2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(54)

権力が教育を破壊する(37)

教育反動(29):中曾根臨教審(7)


(4) その他の答申事項

 久保さんは「その他の答申事項」の中から「生涯学習体系への移行」と「初等中等教育の改革」を取り上げている。

<1> 「生涯学習体系への移行」

 これは、臨教審幹部によって、改革のキーワードであると解説された項目である。

 第一次答申では、生涯学習は学歴社会を是正する手段として提起されたが、第二次答申では、
「本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、21世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案する」
としている。このように、「生涯学習体系への移行」が、日本の教育制度全般を改革する原理になる、という大仰な問題提起をしているのである。この立場から「学校教育体系の肥大化(学校教育の量的拡大と期間の長期化や学校教育への過度の依存志向など)に伴う弊害」があるとし、これに変えて改革していくために「新しい柔軟なネットワークを形成することである」としている。

 私は、この「生涯教育」という用語を知ったとき、「生涯にわたって教育されてたまるか」と、つい口走ったことを思いだした。教育とは国家から押しつけられるものではなく、その根本はすべからく自己教育であるべきだ。小学生だって、学校で押しつけられる教育(それが一つの契機となっている場合もあるが)とは別に、自らの興味と関心に沿った読書・芸術的営為や鑑賞、あるいは友人との人間関係を通して、知的・情緒的・道徳的学習をを行っており、そうした自己教育が個性ある人間性を育てている。

 さて、久保さんは臨教審が「生涯学習体系への移行」の論拠としている「学校教育体系の肥大化に伴う弊害」という認識と、そこから引き出された「生涯学習体系」論の実態を次のように批判している。

 このような臨教審の学校観は、歪んだものであり、誤ったものといわざるをえない。学校は肥大化するどころか、国民の教育要求を満たすのには、縮小化さえ見られる。しかも学校の教育条件は劣悪であり、この改善、向上、拡大こそ教育改革の第一歩である。

 登場した「生涯学習体系」そのものに問題がある。その「生涯学習体系」論の実態は、「教育の自由化」論の再浮上である。教育を市場競争の場に晒し、経済的利益の対象に位置づけようとするものであった。答申はいう。
「家庭教育、学校教育、社会教育、職業能力開発、新聞・出版・情報サービス・研究開発のためのシンクタンク。カルチャーセンター・塾等の情報・教育・文化産業等による教育活動を、人間の各ライフステージとの関連において総合的なネットワークとしてとらえ直す必要がある」

 この「総合的なネットワーク」のうち学校教育以外の大きな部分は、結局、情報・教育・文化産業の供給する教育サービスであり、それを生涯にわたって自己の責任で、自己の負担で購入し続けて学習していくことを意味する。人権としての生涯教育の国際的理念とはなじまないものである。

<2> 「初等中等教育の改革」

 第二次答申の第二部第三章の「初等中等教育の改革」の最初の第一節が「徳育の充実」である。これは、臨教審が教基法の教育目的条項を最大の関心をもって臨んだことを象徴している。とくに、
『小学校低学年における「児童の生活を中心とした内容により構成される総合的教科を構想」し、「体験的な活動を通しての基本的な生活習慣の形成」をはかる』 として、特設「道徳」のほかに、さらには「総合的教科」を設置しようとして、「生活科」構想が出されている。

 この答申は、言うまでもなく、道徳教育の強化を目指す意図をもったものであるが、他面低学年社会科の解体をもたらすものであった。さらに道徳教育の副読本の使用も提言し、大学での「教職科目の内容、初任者研修を通じ、現職研修を通じ、道徳教育」の強化が提起された。

 これらの提案は、教育課程審議会に引き継がれ、国家主義的色彩の濃厚な学習指導要領改正に結実していった。

 久保さんは、以上の臨教審の答申を総括して、次のように結語している。

 こうして、臨教審は、1987年8月7日、最終答申(第四次答申)をまとめ、中曾根首相に提出して、その任務を終了した。最終答申は、これまでの提言を整理し、21世紀に向けての教育改革の視点として、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」の三点を改めて強調したものであった。

 これらについては、すでに批判したとおりであり、21世紀に向けての真の教育改革たりえず、世界史の流れにも背を向けていくものであると判断された。

 とくに、国旗・国歌の尊重については、審議経過では「国際常識」と位置づけていたが、最終答申では藤尾前文相や塩川文相の要請に配慮し、「学校教育上適切な取り扱いがなされるべきである」と一歩踏み込んだ措置を提案したことは、臨教審全体の性格を象徴するものであった。そして、「君が代」斉唱、「日の丸」掲揚は、学習指導要領改訂を待たずして、小・中・高校に強制化されるのであった。

 学校で国旗・国歌の尊重は「国際常識」であるといったような根拠のない誤った認識をもとに議論を進めてる。臨教審での議論はこのような反知性主義的議論のオンパレードである。

 私は、学校で国旗・国歌の尊重が「国際常識」ではないということを、すでに「世界の国々での学校における国旗・国家の扱い」で取り上げている。改めてその記事を読んでみたが、そのときに利用した資料の一つは政府による調査結果であった。そして、なんとその調査は1985年に行われている。つまり、その調査は臨教審がさまざまな議論をしていた時期に行われていたのだった。もしかすると臨教審の委員たちは学校で国旗・国歌の尊重が「国際常識」ではないということを知っていたのではないだろうか。もしそうだとすると、これは自説に都合の悪いことを隠蔽して自説を強引に主張する歴史歪曲主義者たちの手法と同じである。
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