、渡辺寧、矢内原忠雄、聴涛克己、槇ゆう子、高野岩三郎(会長)などの諸氏がそれであった。以来、二十数年、その変化のあまりの激しさに息をのむおもいがするのは、決して筆者だけではあるまい。

 最後に、信濃毎日新聞が5月17日に「政治と放送の70年 介入の歴史に終止符を」という題の、私にとってはグッド・タイミングな論説を掲載していることを知ったので、それを紹介しよう(ネットで読める新聞記事は時間が経過すると削除されるようなので、全文転載しておく)。

 政府が首相に近い作家や学者をNHK経営委員に起用=2013年11月。
 自民党が在京テレビ各社に対し選挙報道での「中立公平」を文書で要請=14年11月。
 同党が「やらせ」問題などでNHKと民放を聴取=15年4月。
 間断なく、と言っていいだろう。政府・自民党による放送への介入が続く。

 第1次安倍政権の時にはNHKに対し、北朝鮮による拉致問題を国際放送で重点的に放送せよとの命令が発動されている。

<お蔵入りのコント>

 時計の針を70年前に戻してみる。当時の放送はNHKの前身、社団法人日本放送協会のラジオだけだった。テレビと民放はまだ始まっていない。放送は連合国軍総司令部(GHQ)の統制下にあり、検閲が加えられた。

 当時の人気番組の一つに日曜娯楽版がある。風刺コントでGHQなど権力者をからかい、しばしば放送断念を余儀なくされた。NHKの番組担当だった丸山鉄雄さん(故人)が著書で、検閲により放送できなくなったコントの幾つかを紹介している。
マッカーサー「日本人はまだ12歳の子どもである」
日本人一同「恐れ入ります」
マッカーサー「日本人は再軍備をしなければいけない」
別の声「へえ? 子どもの兵隊ってのは初めてだね」

 吉田茂首相も格好の素材になった。首相が率いる民主自由党が復古的な体質に傾きつつあることを皮肉るコント。
「民主自由党を改めて自由党とする意見があったそうだね」
「もう民主に用がないからね」

 1952(昭和27)年4月、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は独立を回復する。政府は放送に関する権限も取り戻した。とともに、日曜娯楽版は中止に追い込まれた。

 一緒に廃止されたものがある。電波監理委員会だ。放送が再び戦争に利用されることがないよう、放送に関わる権限を政府から切り離すためにGHQがつくった独立行政機関である。設置から2年後のことだった。

 以後、今日に至るまで放送は政治の介入圧力にさらされ続けることになる。ベトナム戦争で揺れた60年代は特にひどかった。

 63年、自民党がテレビの広告スポンサー80社と懇談し「偏向番組が紛れ込まぬよう」要請。

 65年、日本テレビのベトナム戦争報道番組の放送中止。

 以上はその一部である。

 中でも関心を呼んだのは、TBSの報道番組「ニュースコープ」のキャスターだった田(でん)英夫氏(故人)の降板事件だ。
 田氏は当時の北ベトナムに入り、米軍の爆撃にさらされる人々の苦しみをリポートした。自民党が問題視し、放送免許の更新を拒否する可能性をちらつかせて圧力をかけたのだった。
 「これ以上がんばるとTBSが危ない。残念だが今日で辞めてくれ」と社長から言われてやむなく―。田氏は著書に書いている。田氏は後に国会議員になった。

 2001年放送のNHK教育テレビの番組「戦争をどう裁くか」は裁判になった。自民党の幹部が内容を変えるよう圧力をかけたとして、取材に協力した団体が提訴した。東京高裁の判決は、NHKが自民幹部の意向を「忖度(そんたく)」して改編したと認定した。

 一連の問題の根っこには、放送の許認可権を政府が握っている事実がある。日本の独立回復時に出来上がった仕組みが今もテレビ局を縛り続けている。

 世界を見ると、放送は多くの場合、免許事業となっている。放送の影響力が大きいことと、電波の有限性がその理由とされる。半面、許認可権を政府が握る仕組みは先進国では少ない。

 国会図書館のリポートによると、米国、英国、フランス、ドイツでは放送の規制、監督は政府から独立した機関が担っている。規制機関を運用する経費は税金ではなく、テレビ局から集める免許料が充てられることが多い。政治を放送から遠ざける工夫である。

<監理委の復活目指せ>

 憲法21条は「表現の自由」の保障をうたっている。放送法は第1条で放送の自律を保障し、3条は「番組は…何人からも干渉され」ないと定める。

 放送の自由、自律は民主政治に不可欠だ。政府与党の介入を許してしまう今の仕組みは憲法、放送法の理念に反する。電波監理委を時代に合った形で復活させて、放送を政治の手の届かないところに置くことを考えたい。

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