2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(64)

権力が教育を破壊する(48)

教育反動(40):遂にここに極まれり(4)の追記


(前回で終わる予定でしたが、一つ追記することにしました。)

 破壊されているのは教育だけではない。政治・経済の全てが惨憺たる状況に瀕している。前回「ブルジョア民主主義国家から真の民主主義国家に生まれ変わる外ない」と書いたのは勿論教育に限定して述べたわけではない。そして、「そのための蟻の一穴は、地方共同体が一つでも多く真の民主主義を獲得していくことだと思っている。しかし、その道は細く長く険しいだろう」とも書いたが、「その道」の具体的な筋道に触れなったことが不満だった。その「道筋」について追記したい。

 まず、「真の民主主義」とは何か、を復習しておこう。まず『吉本隆明の「ユートピア論」(4)』で「理想的な社会像」として、吉本さんが描く「社会主義のモデル」(これは言い換えれば「真の民主主義」)を紹介したが、それは次のようであった。

①賃労働が存在しないこと
②労働者・大衆・市民がじぶんたち相互の直接の合意で、直接に動員できないような軍隊や武装弾圧力をもたないこと
③国家は、存在しているかぎりは、労働者・大衆・市民にたいしていつも開かれていること。いいかえれば、いつでも無記名の直接の票決でリコールできる装置をもっていること
④私有では労働者・大衆・市民の障害や不利益になる「生産の手段」にかぎり、「社会的な共有」とすること

 ①②④は国家が死滅した最終的な理想像である。そして、③の「政治的リコール権」こそが開かれた健全な真の民主制に至る道である。言い換えれば、吉本国家論のキーワードである「国家を開く」ことに当たる。「国家を開く」という言葉はこれまでに十数回ほども使っているだろうか。直近では『世界同時ファシズムの脅威(4)』で用いている。そこでは次のように書いた。

<国家を開く>とは、言い換えれば<真の民主主義を確立する>ことである。その道は、労働運動も市民運動も、そして地方議会も、さらにそして私たちの日常生活においても、この観点から独占資本の傀儡政府を監視し、異議を唱え続けるほかにはないと思う。」

 そして前回、私は
「そのための蟻の一穴は、地方共同体が一つでも多く真の民主主義を獲得していくことだと思っている。しかし、その道は細く長く険しいだろう」
と書いたが、要するに「地方議会を開く」ことが「国家を開く」ための「蟻の一穴」になるだろうということだった。

 さて、「地方自治」という言葉がよく使われるが、「民主主義」と同様、現在の「地方自治」は「真の自治」とは言えない。特に国会の与党所属の地方議員のほとんどは、国政の動向に沿った道を歩くしか能がない。また、今回の統一地方選挙では深刻な問題が指摘されている。選挙告示の翌日4日の東京新聞一面の見出しは「無投票当選 最悪 ― 21%審判受けず」だった。そして、その無投票当選の7割は自民党公認候補者だという。また議会での一般質問では無所属議員の持ち時間がわずかであるとの報道もあった。この状況について東京新聞は「なぜ、地方選挙で無投票当選が増えているのか。対策はないのか。」という問いで、「識者に聞く」というコラム記事を掲載している。「なぜ」については次のような指摘があった。

「地域のネットワークの希薄化が進み、地域代表として推薦され、出馬する候補者が少なくなっている」
「政策をつくって地方行政に反映しようとしても、依然として多数会派の意見が優先される傾向が強く、真面目に政治のことを考える人ほど出にくい」(以上、松本正生埼玉大教授)
「政治家になりたい人が少ないのは選挙に金がかかり、勝てると思えないと出られないためだ。新人はチャレンジしにくい。」
「昔と比べて報酬が下がり、議席を競えるような政党が少ない」(以上、玉克哉三重大副学長)

 「対策」については玉氏がつぎのような提言をしている。

「定数二、三人の選挙区だと小さな政党は当選が難しい。選挙区を広げる」
「新人でも出馬しやすいよう二ヵ月の選挙休暇が取れる仕組みの導入」
「県議選の出馬は六十万円、政令市議選は五十万円の供託金が必要だが、なくすべきだ」

 提言は現在の制度の枠組み内での意見であり、これだけではとても「真の自治」への端緒とはなり得ない。

 ところで、今回の統一地方選に関連して、東京新聞が『これからの「政治」の話をしよう』と題して、いろいろな人の意見を聞く連載記事を、4月3日から掲載している。その第一回目の担当記者がまとめの文で『地方自治は「民主主義の学校」といわれる』と書いていた。私の今回のテーマに即して言い換えれば『地方自治は「真の民主主義構築の端緒」』となる。そしてこの連載記事の第四回の上野千鶴子さんの意見がその「端緒」となるべき方策を語っていたので、それを紹介すべく、追記を書くことにしたわけだった。

 現在、男女格差が大きな社会問題になっている。地方議員選挙についても「女性枠」の導入がいろいろと論じられている。『これからの「政治」の話をしよう(2)』では小島慶子という方が「クオータ制(人数割当制)の導入は必要」と論じている。これに対して上野さんは『こと政治に関しては「議員の性別にはこだわらない」』と言う。何故か。上野さんの談話をまとめた記事(担当記者は高島碧さん)を転載しよう。

「ただ女性議員が増えればいい、という時代は終わった。政党の駒ではなく、自分ひとりの責任で判断する議員が必要。そのために立候補者が誰のために働くのかを見極めないといけない」

 必要なのは、組織のためではなく市民の下働きとして汗を流す市民派議員だというのだ。

 統一地方選に向け、昨年10月に「市民派議員になるための本」(寺町みどりさん、寺町知正さん共著)を新たにプロデュースした。その序文で「地方議員をパートタイム議員に」と提唱している。パートタイム議員とは、生業(なりわい)は別に維持したまま、市民のために働く議員。職業政治家の特権をなくし、政治を有償ボランティアと捉え直すべきだという。パートでいいなら議員になるハードルはぐっと下がる。

若い人が職を辞して議員になるのはコストが大きすぎる。アフターファイブに委員会方式で話し合って、それを年数回の全体会で決定していくようにすればいい」

 審議会のメンバーも、テーマごとに当事者を公募すればいいと提案。子育ての議論には若い母親も加えるなど、暮らしの現場にいる人々でつくる議会をイメージする。「ITを活用し、障害者にはスカイプ(インターネット電話)や車いすで参加してもらう」とも。確かにパート議員ならマイノリティーも加わりやすい。

 とっぴなアイデアにみえるが、それが本来の「自治」という。

「市民が自分たちで物事を決めていく自治の必要性は、東日本大震災以降、一層、高まっている」と指摘する。脱原発を望む国民は多いのに、国と電力会社は原発再稼働を推し進め、地元議会が追認していく。「このずれは声を上げれば変えられる」

 具体例として挙げたのが、東京の母親たちの「保育所一揆」だ。昨年2月、認可保育所の選考から漏れた母親たちが集団で杉並区に異議を申し立てた。進まない保育所対策に業を煮やした母親たちの共感を呼び、各地で異議申し立てが続出。自治体も認可保育所の増設に本腰を入れざるを得なくなっている。

 上野さんは、地方選こそ市民の声を生かす機会と強調し、自信に満ちた表情で話した。

「私たちの一番の敵は無力感。小さな目標を設定して変化を実感する『やったぜ感』を味わうといい」

 上野さんのこの提言はまさに「真の自治」を獲得するための示唆に富んだ提言だと言える。「真の民主主義(真の自治)」を獲得していくための「蟻の一穴」たり得る。そしてやはり「その道は細く長く険しいだろう」が、かなりの可能性を秘めている、と私は思う。
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