2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(75)

終末論の時代(11)

ジャーナリズムの死(11):戦後の言論弾圧(5)


 郵政省がテレビ放送の許認可権を持ったことが戦後の国家権力によるメディア支配を容易にした根源である。今回からは講和条約調印後の言論弾圧を追うことにする。

1951年
9月8日
 対日講和条約調印
 同時に、日米安全保障条約を締結
9月16日
 法務総裁大橋武夫、法整備方針について談話を出す。
「講和後の法制の整備は、ポツダム政令によったものの多くが立法化されるので、法務府としても鋭意研究している。団体等規正令、追放令は国家公安保障法となるが、このほか、ゼネスト禁止、集会デモ、プレス・コードはそれぞれ単行法となろう。このほか、防諜問題は独立後日本として重大な問題であるので、単行法かもしくは臨時国会に提出を予定している国家安全保障法案に加えていく予定である。これらの立法化は今後の臨時国会に提出する。また現行法の改正としては刑事訴訟法が通常国会で改正されることになろう。」

 この談話のうち、プレスーコードと防諜の立法化は明らかに新聞の報道を制約するものである。日本新聞協会は直ちに大橋法務総裁と岡崎官房長官に対して反対の意向を表明した。

 ところが、間もなく大橋総裁は治安維持法の再現をめざす「団体等規正法案」の要綱を発表した。この法案は、新聞社の解散権まで政府が持つという弾圧法案であった。新聞界からは猛烈な反対の声があがり、さすがの政府も世論に抗しきれず、ついに廃棄となった。

1952年
2月
 法務総裁木村篤太郎、「団体等規正法案」に代わる「特別保安法案」を発表。

 たび重なる暴挙に、新聞界は再び強硬に反対した。

4月
 政府は「特別保安法案」に手を加えた「破壊活動防止法案」(破防法と略記されている)を国会に上提。

 この法案について日本新聞協会は、次のような声明を行なった。
「言論の自由は社会的に重大な危険をおよぼすおそれが明白かつ現実にある場合のほかはみだりに制約すべきではない。将来の危険を予想して言論活動に対し広範あいまいな制限を加えかつその規正を行政機関に委ねるごときは、国民の正しい言論を萎縮させ国政を危くするおそれありと信ずる」

4月28日
 講和条約発効でGHQによる統制撤廃。
 GHQの無線に関する統制が撤廃され、ラジオコード(ラジオ放送の基準)、プレスコード(新聞などの報道機関を統制するための規則)が失効。また、GHQの新聞課も廃止された。
5月1日
 GHQによる取締法規が失効したことを受け、無期限刊行停止中の「アカハタ」が復刊第1号を発行した。

 4月に上提された「破防法」に至るまでの政府の動きは、明らかにGHQによる統制解除をにらんで、それに代わる弾圧法の設定を目指したものである。破防法に対しては、言論界ばかりでなく、知識人や学生などの反対デモがあったにもかかわらず、結局参議院で「暴力を"教唆" "扇動"している『文書の所持』だけでは処罰しない」という修正がなされただけで成立した。

7月21日
 「破壊活動防止法」を公布。
7月31日
 郵政省、初のテレビジョン放送予備免許を日本テレビ網に与える。

1953年
2月1日
 NHK、テレビ放送開始。
8月27日
 日本テレビ網、テレビ放送本免許取得。

 テレビ放送本免許について、徳本論文はその問題点を次のように論じている。

 郵政省は、チャンネル・プランが明確化していないうちに、最初の予備免許を日本テレビにあたえたが、それは、政変を利用した正力松太郎氏を中心とするグループの策略が政治家を動かした結果にほかならなかったのである。このような傾向は、1956年末の、鳩山内閣から石橋内閣への政変時における、6チャンネルから11ャンネルへのきりかえのときにも、また、58年の大量予備免許、67、8年のUHF免許のときにもひきつづきみられたことであって、政治的利権によって電波行政が動かされてきたという事実を見逃すことはできない。このことは、電波管理の体制が、欧米諸国におけるような、時の政府にたいする一定の独自性すらもちえないでいたことを意味する。

 しかも、わが国の場合、放送局は3年ごとの免許更新が義務づけられており、郵政大臣が再免許をあたえなければ放送できなくなるというしくみがあることを見落してはならない。いいかえれば、政府は放送局に対して生殺与奪の権をにぎっているのである。事実、政府は1965年6月1日、再免許の時期にあたって、東京12チャンネルにたいし、500名の従業員の半減など経営と番組面での条件をつけ、その宝刀をちらりと抜いてみせている。各放送局が、政府のおめがねにかなうように、常日頃から気をくばりがちになることは充分に想像されよう。政府→電波管理→放送局規制という、この統制強化を可能にさせる構造にこそ、テレビ・メディアに対する権力統制の条件を見出さなければならない。

 もう一つ、政府・自民党による対テレビの言論統制が新聞社の萎縮をも招いていることにも触れておかなければならない。それは多くの新聞社がテレビ局と同系列の企業であるために起こっている。田中良紹さんの論考「世界とは異なるテレビを見せつけられている日本人」から関連する部分を引用しよう。

 日本のテレビが世界と異なるのは新聞とテレビの系列である。アメリカでは全国紙と全国ネットのテレビが系列化されることを禁じているが、日本ではすべての全国紙とテレビの全国ネットが系列化している。そのため新聞がテレビを批判し、テレビが新聞を批判する事はない。

 さらに言えば、テレビが免許事業であるため、政府権力から免許取り消しの脅しをかけられると系列の新聞社までが脅しに屈する。この異常な形は朝日新聞社が教育専門の放送局であったNET(日本教育テレビ)を系列化し、総合放送局にするよう当時の田中角栄総理大臣に陳情した事から始まる。その結果、毎日新聞とTBS,日経新聞とテレビ東京の系列化が促され、新聞とテレビのもたれ合い関係が完成した。最近では東京新聞だけが政治権力に屈しない新聞社として評価されるが、それは系列のテレビ局を持たない強みから来ているのかもしれない。

 そして自民党がテレビ局に露骨に口出しするきっかけを作ったのはテレビ朝日である。93年の総選挙で初めて自民党が野に下った時、テレビ朝日の報道局長が「政権交代をもたらしたのは田原総一朗と久米宏だ」とバカな自慢をして物議をかもした。それは全く政治を知らないテレビ人の妄想なのだが、これに怒った自民党はテレビ局の報道番組をすべてモニターしていちいちクレームをつける体制を取るようになった。それからは国民の見えないところで常時自民党からテレビ局にクレームが付けられている筈である。

 今回、そのテレビ朝日の番組に対し、官房長官が「放送法」を振りかざして脅しをかけ、それにテレビ朝日が恭順の意を表したことが国民の目に焼き付けられた。それは常時行われている政治権力とメディアの関係が表出した一瞬の出来事である。ゲストコメンテイターが意識的に問題を顕在化させたことで国民は番組の裏側をのぞき見たが、一番組の特異なケースである訳ではない。日本のテレビが世界とは異なる仕組みと考え方を積み重ねてきた結果である事を日本人は知る必要がある。

 「統制強化を可能にさせる構造」はNHKの場合も例外ではない。いや、さらなる統制強化が可能となる要因がある(次の引用文は徳本論文からです)。

 公営企業たるNHKの場合にも、基本的には同様である。むろんそこでは、「公共性と中立性」という看板だけは放棄できない。しかし、最高意志決定機関である経営委員会の任免が、事実上、政府・与党の手によって決定されること、予算や事業計画の承認も、形式的には国会だが実質的には政府・与党の手中にあることを考えてみるなら、NHKが政府に対して弱い存在であることはあきらかである。「不偏不党」であるはずのNHK会長が、自民党の都知事候補にかつぎだされようとしたり、「自民党紹介」がNHK内部ではばをきかしたりしていることは、その一つのあらわれであるといってよかろう。

 1960年代にすでにこのような状況であった。現在、アベコベ政権は、「政府が右というものを左というわけにはいかない」などと口走るような籾井という財界人を会長に据えたり、百田尚樹・長谷川三千子のような極右的思想の持ち主や本田勝彦(日本たばこ産業顧問。安倍が小学生の時の家庭教師だったそうだ)などのお友だちを経営委員会に送り込んで、NHKをアベコベ政権や自民党の御用放送局にしようと躍起になっている。いや、既にそれなりの成果を上げている。小滝一志(放送を語る会事務局長)さんの報告『際立つ「政府広報化」~NHK 政治報道~』が詳細に分析している。
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